彼方の景色
頂上まで登ろうと入り口まで歩いていると、たくさんの観光客とすれ違った。国で一番の名所であるから、それだけ人も集まるのだとカルロが説明してくれる。
レシカの手を握りながら、ヨエルは人の多さに目を遊ばせてぼうっとするしかない。
はぐれてしまわないように必死に前を行くカルロの背中を追っていると、後方から微かに呼び声が聞こえた気がした。
立ち止まって振り返ると、遠目にまっしろな色が見える。
「ふぅ、やっと見つけた」
駆けつけたのはフィノだった。
「話は終わった?」
「うん、後でまた呼ばれると思うけど、今は自由時間」
「だったら一緒に天辺まで登ろう。どうせ行くところもないでしょ?」
カルロの提案に、フィノは二つ返事で了承するとヨエルの後ろから着いてくる。
「フィノはここに登ったこと、あるの?」
「ううん、ないよ。前来た時はこんな場所なかった」
カルロの話ではこの名所は一年前に完成したのだと言う。今ではアルヴァフを訪れた人は必ずここに赴くのだ。
他では見られない景色を堪能できるならば、少しくらい法外な入場料をもらっても然程気にならない。結構な商売である。
登り口まで辿り着くと、入場料を払い整備された螺旋階段を上っていく。
天辺まで登り切るにはかなりの距離がある。十分ほど永遠と階段をのぼり続けるのだ。大人でも大変なのに、子供がこれをのぼり切るには一苦労であろう。
「疲れない?」
「うん、だいじょうぶ」
背後からフィノが声を掛けると、ヨエルはまだまだ大丈夫だと頷いた。一緒に隣を歩いているレシカもまだへばってはいない。
「無理そうなら言って。おぶっていくから」
フィノの心配を余所に、二人は螺旋階段を踏破した。
出口を潜るとウッドデッキが巨木の天辺に建てられている。そこから景色を楽しむのだ。
そして、目の前に表れたのは地上を彼方まで見下ろせる雄大な景色だ。
子供たちのみならず、これにはフィノも目を見張る。今は陽が昇りきっているけれど、夕暮れや朝焼けをここで見られたのならば、一生の宝物になること間違いなしである。
眼前に広がる景色に目を奪われているヨエルを見つめて、フィノはふとあることが気になった。
そういえば、ここに来るまでずっと彼はレシカの手を握っていたのだ。今更ながらそれが気になってしまい、夢中になっているヨエルに尋ねることにした。
「ねえ、ずっと手繋いでるけど、それどうしたの?」
「うっ、」
何の気なしに尋ねると、ヨエルの肩が跳ねた。
別におかしな事は聞いていないはずだけど……どうしてか、彼は何も答えてくれない。眉を寄せたフィノに、ヨエルの隣にいたレシカが代わりに答えてくれた。
「高いところ怖いから、手を繋いでもらってるの」
「ああ、そういうこと」
納得したようになるほどと声を上げると、当の本人は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、景色から目を逸らすと足元をじっと見つめて固まる。
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「そっ、そういうんじゃない!」
わざとらしく声を荒げたヨエルは、どうにもフィノには知られたくなかったようだ。けれど、良い事をしているのだからもっと胸を張ったら良いのに。
そこは年頃の男の子ゆえだろうか。とても初々しい。
「少年、ウブだねえ」
「わっ、わらわないで!」
「ふふふ……大人はね、そういうの見て楽しむもんなの! いやあ、良い酒の肴だよ」
愉快そうに笑って、カルロは景色なんてそっちのけ。どこからか酒瓶を取り出して酒盛りを始めた。
あれは、下の露店で売っていた樹液で作った酒だ。仄かに甘い香りが漂ってくる。
「わるい大人だ」
「さいてい!!」
レシカとヨエルが口々にカルロに罵声を浴びせる。けれど、そんなものは聞こえないとでも言うように、彼女は何も意に介していない。
「んぅ……」
これにはフィノもどうやって庇って良いのかわからなかった。諦めて放置していると、酒瓶から口を離したカルロが口を開いた。
「ところで、フィノはどれだけここにいるつもり?」
「うーん、三日くらいかな。レルフにお願いされたし、いつまでもここには居られない」
「そっかあ。相変わらず忙しいね」
残念そうにカルロは口を尖らせた。
「せっかくここまで来たんだから、もっと遊んでいけば良いのに」
「んぅ、落ち着いたらね」
彼女もフィノが多忙な身というのは知っている。何をしているのかも理解している。その上で、根を詰めすぎるなと諭してくれているのだ。
なんとも有り難い助言である。
「でもヨエルは楽しみにしてたから、いっぱい遊ばせてあげて」
「わかったよ」
やれやれと肩を竦めたカルロは、酒瓶をフィノに押し付けて子供たちに絡みに行く。
酒臭い、とかなんとか。邪険にされているカルロを哀れに思いつつ、フィノはしばらく絶景にみとれていた。




