救いの手
「そこの! 大丈夫か!?」
聞こえてきた叫び声にヨエルが顔を上げると、ケイヴベアが転げ落ちていった方向から誰かがこちらに向かってくるのが見えた。
男が駆けてくるその足元には、先ほど一目散に逃げ出したグログロがついてきている。
「グログロ!?」
「グルアァ!」
ぴょんと跳躍したグログロはあっという間にヨエルの元へと辿り着く。
頭を撫でてやると、彼は嬉しそうに鳴いた。
「おまえ、逃げたんじゃなかったの?」
「そっ……っ、そいつは私を呼びに戻ったんだよ」
息も絶え絶えに走ってきた彼は、ヨエルにそう説明した。
護身用なのか。クロスボウを肩に掛けて助けに来てくれたのは、見知らぬエルフの男だった。この人がグログロの飼い主なのだろう。
ヨエルもマモンも、彼の顔を知らず初対面である。それはエルフの彼も同じで、差し伸べてくれた手を掴んでヨエルは立ち上がった。
「あ、ありがと」
先ほどまで泣いていたヨエルは鼻を啜って涙を拭う。
その様子を見た男は恐ろしい目に遭って怖くて泣いていたと思ったのだろう。しゃがみ込んで目線を合わせると、優しげな声音で語りかけた。
「もう大丈夫だ。何が起きたのか分からないが、転げ落ちていったみたいだからきっと追ってくる事はないと思うよ」
「うん」
「ところで、君はどうしてこんな所に?」
「……家出、してきた」
ヨエルの一言に男は瞠目した。
「そっ、それで迷ってこんな所に来たのか」
「迷ってないよ。グログロが怪我してて、家に帰そうと思ったんだ」
説明すると、男はそうかと納得してくれた。
ありがとうと言って、それから困ったように顎を摩る。
「ああ、それにしても家出かあ。それだったら君、家に戻る気はないだろう?」
「うん!」
「……うん、元気は良さそうで安心だ」
明後日の方向を向いて男はどうするべきか悩み出した。
そんな彼の横で、マモンがヨエルに小言を募らせていく。
『ヨエル、馬鹿な事を言っていないで戻らないか』
「やぁだよ! ぼく、ひとりで生きていくって決めたんだ!」
『聞き分けのないことを』
――言うな、と説教をしようとしたマモンだったが、その言葉が最後まで言われることはなかった。
突然、マモンは雪の上に蹲って動かなくなってしまったのだ。
「マモン?」
心配して覗き込むヨエルに、マモンは微かに顔を上げる。
「だいじょうぶ?」
『うむ……いいや、そろそろ限界のようだ』
力なく頭を振って、マモンは項垂れる。
そんな彼をヨエルは抱き上げて腕の中に収めた。
「寝てていいよ」
『だが……』
「ぼくなら大丈夫だから!」
ヨエルを心配していたマモンだったが、急速な眠気には抗えずヨエルの腕の中ですやすやと寝息を立てて眠ってしまった。
こうして一度寝入ってしまうと、マモンはずっと起きない。昔はそんなことはなかったけれど、最近では起きていることの方が稀になっていた。
マモンはヨエルの他愛ないおしゃべりを楽しそうに聞いてくれるのだ。そんな彼がずっと眠っているのは寂しいけれど、こればっかりは仕方のないことだとヨエルも理解していた。
一度だけ、どうしてずっと眠ったままなのか。ヨエルはマモンに尋ねた事があった。その時、彼は『歳だろうなあ』としんみりと語っていた。
ヨエルが五百歳を越えるエルリレオよりもおじいちゃんなのか、と聞くとマモンは二千歳なのだと笑って答えたのだ。あまりにも突拍子もない話だったので、あれは冗談で言ったものだとヨエルは思っている。
だって、マモンはエルリレオよりも何倍も生きているのに、彼よりも知識に乏しいのだ!
それを得意げに指摘すると、マモンはこれは一本取られたな、と愉快そうに笑っていた。
徒然と想起していると、ヨエルの横で思案していた男がよし、と一声あげた。
「とにかく、ここに置いていくわけにもいかないから、私の住処に案内するよ」
「う、うん」
「ああ、怪しい者じゃないから安心してくれ」
よろしく、とエルフの男――ルフレオンはヨエルに手を差し伸べた。




