砂の塔を壊す
そのままマモンは重い足取りで、ヨエルが寝ているベッドに潜り込んでいった。
「んんっ、……なに?」
『ああ、起こしてしまったか』
「……どうしたの?」
どことなく元気がない様子に気づいたヨエルは、身体にかけていた毛布の中に頭を突っ込んで小声で尋ねる。
マモンの身体はとっても冷たい。それを彼も理解しているから、こうしてヨエルにくっついて寝ることはないのだ。そんなことをすれば寝ている所を起こしてしまうし、ひんやりとした冷たさで目が覚めてしまう。
だから、一度だって一緒のベッドで共寝をしたことなんてない。それがどういうわけか。マモンはヨエルが寝ている時に、起こすかもしれないとわかっていながらベッドに潜り込んできた。それだけでヨエルには、マモンに何かあったのだと理解したのだ。
『少しだけ……慰めてはくれないか』
「え? う、うん」
思ってもみないマモンの言葉に、ヨエルは驚きつつも頷いた。
どうやって慰めていいのか、ヨエルにはわからなかったけれど……落ち込んでいる時や悲しい時、マモンはずっとヨエルの傍にいてくれた。
だから、ひんやりと冷たい身体をぎゅっと抱きしめてあげる。
「なにか悲しいことでもあった?」
『……わからない。悲しんでいいのか、どうするべきか。わからないのだ』
今にも息絶えそうにか細い声音を、ヨエルは初めて聞いた。
マモンはわからないと言うけれど、まるで今にも泣き出してしまいそうな様子に、これが哀しみでないのなら何というのか。
「悲しい時は泣いていいって、おじいちゃん言ってたよ。我慢すると心がこわれちゃうんだって」
『そうか……』
呟いて、マモンはそれきり何も言わなくなった。
彼が何を考えているのかヨエルにはわからない。ただ、今まで見たことがないくらい落ち込んでいるのはすぐにわかった。
そして、ヨエルがマモンにしてあげられることなんて何もない。どうして落ち込んでいるのか、悲しんでいるのか。聞いてもマモンは答えないだろう。
だから、今はただ傍にいてやることしか出来ないのだ。
===
ヨエルが目を覚ますと、既に陽は昇って朝になっていた。
寝ぼけ眼でベッドから這い出そうとするヨエルだったが、昨夜の出来事を思い出して毛布を引っぺがす。すると眠りに入る直前と同じく、マモンがヨエルの傍で丸まって眠っていた。
それに驚いて、ヨエルは瞠目する。
今までこんな風に、マモンが一晩中ヨエルの傍に居ることはなかったのだ。一緒に眠っていても毎回、ヨエルが目を覚ますとマモンは消えているからだ。
今までに無いマモンの態度に、ヨエルは得も言われぬ不安を感じた。
こうしていつまでも傍にいてくれることを願っていたのに。昨夜といい今といい、どうにも素直に喜べない。
「ま、マモン」
『ああ、ヨエルか。おはよう』
「う、うん。おはよう」
挨拶も早々に、マモンは大きな欠伸を零して再び目を閉じる。
なんとなく彼の背を撫でていたら、
『すまないが、眠らせて欲しい』
「ちゃんと眠れなかったの?」
『いいや、そんなことはない。ただ……疲れてしまってなあ』
「そ、そうなんだ。……だいじょうぶ?」
『ああ、次に起きた時は元通りだ』
マモンはヨエルを安心させるように笑んで、それから再び眠りについた。
マモンの態度に、ヨエルは眉を潜める。彼がこうして自分の意思を通すのは初めてのことだった。
彼は今までヨエルが独りにならないようにずっと傍にいてくれたのだ。話し相手になってくれたり、必要の無い食事を一緒に食べてくれたり。やんちゃなヨエルの遊び相手にもなってくれた。
どんなことがあっても、マモンはヨエルが不安を抱くような事はしなかった。それが、今はこれだ。
昨夜、何があったのか。詳しいことはヨエルにはわからない。けれど、フィノが何かを知っていることは、まだ幼いヨエルでも想像がつく。
眠ってしまったマモンをベッドの上に置き去りにして、ヨエルは室内を見渡す。そこで部屋の中にフィノがいないことに気づいた。
もしかしたら、既に大事な仕事があるからと出発してしまったのかも。
どきりとして内心焦っていると、そんなヨエルの焦燥は呆気なく溶けてしまう。
「あ、起きてた。おはよう」
「う、うん」
客室の扉を開けて現われたフィノは、食堂からもらってきたであろう朝食を手に、ヨエルに朝の挨拶をする。
焼きたてのパンに温かいスープをテーブルに置いて、手招きするフィノにヨエルはのそのそと足取り重く近付いていく。
「お腹、すいてるでしょ?」
「うん、ありがと」
「これ食べたら出発するね」
昨夜の内に準備は済ませているのだろう。フィノは、ヨエルに危ないことはしないでね、と念を押してスープを飲む。
それに適当に頷きながら、少ししてヨエルは意を決してフィノに尋ねることにした。
「ねえ、昨日マモンになにしたの?」
「……マモンは何か言ってた?」
「何も、聞いてないけど。でも、なんだかおかしいんだ。元気ないし、今日だってずっと寝てばかりで……今までこんなこと、一度もなかったのに」
不安に苛まれるヨエルに、フィノはどう答えていいか悩んでいた。
マモンの様子がおかしいというのは、十中八九昨日の出来事が原因だろう。しかし、それがわかったからといってヨエルに話せる内容ではない。
ここで秘密にして、何もなかったと誤魔化すことも出来る。けれど、それをしてしまえば確実にヨエルはフィノに対しての信頼をなくすだろう。
せっかく少しずつ心を開いてくれていると思っていた矢先だ。出来ればフィノもヨエルとは仲良くしたいと思っている。嫌われる事なんてしたくはない。
けれど、ヨエルにとって一番大切なものはフィノではないことも知っているのだ。
「マモンはぼくの大事な家族なんだ。お母さんもお父さんも、おじいちゃんも。みんないなくなって、マモンも死んじゃったら、ぼく……」
「大丈夫。マモンはヨエルのこと、置いていかないよ」
安心させるように優しい言葉をかけてやると、ヨエルはフィノをまっすぐに見つめた。縋るような眼差しを受けながら、フィノは続ける。
「昨日、マモンに酷いこと言っちゃったんだ。落ち込んで元気ないのは、私のせい」
「なっ、なんで……なんでそんなことするの!?」
「……ごめんね」
謝るフィノに、ヨエルは聞く耳もたずで顔を背けた。
ヨエルにとっては、マモンを大事に想っていることを知っているのにどうしてフィノがそんなことをしたのか。理解出来ないのだろう。
そして、その理由を冷静に考えて答えを出せるほど、ヨエルは大人ではない。まだ十歳の子供なのだ。
だから大事な存在を傷つけられたことに、ヨエルはこんなにも怒っている。
「そうじゃない! っ、……もういいよ! フィノなんかしらない! どこにでもいっちゃえばいいんだ!」
怒ったヨエルは脇目も振らずにマモンが眠っているベッドに向かうと、毛布を頭から被って丸まってしまった。
それをなんとか宥めようとするフィノだったが、どうあってもヨエルは取り合ってくれなかった。こうなってしまえば、何を言っても無駄である。かえって逆効果。一番は時間をおくことだ。
仕方なくフィノは書き置きを残すと、荷物を纏めて部屋を出て行く。
「……行ってくるね」
フィノが最後に残した台詞は、悲しそうな声音をしていた。




