対極なエゴイズム
聞こえた音に顔を向けた直後、扉の向こう側から姿を現わしたのは見知らぬハーフエルフの女だった。
「あっ……」
フィノよりは年上であろう彼女はいきなり押し入ってきたと思ったら、菖蒲色の瞳を見開いて息を呑んだ。
彼女が驚愕を露わにしたのは、抱かれている赤子を目にしたからだろう。初めに目にした瞳の内には確固たる意思が灯っていたのに、途端にそれは揺らいでいるようにも見える。
ユルグは彼女の顔を見て、目を細めた。あの瞳の色はどこかで見た記憶があるのだ。必死に思い出そうとしていると、来訪者の背後から見知った顔が覗いた。
「お師匠!」
背後からひょっこりと顔を覗かせたのはフィノだった。
彼女はユルグの姿を捉えた瞬間に、僅かに表情を和らげた。フィノがユルグの元を発って帝都へ行っていたのは十日ほどだ。きっとその間、胸中は穏やかではなかったはず。こうして帰還したのも、相当急いで来たのだろう。
「戻ってきたのか」
「うん」
頷いたフィノの表情は暗いものではなかった。
ここを発って行った時は死人のような顔をしていたというのに……ユルグの出した無理難題に何か解決策でも見出したのか。努めてそう振る舞っているだけかも知れないが、気持ち少しだけ明るくなったような印象を抱かせるフィノは、直後になぜか歯切れの悪い返答をした。
「そうなんだけど……」
そう言って、ちらりと名も知らぬ来訪者へと視線を向けた。
どこか不安そうな顔色に、再びユルグは彼女の顔を見遣る。
「ライエは、お師匠に聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「う、うん……ええっと、その」
しどろもどろな返答をするフィノを放って、紹介された彼女をまっすぐに見据える。そこでやっとユルグは思い出した。
「確か……前に一度会ってなかったか?」
「ええ、間違ってはいないよ」
ユルグの問いかけに、ライエは静かに答えて開け放たれていた扉を閉めた。
室内に入り込んでいた寒風が途絶えて、暖炉の火が勢いを増す。パチパチと炎が爆ぜて――それの余韻が消える前に、ライエは単刀直入にユルグへと尋ねた。
「あなたが、私の父を殺したの?」
唐突な話にユルグはライエの言葉の真意を理解出来ないでいた。
彼に復讐したい者など沢山いる。例の事件で大勢の人を殺めたのだ。相応の恨みは買っているし、それも当然のことだと分かっている。
だから……ライエが誰の復讐でこうしてユルグに会いに来たのか。それが判然としないのだ。
それでも、一人だけ。脳裏に引っかかっている人物がいる。
娘に会いたいのだと言っていた、あの罪人の男。当然のことだが、彼にも家族はいたのだ。それが目の前に居る彼女だと考えるならば、何も驚くことではない。
「お前が誰の事を言っているのか分からないが……ここに来た罪人なら二人とも殺した。一人は長身で顔に傷がある男。もう一人は茶髪で小柄な男だ。名前は知らない。興味もないし、どうでも良かったんだ」
ユルグの話にライエは何かを堪えるように唇を噛みしめてただ黙って聞いていた。
ぎゅっと握りしめられた拳は微かに震えていて、必死に激情を抑えているのだとユルグは察した。きっと、ミアを殺めた男の娘が彼女なのだ。
ライエの射殺すような眼差しを一身に受けて、ユルグは抱いていたヨエルを背後にいたマモンへと手渡すと、椅子を引いてそれに座った。
大切な人の仇が目の前にいたのなら、どうするかなど考えなくても分かることだ。きっと彼女だって今すぐに父を殺した男に復讐してやりたいと思っているはず。
それに対してやめてくれだとか、話し合いで解決しようなどとユルグは思ってはいない。それを糾弾する資格もない。
復讐の連鎖はどこかで絶たなければ永遠に続いていく。新たな悲劇を生むだけだ。けれど、それをライエに押し付けるのは間違っている。
彼女が父を殺した人間を殺し返すのは、道理であり当然のことだ。だから、そんな偽善じみた役割は他の誰かがやればいい。
「俺を殺したいなら好きにしてくれて構わない」
死にかけの……既に死んでいる人間を殺しなおした所で、彼女の憎悪は治まらないかもしれない。それでも、償いというわけでもないが何もしないよりは遙かにマシだ。既に自分の命には執着などしていないのだから。
「……っ、お師匠!」
勝手な事を言い出すユルグに、それを聞いていたフィノは声を荒げた。けれど、両者の間に割っては入ることはない。
この件に関しては部外者であると、フィノは理解していてあえて傍観者に徹しているのだ。それはマモンも同じだ。
抵抗はしないと告げると、ライエはユルグの態度を目にして息を呑んだ。けれど、彼女はそれに頷くことはしなかった。
「ちっ、ちがう……私は。私は、話をしにきたの」
険しい表情をしていた彼女は、努めて平静を装ってユルグと対面するように椅子に座る。
ライエの答えにユルグは困惑した。てっきり有無を言わさず報復されるものだと思っていたからだ。
驚きに瞠目していると、対面した彼女は手元に視線を落とす。気持ちを言葉にするのに手間取っているのか。少しだけ言い淀んだ後にライエはゆっくりと、ユルグの目を見て話し出した。
「父がどうして殺されたのか。彼が誰かを殺めたのなら、どうしてそんなことをしたのか。私はそれを知りたいの」
「俺が憎くはないのか?」
「あなたを恨んでないとは言っていない。それでも……何も知らないまま、あなたを断罪することは出来ない。父が何か間違いを犯したのなら、償いをするのは私の方。だから、きちんと見定めてからでも遅くはないと思ったの」
「そうか……」
ライエは誰よりも冷静だった。ともすれば冷徹とも捉えられる考え方だ。
大切な人を殺されて、その仇が目の前にいて。自制を保っていられるのは並大抵のことではない。状況は違えど、ユルグはここまで冷静ではいられなかった。
そんな彼女の気持ちに応えるべく、ユルグは自分の知っている事実を嘘偽りなく語った。
「俺も全てを知っているわけじゃない。ただ……お前の父親は俺の妻を殺した。何の抵抗も出来ない一般人をだ」
「そっ、父がそんなことをするわけ」
「そうだろうな。殺した後にすまなかったと俺に懺悔してくるくらいだ。お前の父親は善人なんだろう。だが、それが知れたからって俺があいつを生かしておく理由にはならない」
ユルグの発言に、ライエは押し黙った。
未だ混乱しているであろう彼女を置き去りにして、ユルグは続ける。
「そんな馬鹿な事をしでかした理由はなんだったと思う?」
「……それは」
「どうしても娘に会いたかったからだと言っていたよ」
その一言を聞いた瞬間、ライエは目を見開いて……それから両手で顔を覆った。
悲しんで泣き出すかと思ったが、ユルグの予想に反して彼女が曝け出した胸の内の感情は、哀しみではなく怒りだった。
「そっ、そんなの! 誰かを傷つけてまですることじゃないのに!」
ライエは取り返しの付かない、馬鹿げた事をしでかした父親に怒っているのだ。
予期していない反応に対面していたユルグも、傍観していたフィノも驚きに目を円くする。
「私は二度と会えなくても良かったのに……生きてさえいてくれれば、それで」
彼女は消え入るような声で呟くと、目尻に浮かんだ涙を拭って立ち上がった。
「今更謝ったところでどうにもならないけれど……ごめんなさい」
「別にお前のせいじゃない」
「いいえ、半分は私の責任。だから謝罪させて。それで私たちの間にある遺恨は全て帳消しにしましょう。……あなたが良しとしてくれればだけど」
「……わかった」
頷いたユルグを見て、ライエは一瞬安堵したような表情を見せた。
なんとか落着をみせたようで、ハラハラと二人の対話を聞いていたフィノはほっと息を吐く。
「ライエは、お師匠のこと許してくれるの?」
「先に手を出したのは父の方だから。それに、もし無実の罪で殺されたとしても……私は報復で誰かを殺したりはしなかったと思う」
「なんで?」
「父は……あの人は、私にそんなことは望んでいないからかな」
フィノの問いかけに、ライエは力なくはにかんで答えた。
つまるところ、彼女は故人の遺志を尊重したのだ。それはともすれば自分勝手で傲慢とも取れる。
ユルグとライエ。この二人は対極なのだ。
自らの意思に従って復讐を始めたユルグ。父親の遺志を想って、それを汲んだライエ。
どちらも間違いだとは言えない。結局は、残された人がどうしたいかなのだ。大事なものを失って、そうやって折り合いを付けなければ一歩も前に進めなくなる。
だからこれは、二人にとっては必要なことなのだろう。
「私のわがままに付き合わせてしまって、ごめんなさいね」
「う、ううん。いいの」
「それじゃあ私は帰るよ」
フィノに軽く挨拶をすると、彼女はわだかまりを残すことなく去って行ってしまった。




