夜明けのひととき
眠りの淵から目を覚ましたマモンは、自分がどこにいるのか。すぐにはわからなかった。
耳を澄ましてみると何も聞こえない。薄暗く狭い場所にいるらしく、身動きしようにも上手くいかない。
それでもこの状況から逃れようと暴れていると、すぐ傍で聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ううん……まだねむいよう」
もぞもぞと動くマモンに反応して、彼を抱きしめていたヨエルはそれに構わず寝惚けながら毛布を引っ張る。
被せられた毛布の隙間から朝陽が差し込んでいるのが見えた。どうやら一晩中、起きないマモンを抱きしめて、ヨエルは眠っていたらしい。
自分がどれだけ眠っていたのか。マモンは知らない。けれど、きっとヨエルは寂しがったに違いない。
今までこんなことは一度だってなかったし、マモンはいつだってヨエルの傍に居たのだ。
悪い事をしたと彼の腕の中で反省していると、腕の中で動き回るマモンに気づいたのだろう。
寝惚けていたヨエルは、ぱっちりと目を見開いて腕の中に抱いているマモンを見つめる。
「う、え……おっ、おきてる!?」
『おはよう、ヨエル』
混乱しているヨエルに、とりあえず朝の挨拶をする。
すると、先ほどまで眠そうにしていたのが嘘のように、ヨエルは毛布をはねのけて飛び起きた。それから腕の中にいるマモンが本物であるか確かめるように撫で回す。
「ほっ、ほんとうだ! ゆめじゃない!!」
『はははっ、おかしな事をいう。まだ寝惚けているのか?』
「だ、だって……ずっと起きなかったんだもん」
今にも泣きそうな顔をして言うヨエルに、マモンは罪悪感を覚える。
どうやら相当に寂しい思いをさせてしまったみたいだ。フィノも帝都を離れてしまって、ヨエルが独りきりになることをわかっていたというのに。
見知らぬ土地で頼るべき人もいない状況はどれだけ心細かったことか。
『ひとりにしてすまなかった。寂しかっただろう』
「うん……でも、マモンもぼくとおんなじだから……ぼくならだいじょうぶ!」
まるで元気づけるようにヨエルは笑ってみせた。
どうやらマモンが予想していたよりも、ヨエルは落ち込んでいないようだ。それを不思議がっていると、ヨエルはマモンの疑問を余所にマモンが眠っていた間の出来事を最初から最後まで語ってくれた。
フィノを追いかけて帝都からアンビルの街まで旅をしたこと。その途中でおじさん――ルフレオンを出会って、彼とともに行動していたこと。
街に着いて、フィノに再会した後は街の宴に参加したこと。色々なものを見て、たくさん遊んで楽しかったこと。
「でも、マモンが一緒だったらもっと楽しかったのになあ」
残念そうに声を落とすヨエルに、マモンは面目ないと犬耳を垂れてうなだれた。
それでもヨエルはマモンが起きてくれたことがとても嬉しいらしく、グチグチと文句を言うこともなく、マモンを抱きしめたまま寝ていたベッドの上をゴロゴロと転がりまわる。
「それでね、今はレシカに手紙かいてて……あとちょっとだから、それが終わったら帝都に戻るところ!」
『そうか』
ヨエルの話では、マモンが目覚める数日前にアンビルを出て、帝都に戻る途中のヴァレンで一泊したとのことだった。
しかし宿の部屋にいるのはヨエルだけである。一緒にいるはずのフィノはどこかに出掛けているのか姿が見えない。けれどヨエルはその事を気にも留めずに――
「あっ! そうだ!!」
突然叫び出すと、寝転がっていたベッドから飛び起きてマモンにあるお願いをしてきた。
「ぼく、マモンにお願いがあるんだ」
『どうしたのだ?』
「ええとね……」
ヨエルがマモンに耳打ちした願いはひどくささやかなものだった。
『一緒に噴水がみたい?』
「うん。ぼくは前に見たんだけど、マモンと一緒に見てないから。噴水、見たことある? すっごい大きいんだよ!」
『見たことはないなあ。そんなにすごいのか?』
「うん! じゃあ、一緒にいこうよ!」
『いいとも。フィノが戻ってきたら見に行こうか』
「やった!!」
マモンの快諾に、ヨエルは飛び跳ねて喜んだ。
本当はこの街の噴水ならば以前見たことはある。それでも、ヨエルがこんなにも嬉しそうにしてくれるのならば、嘘の一つや二つなど容易いものだ。
その後もヨエルの話に付き合いっていると、数分後――外に出ていたフィノが戻ってきた。
どうやら朝食を買いに行っていたらしく、はしゃぐヨエルと起きているマモンを目にして驚いていた。
「もう大丈夫なの?」
『ああ、心配をかけたようですまなかった』
パンの包みをテーブルに置いて、お茶の支度をしながらフィノはマモンを気遣う。
傷心から立ち直るには時間がいることをフィノは知っていた。きっとマモンの心の傷はかなり深いものだ。それが完全に癒えたとは思えない。
けれど彼は大丈夫だと言うのだ。
ヨエルに抱っこされて、されるがままのマモンを見る限り嘘を言っているようには見えない。
本当は心配だけど、ここは信じてやるべきだとフィノは判断した。




