不穏な賭け事
そうと決まれば、フィノは早々に旅の支度を始めた。
といっても荷物は多くないので、テーブルに散らかしていた写しの束と諸々の荷物を背嚢に詰めて背負う。
壁際に立て掛けていた剣を手に取ると腰に下げて、外套を羽織ったら準備は完了だ。
最後にアリアンネへ一言、ユルグの元へ向かうと言付けておこうと彼女が居るであろう執務室へ顔を出すと、そこには見知った顔が揃っていた。
「あれ? なんでここにいるの?」
忙しなく雑務をこなすアリアンネの傍ら。部屋の中央に備えてあるソファに優雅に座っているのは、メイユの街に居るはずのカルロだった。そしてその隣で身体を縮こまらせて恐縮しているレルフ。
どちらもこの場に居るはずのない人物である。
顔を見せたフィノに二人はそれぞれ異なる反応を見せた。
カルロは出されたお茶を飲みながらいつも通り、飄々としながらフィノへと笑みをみせた。どんなことにも物怖じしない彼女は、アルディア帝国皇帝が同じ部屋に居てもさして変わらないらしい。
けれどレルフは違った。
彼は終始畏まった様子でとても萎縮している。この場合それが当然の反応である。カルロが怖いもの知らずなだけだ。
そんな彼はフィノの顔を見て、藁にも縋るような勢いで手を握ってきた。
「いっ、今までどこに行っていたのですか!?」
「えっ!? な、なに!?」
「私どもを放って置いて……貴女様のすべきことは沢山あるのです!」
さあさあ、と手を引かれるままレルフの座っていた正面へと引きずられて行くと、何やらぶつぶつと小言が始まった。
この大事な時に何をしていたのか、とか。これから忙しくなるのに、など。
彼の文句はさして聞かなくても大差ないと判断したフィノは、右から左へと聞き流してカルロへと目配せをした。
するとそれの意図を察して、彼女は気怠そうに口を開いた。
「私はこのクソ爺の付き添い。本当はこんなことしたくないんだけどさあ。フィノも無関係とは言えないし、そうなるとこの人だけに任せておくのはマズいでしょ? だから渋々付き合ってやってるってわけ」
お茶請けの菓子を口に放り込んでカルロは投げやりに説明した。けれど、フィノにはいまいち状況が掴めないでいた。
「……付き添いって? レルフ、なにかしたの?」
彼がここに居るということは、アリアンネが招集したのだろう。けれどレルフは小さな村の村長だ。ハーフエルフでもあるし権力なんて皇帝の足元にも及ばない。
そんな彼がこの場に呼び出される理由が、フィノにはどうにも結びつかないのだ。
「カルロよ、誤解を招くような言い方はやめんか」
「誤解ってどこがあ?」
「此度は皇帝陛下直々のお召しに預かったのだぞ!? それをこのような言い草……」
「別に本人が気にしてないなら良いんじゃないの?」
カルロはちらりとアリアンネへと目配せをする。
すると彼女は「構いませんよ」と答えた。
「ほらぁ、皇帝陛下もああ言ってるんだし、おじいちゃんは気にしすぎだって」
「だが……」
「せっかく出されたお茶も冷めちゃってるし、やっぱり私が付いてきて正解だったね」
彼女の恩着せがましい物言いにレルフは何も反論しなかった。
話が一段落して冷めたお茶を啜るレルフを尻目に、フィノはおずおずと切り出す。
「それで、何の用事があってここにいるの?」
「ん? ああ、そういえば言ってなかったね。皇帝陛下から聞いてない?」
カルロの質問にフィノはかぶりを振る。心当たりのありそうな話などアリアンネからは聞いていない。
それについて彼女の方へ目を向けると、アリアンネは作業の手を止めてフィノの疑問に答えてくれた。
「ここ数日忙しそうにしていたので、話す機会を窺っていたのですよ」
彼女の言葉通り王城に滞在している間、フィノは忙殺されていた。
匣の製造に試行錯誤して、空き時間には解読作業。どちらも限られた時間でやらなければならないものばかりだ。だから余計なことに時間を割く余裕はなかったのだ。
もちろん今もそうなのだが……成り行きで足を踏み込んでしまった以上聞かないわけにはいかない。
「ええと……それで、その話ってなに?」
「先日ラガレットの公王サマが死んじゃったでしょ? 本来なら後継者を立てるのが筋なんだけど、彼の後継……というか一族が皆死んじゃっててさあ。いやあ、偶然ってやつ? 怖いねえ」
はははっ、と笑いながらカルロは含みのある物言いをした。
今のはフィノでも理解出来た。今しがたカルロが話した一件にはきっとアリアンネが関与しているのだろう。彼女の目的は不明だけれど、ラガレットとの国境を開いたのだ。秘密裏に手を回すにはそれほど苦労はしなかったはず。
「上に立つ者がいなければ国は立ち行かないもの。近い将来にはラガレット国内では様々な混乱が招かれるでしょうね」
「……つまり?」
「元々、ラガレットはアルディア帝国領だったのです。この機会に併合してしまおうという考えなのですが……わたくしの采配でも出来る事は限られている。なので、彼に協力してもらおうと思って、遙々お越し頂いたのですよ」
笑みを湛えて答えたアリアンネに、フィノは彼女とレルフを交互に見遣る。
「んぅ……全然わからない!!」
「言うが易し。亡国であれ、一国に関与するには相応の問題が付き物なのです。国民からは理解を得られるでしょうけれど、利権を貪っていたであろう貴族たちは抵抗するはずです。なので、その矛先を分散させようという魂胆で、今回は彼に助力を乞う事にしたのですよ」
アリアンネのご高説に、それを聞いていたカルロは表情を歪めた。
「うわあ……もう隠す気ないじゃん。まあ、それ分かってて手を取るこっちもこっちなんだけど」
「そのような言い方をしなくとも、わたくしは懸命な判断だと思いますよ」
「うっ……フィノはよくこんな人と仲良く出来るね。私は無理」
おくびもなくきっぱりと言い切ったカルロは苦い顔をしてお茶を啜る。
けれど、フィノには肝心な核心部分が未だに掴めていなかった。
「レルフはアリアに何を頼まれたの?」
巡り巡ってレルフに問い質すと、彼は待っていましたと言わんばかりに話し出した。
「新たに国を興す為に、上に立って欲しいと……っ、これは私どもの大願を果たす絶好のチャンスです。みすみす逃す手はありますまい!」
嬉々として語るレルフの様子を見て、フィノは瞬時に察する。いや、きっと誰が聞いても同じことを思うはずだ。
「んー……それ、利用されているだけじゃないの?」
こんな上手い話に裏がないなんて、そんな都合の良い話はないはずだ。
現に先ほど、アリアンネも仄めかしていた。反乱を抑える為に新たな国を興して反乱分子の目先を逸らす。
そして帝国はその後ろ盾に付く。多少は自治に介入はしてくるだろうが……アリアンネのことだから、よほどの事がない限り強攻策に出ることはないだろう。
フィノの指摘にそれを聞いていたカルロはうんうんと何度も頷いている。けれど、レルフはそれになびく様子はない。
「それは百も承知です。ですが、この機を逃せば二度と好機は訪れないでしょう。私どもは賭けることにしたのです!」
「そ、そうなんだ……」
ギラギラとした眼光を向けて力説するレルフに、フィノはたじろいだ。そんな彼女の肩を掴むと、レルフは尚も続ける。
「しかし、この老いぼれが上に立とうなどとは思ってはいません。ひいては貴女様にお役目を譲るのが筋であると考えて――」
「えっ!?」
いきなりの発言にフィノは目を見開いて固まった。まさかそんな話をされるとは微塵も思っていなかったのだ。
そもそも、一国の王になろうなどとフィノは考えてもいないのだ。
「いっ……いやだ」
そろそろと眼差しから目線を逸らすと、レルフは喉奥からくぐもった声を上げた。
「なっ、なにを言い出しますか!? 貴女様ほど、適任はおりますまい!」
確かにレルフの言う通り、フィノ以上の適任もいないのだ。
ハーフエルフで魔王を倒した英雄。肩書きはこれ以上なく申し分のないもの。レルフがここまで推してくるのも分からなくもない。
それでも――
「フィノにはやることがたっくさんあるんだから、無理言わないの!」
フィノの想いをカルロが代弁してくれた。
国王になるつもりはない、というのは本当のことだけどそれ以上に、そんなことにかまけている暇はフィノにはないのだ。
ユルグにやれと言われたわけではない。けれど、師匠のやり残した事は弟子が果たさなければ。それがどれだけ無謀なことでも、彼の無念を傍で見てきたフィノが諦めるわけにはいかないのだ。




