縮まる距離
家へと帰り着いた二人は、少し遅い朝食を摂ることにした。
朝早くに街へと行って買ってきたパンを出してお茶を淹れる。食事の準備が出来たところで、フィノはテーブルに着いて対面しているヨエルにある言葉を贈った。
「ヨエル、誕生日おめでとう」
「あぅ、……ありがと」
少しだけびっくりしたように目を円くしたヨエルは、恥ずかしそうに俯いてしまう。けれどフィノからの言葉を受け取ってくれた。
それだけでもフィノにとっては嬉しいことだ。
「何か欲しいものとかして欲しいこと、ある?」
「ええ……と」
「頑張って考えたけど、何が良いか分からなくて……誕生日なんて祝ったことも、祝われたこともなかったから」
申し訳なさそうに零すと、ヨエルはフィノの顔を見て驚きに声を上げる。
「一回もないの?」
「うん。自分の誕生日なんてわからないし、気にしたことないなあ」
元奴隷だったフィノには誕生日を祝ってくれる人は周りにはいなかった。そもそも、自分の誕生日すら知らなかったから祝いようがない。
この十年も忙しくしていたし、本人も周りも気に掛けることもなかったのだ。
けれど、元々エルフには誕生日を祝うという習慣がない。
人間よりも寿命が長いエルフやハーフエルフは、生まれた日に祝い事をすることは殆どないのだ。その者の節目の年……生まれた日と成長期の十五歳まで、それ以降は十年や五十年の節目に祝うことが多い。
緩やかに歳を取るエルフには、それくらいがちょうど良いのだ。
それでもヨエルにとってはフィノの発言はよっぽどおかしいものに映ったのだろう。
彼はとっても寂しそうな表情をして、それからぽつぽつと話し出した。
「おじいちゃん、前にいってたよ。誕生日は、生まれてきてくれてありがとうの日なんだって」
「そうなの?」
「うん。だから……誰もお祝いしてくれないのはさびしいよ」
うつむき加減で言うヨエルは、自分の事のようにそう言った。
それを聞いてフィノは少しのあいだ思案する。
「そっかあ。それじゃあ、ヨエルに祝ってもらおうかなあ」
「えっ!?」
「今日は二人分、お祝いしよう! うん、それがいいね!」
いきなりの発言にヨエルは驚いて目を見開いたまま固まっている。それでも、彼は嫌そうな顔はせずに、恥ずかしそうに小さく頷いた。
「わ、わかった」
「それで、ヨエルは何が欲しい?」
「……ほしいもの」
「そうだ。エルからは何もらってた?」
「おじいちゃんは、手作りの手袋とか襟巻きくれたよ」
――ほら、これ。
脱ぎ散らかした防寒具を指してヨエルは答える。
「むぅ、それじゃあ別のがいいね」
とはいえ、ぱっと思いつくものがない。美味しそうにパンを頬張るヨエルを目端に、うんうん悩んでいるとふいに彼が声をあげた。
「あの……」
「うん?」
「ぼく、したいことあるんだ」
緊張した面持ちで話し出したヨエルに、フィノはどうしたのだと目を向ける。
彼は視線をうろうろと彷徨わせた後、意を決してフィノへとあるお願いをした。
「りょこうに行きたい!」
「りょ、旅行ぅ!?」
素っ頓狂な声を上げると、ヨエルはイキイキとした表情で頷いた。
「ぼく、よその場所に行ったことないから、行ってみたい!」
「そ、そっかぁ……」
「おじいちゃんも外は危ないからって連れて行ってくれなかったんだ」
しょんぼりと眉を下げたヨエルの切実な願いに、フィノはどうしようかと思案する。
そもそも、エルリレオがヨエルを外に出さなかった理由は、彼が長距離を歩ける身体ではなかったし、老齢ゆえに体力もなかったこともあるのだろう。
けれど、一番の理由は今が戦時中ということにある。
メイユの街近辺は比較的、他の場所と比べても平和である。
街を囲むように聳えるシュネー山脈と、寒冷な気候は天然の要塞にもなり得るのだ。加えて大陸の最東端に位置するこの場所は、そう易々と攻め込まれはしない。
しかし、余所は少し状況が変わってくる。
アルディアとデンベルクの戦争は戦火の遠い地域でも何の影響もないとは言えない。治安は年を経るごとに悪化していき、街と街の間には野盗が出ることだって少なくはないのだ。
十年前はこんなことなど、滅多になかった。人的被害よりも魔物の被害の方が多かった。もちろん、今も魔物による問題は絶えない。むしろ増加傾向にある。
だから今のご時世に旅行など行こうものならば、それ即ち命の危険も付きまとってくるというわけである。
「……だめ?」
上目遣いで伺いを立てるヨエルに、フィノは十分に考えた上で答えを出した。
「いいよ」
「えっ! ほんと!?」
「うん」
「やった!」
フィノの快諾に、ヨエルは嬉しさ極まって座っていた椅子の上に飛び乗るとぴょんぴょんと飛び跳ねる。
それを危ないからとやめさせると、でも――とフィノははしゃぐヨエルに釘を刺す。
「大事な用事があるから、すぐには行けないよ」
「いつまで待てばいい!?」
「うぅーん。三日くらいかなあ」
「わかった!」
食べかけのパンを放り出して、ヨエルは椅子から飛び降りると自分の背嚢を引っ掴んでごそごそと中を漁りだした。
何事かとそれを遠巻きに見つめていると、彼は中身をすべて床にぶちまけるとフィノを振り返った。
「りょこうって何もっていけばいい!?」
「ええ? ……準備にはまだ早いと思うけどなあ」
先ほどまで落ち込んでいた様子など露ほども見せずに、来たる日を楽しみにしているヨエルに、フィノはやれやれと笑みを浮かべるのだった。
 




