穴底へと至る道
祠の内部の調査をあらかた終えたフィノは、背嚢からロープを取り出す。
大穴の底がどの程度なのかわからなかったから、かなりの長さのロープ。それとこれを使って降りていくに当たって、スムーズに行けるように木製の滑車も用意した。
ロープを祭壇の支えになっているアーチに括り付けて、それの延長線上……支点に滑車が来るように位置取りをする。
これで少ない力でもフィノ一人で上り下りが出来るわけだ。
腰には魔鉱塊の袋を括り付ける。移動の邪魔にはなるが、咄嗟に使うにはここが一番ベストだ。他は背嚢に入れて足りなくなったらそこから取り出す。
背嚢も置いて行ければ良かったけれど、大穴を降りている最中には何があるかわからない。大事を取って背負っていくことにした。
「よし」
諸々の準備が完了したところで、フィノはロープを引っ張ってそれを支えに大穴の淵から、壁面を下るように降りていった。
幸いなことに、危惧していた瘴気のヘドロは大穴の中にはそれほど見当たらない。正体不明の根が壁面に這っているから、それらがいい具合に瘴気を遮ってくれているのだ。
踏みつけていく根の感触はぐねぐねと気持ち悪いけれど、これも良い足場になってくれている。
このぶんならば苦戦することなく、底まで辿り着けるかもしれない。もっとも、大穴の底がどこまでなのかわからないから楽観視はできないが。
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しばらく好調に下っていたところ、あるモノが視界に入ってフィノは足を止めた。
「ん、あれなんだろ」
カンテラを腰につけているけれど、大穴の中はそれなりに暗い。例によって大穴の対岸の壁面までは見えないのだ。
けれど、そこには何かが動く気配がある。必死に目を凝らしていると、薄らと生き物がいることがわかった。
あれは壁面を這うようにして上へと向かう、トカゲのような生物だ。まっくろな体表はおそらく瘴気から生まれた魔物なのだろう。
大きさもフィノの全長と同じくらいはある。そしてそれは、壁面を覆う根の内側から顔を出したのだ。
「も、もしかして……」
脳裏に過ぎった悪い予感を確かめる前に、何かがフィノの足を掴んだ。
それに反応する間もなく、飛び出してきた生物によってフィノは足場から離されてしまう。
「おっわわっ!」
壁面から足を離したことで、フィノの身体は宙に浮いている。今は足を掴まれているからなんとか宙ぶらりんになってはいないけれど……あのトカゲがこのまま襲ってこないとも言い切れない。
咄嗟にフィノは剣を抜いて、足を掴んでいる腕を切りつけた。
「ギュイアアアァアア!!!」
直後に聞こえる絶叫は耳を覆いたくなるほどの衝撃だ。
それでもトカゲは手を離してくれた。激昂しているのか、奴の体表は倍以上に膨らんで、その状態でフィノへと襲いかかってきた。
飛び掛かってきたトカゲに、フィノは空手で掴んでいた根から手を離す。支えを失った身体は自然と穴の中心へと向かっていき、トカゲは虚しく大穴の暗闇へと吸い込まれていった。
「ふう、あぶないなあ」
ほっと息を吐いて安堵したのも束の間、今度はフィノを吊っているロープからおかしな振動を感知して、上を見上げる。
するとそこには、一本のロープに連々と群がっているトカゲの集団が見えた。
きっと這い出してきたトカゲが伸びているロープに飛び移ったのだ。
「う、これ……まずいかも」
ロープの耐久を考えると、これ以上加重をかけられるのはマズい。
事前に耐久試験は行っていたけれど、フィノ一人だけの想定だったからこのままいけばどうなるか。火を見るよりも明らかだ。
しかし、この状態でフィノに為す術などない。
穴の中心で宙ぶらりん。群がっているトカゲは離れる気配もなく、ゆっくりと下に降りてきている。
助かる方法は、かなり無謀だが……遠心力を利用して壁面まで到達する。
タイミングを見極めてロープを自切。その後は壁面に向かって死に物狂いでしがみつく。
しかし、上手くいっても壁面の内側に潜むトカゲの相手が残っている。けれど、この状況よりはマシである。このままでいてもいずれは穴の底に落ちるのが関の山。
とはいえ、今の案だって成功するとは限らない。かなりの博打だ。けれど迷っている時間は無い。
意を決したフィノがタイミングを見極めていると――上方から不穏な切断音が聞こえてきた。
「えっ、うそ――」
刹那、支えを失った身体は穴底へと落下を始める。
辺りに響くトカゲの断末魔を聞きながら、フィノは暗闇へと吸い込まれていった。




