底奥のあるじ
サブタイトル、変更しました。
次に目を覚ました時、フィノは木漏れ日の中にいた。
まるで緑豊かな森林の最中にいるような感覚がする。
覚束ない頭で起き上がろうと腕に力を込めて……手のひらに触れたぐにゃりとした感触に、フィノは思わず顔を顰める。
「これがあるってことは……」
フィノが寝転んでいた地面には散々見てきた動く根が敷き詰められている。
どうにもこれの感触をフィノは好きになれない。生物でないのに勝手に動くのも気持ち悪くて好きじゃない。
「シッ、ィア?」
聞こえた音に顔を上げると、フィノの目の前にはヴァルグワイが立っていた。
こちらに手を差し伸べているところを見るに、敵意は無さそうだ。
「う、ありがとう」
戸惑いながらもその手を取る。
根と同じ感触がするから触りたくはなかったが、拒絶してしまうのはなんだか悪い気がしたのだ。
立ち上がったところで、フィノは周囲を見渡した。
暗闇しかない大穴の中にいたはずが、今いるこの場所は明るい。といっても、頭上からの光は植物の葉によって遮られて木漏れ日として注がれているけれど、そこに霧のような靄が充満しているため、地上のようなはっきりとした明るさはない。
それでもあの暗闇よりかはマシである。視界は良好だし、何よりも空気も澄んでいて清々しい気持ちになる。
足元の根さえなければもっと良かったけれど。
「でも……ここ、どこだろ」
フィノが思い出せる最後の記憶は、ヴァルグワイに背負われた後でぷっつりと途絶えている。
あの時は確か……幹の中にある階段を下に降りていっていたはず。ということは、あの階段の終着点がこの場所だったのだろうか。
事情を知っていそうなヴァルグワイに聞こうにも、彼に言葉が通じるとは思えない。そもそも、答えてくれたとしてもこちらが彼の言葉を理解出来ないのだ。無意味だろう。
思案しているフィノを余所に、ヴァルグワイはフィノへと何かを語りかけてきた。
「ィイア? シィ!」
「え? な、なに?」
彼は何かを言ったかと思うと、そのままフィノの手を引いて歩きだす。何もわからないまま、フィノは成されるがままそれに従った。
この場所では彼がフィノよりも詳しいはずだ。それに何か目的があってこの場所に連れてきてくれたのなら……今から訪れる場所が本命。ヴァルグワイが本当にしたい何かなのだろう。
それに、もしかすればこの場所こそが、フィノが求めていた大穴の底なのかもしれない。
突拍子もない話ではあるが……ユルグの手記にもこれと似たような記述があった。
シュネー山脈にある大穴の底も、このような不思議な空間だったらしい。穴の底に向かっていたはずが、気づいたら別の空間にいるかのような場所に辿り着いたと。
だったらこの大穴の底にだって、このような森があったとしてもおかしくはない。
徒然と考え事をしていると、不意に前を歩いていたヴァルグワイが足を止めた。それに気づいてフィノも静止する。
彼が辿り着いた場所は植物の蔓に覆われた絶壁の前だった。
視界を覆うほど続いているそれは、一見すると何の変哲も無い景色と見間違えてしまうだろう。
けれど――
「シッ、イィアア!!」
ヴァルグワイが何かを叫んだ途端に、目の前の絶壁は突如として動き出したのだ。
目の前の光景に呆然としているフィノを置き去りにして、それは地面を揺らしながらこちらを振り向いた。
「ん……ああ、戻ってきたか」
遙か上空から、身体の芯まで響くような低音の声音が聞こえてくる。
どうやらフィノの前にあった絶壁は、それの脚の一部だったようだ。ドシンドシンと地響きをならしながら、二人を踏みつぶさないように位置を調整したそれは、今度は深緑に覆われた手を地面について頭上から屈み込むようにこちらを覗き込んできた。
その風貌を一言で言い表すならば……緑の巨人である。
形容だけを見るならばヴァルグワイと同じではあるが……大きさといい風貌といい、全てが規格外だ。
地面に降ろした手からは、その内側に潜んでいたであろう虫がうじゃうじゃと這い出してきて、目鼻がない顔の開いた口の中からは何十、何百もの鳥が飛び立っていく。
生物の住処となっている身体を持つそれは、生き物と言っていいものなのか。フィノには測りかねた。
けれど特筆すべき点はそこではない。
一番気になるところは、今しがたそれが喋ったことだ。それもフィノが解る言語で、はっきりと意思を持って、言葉を話した。
その事に思考を引っ張られて固まったままでいるフィノを、それは一瞥したのちに傍らにいるヴァルグワイへと声を掛けた。
「ご苦労だった。それで、これが例の異物か?」
「イイィア!!」
「ここに落ちてきたというよりも、この場所を目指していたようだが……我らの声は聞こえているか?」
それの問いかけに、フィノは少し逡巡したのち首を横に振った。
彼が何かを話していることはわかる。けれど、それを聞き取る前に虫や鳥の鳴き声が喧しくて聞き取れないのだ。
おまけにフィノの頭上から降ってくる声音に合わせて、口の中から鳥の雛が落っこちてくる。上空から落下してくる雛たちは地面にぶち当たって、次々と肉塊へと変わっていくのだ。
当たらないように避けてはいるけれど、それを目当てに新鮮な死骸を求めて虫たちが寄ってくる。
地獄絵図さながらの様相に身動き一つすら出来ないフィノを見て、それはやっと合点がいったらしい。
「ああ、この姿では話しづらいか……少し待っていろ」
そう言って、それは口を閉じると動きを止めた。
少しして、屈み込んだ巨人の胴体……胸元辺りから枯れ木の姿をしたヒト型の生物が姿を現わした。
それは巨人の身体から引きちぎった茂みを長布のように身体に巻き付けると、ジロジロと目玉のない顔で自分の出で立ちを確認する。
最後に巨人の体躯に手を突っ込んで取り出した、半分腐りかけの干からびた草食動物の角付き頭蓋を被ると、薄暗い影の中から陽の下へ姿を見せる。
「よし、こんなものだろう」
満足げにひとりで頷いているそれを見て、フィノは言葉もなく黙り込んだ。
超常的な光景を目の当たりにしたからではない。それのどうしようもなくズレた美的センスに絶句したのだ。




