小さな一歩
二時間、延々と魔鉱石を集めて小屋に戻ってきたフィノは早速作業に取りかかった。
かつて行われた匣の製造方法も間違いでは無いのだが、今回はそれが裏目に出た。質を求めた為に何年も遠回りをする羽目になったのだ。
フィノが選ぶべき解答は、質より量。粗悪品しか作り出せないのならば、数で補ってやれば良いと考えたのだ。
「ん、こんなもんかな」
テーブルの上にエンチャントを施した魔鉱石を並べて、フィノはひと心地つける。
淹れたお茶を飲みながら、今度はこれをどうやって使うか。そこを考えなくてはならない。
小石程度の大きさの魔鉱石一つの効果などたかが知れている。だからある程度纏めて使う必要がある。
両のてのひらに納まるくらい……二十個ほどの魔鉱石を、網目状の袋の中に入れて口を縛る。これを大穴の底に辿り着けるだけ用意する。出来るだけ沢山あった方が安心だ。
とはいえ、ぶっつけ本番は危険すぎるから、机上の空論のまま放置するわけにはいかない。検証する必要がある。
「ヨエル、外行ってくるね」
声を掛けると、フィノの正面で作業を見ていたヨエルはいつの間にか、テーブルに突っ伏して眠っていた。
魔鉱石掘りに二時間も付き合わせたのだ。疲れたのだろう。
静かに身体を抱きかかえてベッドに寝かせると、テーブルに書き置きを残してフィノは小屋を出た。
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フィノが向かったのはシュネー山の中腹にある祠だ。他の場所と比べて、ここは瘴気による被害は少ない。十年前にユルグが瘴気の浄化をしてくれたおかげだ、とマモンは言っていた。
それでも十年も手付かずのままでは、瘴気も再び溜まってくる。異常が無いか、たまにマモンが監視しているようだ。
祠の石扉の前に辿り着いたフィノは、そのまま扉を開けずに壁を伝って駆け上がっていく。吹き抜けの天井まで登ると、そこから内部を見下ろした。
祠の内部は、昔スタール雨林で見た祠と同様。変わったところは見られない。
大穴の上には祭壇があって、そこに例の匣が安置されている。まっくろな匣はきっと殆ど機能していないはずだ。それでも他の場所よりはマシだとマモンは言っていた。
フィノもマモンの発言には心当たりがあった。アリアンネも、昔よりも魔物の被害が増えていると嘆いていたし、どの街を訪れても住民を困らせているのはそれだった。
戦争などやっている場合ではないのに、先に仕掛けてきたデンベルクは降伏も停戦も端から頭にないようで、ここ数年攻めの勢いは衰えることを知らない。
彼らの根底にある真意は、世界の再建にあるのだ。昔のように魔王を立てて安寧を手に入れたいと欲している。それが成せれば、現状の問題は全て解決すると思っているのだ。
当然、そんなことはアリアンネもフィノだって望んではいない。だからこそ、今まで解決策を探ってきた。
今日、その第一歩を踏み出せるかもしれない。期待を胸に、フィノは足場を伝って下に降りていく。
内部に溢れている瘴気は、今のところ人体に悪影響を及ぼす濃度ではない。
瘴気というものは高濃度になるにつれて、もやのような気体からヘドロのような液体に変わっていく。
足元を漂う瘴気は空気に舞ってふわふわと踊っている。これならば特に問題はない。しかし、大穴の底から直に溢れてくる瘴気はそんな生易しいものではないのだ。
いわば、辺りを漂っている瘴気は残り香みたいなものである。大穴から溢れ出した高濃度の瘴気が薄まって、この状態になっているのだ。
とはいえ、これから向かう事になる大穴の底はヘドロで溢れていることだろう。
マモンの力は借りずにフィノ一人で向かわなければならない。当然、身体をロープで括って降りていくことになる。
底がどこまで続いているのか分からない大穴は、真っ逆さまに落ちてしまえば助かる術はないのだ。慎重に行くには、大穴の壁伝いに降りていくしかない。
そこで問題になるのが、下から壁伝いに這い上がってくる瘴気のヘドロである。
液体が上へ登るというのはおかしな話だが、ユルグの残した手記によると、あれは大穴の底に居る四災という者の力を吸い取って外に放出する。それの副産物が瘴気なのだと書いてあった。
そして、高濃度の瘴気に触れては生物の身体などひとたまりもない。これがあるから、今まで大穴の底に挑めなかったのだ。
今回の検証は、今しがた作りだした魔鉱石が本当に瘴気のヘドロを吸収出来るのか。それを確かめることにある。
匣のエンチャントには効果範囲があって、対象物から二~三メートルほどだ。その内側にある瘴気を吸収してくれる。
理論上は、効果を発動させながら壁を伝って降りていけるはず。効果が切れて瘴気を吸収出来なくなっても、エンチャントを施した魔鉱石は色で見分けがつく。未使用は白色で限界まで瘴気を溜め込むと黒ずんでいく。
網目状の袋を用意したのはすぐに変化がわかるようにするためだ。駄目になったら新しいのに変えて、再び降りていく。
完璧な作戦内容だが……それら全てはちゃんと魔鉱石が機能してくれることが前提だ。つまり、この一瞬に全てが掛かっている。
「よし……」
カンテラの明かりに照らされた薄暗い内部を一歩一歩踏みしめて、フィノは大穴へと近付いていく。
大穴の淵には、淀んだヘドロ溜まりが見える。こちらに流れてくる様子はなく、あそこで留まっているようだ。
それを見据えて、フィノは魔鉱石を詰めた袋を前方へ投げた。
「よっ、と」
放物線を描いて魔鉱石の塊はヘドロ溜まりの真ん中へ落ちた。
――と、同時に強い衝撃も相まって魔鉱石は真っ白な光を発する。それは周囲の瘴気の黒を飲み込んでいきながら、次第に輝きを弱めていく。
完全に輝きを失うまで、十分掛かった。猶予を見るならば五分から八分が限度だろう。
そして……まっくろになった魔鉱石の周りには瘴気の痕は一つも無い。実験は成功したのだ!
「やった!!」
ヘドロの消失を確認して、フィノは歓声をあげた。この十年、何の進展もなかった所にやっと希望が見えてきたのだ。喜びもひとしおである。
となれば、あとはこの魔鉱石塊を出来るだけ作って、大穴の底に望むだけである。
その前に特使としてアリアンネの元へ行かなければ。大事の前の小事。それでも蔑ろに出来ない問題なので、早めに解決するに越したことはない。
使い捨ての魔鉱石をその場に置いて、フィノは山小屋へと戻った。
小屋へと入る前に、裏手へと回り師匠の墓標へと手を合わせる。たった一歩の進展だったけれど、きっとユルグも喜んでくれるはずだ。
そして、次こうやって報告するのは全てが終わってから。そう心に誓って、フィノはヨエルの待つ、住み慣れた我が家へと戻っていく。




