唯一の秘策
誤字修正しました。
――その頃。
フィノはアルディア帝国領、帝都ゴルガへと滞在していた。
「はあ……」
大きな溜息を吐いて、自室として使わせてもらっている王城の客室内に備えてあるソファにぐったりと寄りかかる。
フィノがここに滞在して、既に八日ほど経とうという所だった。
ソファと対面しているテーブルの上には石版の写しが無造作にばらまかれている。けれど、彼女の今の溜息は解読に難航しているとか、頭を使いすぎて疲れたとか。そんなもので嘆息したのではないのだ。
フィノの今の心の重石となっている憂慮は、ユルグに言われた一言にある。
彼女のお師匠であるユルグは、フィノへと魔王の譲渡にあたっての条件を提示した。
『瘴気をどうにか出来る方法を見つけろ』
誰が聞いても無理であると断じる事を、彼はやれと言うのだ。それが果たせなければマモンを継がせられないとも言った。
しかしだからといってフィノが諦めることはなく……だったらどうすればいいか。それを懸命に考えた結果、こうしてここに居るのである。
ユルグを皆の待つメイユへと送り届けた後、フィノは脇目も振らずにこの場所。アリアンネの元を尋ねた。
というのも――ある妙案を思いついたからである。
ユルグがあそこまで頑ななのは、自分と同じ運命を辿って欲しくはないからだ。
瘴気の毒はどんな生物でも……たとえ魔物であろうとも悪影響を及ぼすものである。世界から瘴気を無くす手段がない現状、それをどうにかするには歴代の勇者及び魔王のように、自己犠牲を賭すしかない。
当然、次にマモンを継いだ者にもその運命は待ち受けているだろう。
つい先日に魔王が討たれて、盛大な狂言を仕組んだところで世界は何も変わりはしない。ログワイドがマモンを創り出した二千年前に戻っただけだ。
けれど、お師匠の憂慮を晴らせるある秘策をフィノは思いついた。
その秘策とは、大穴の祠に安置されている匣についてだ。
素人目から見た意見だが、あの匣があれば一応瘴気を抑えることは出来る。勿論そこには限度はあるが……もし、あれが量産出来る代物であるならば可能ではないのかと考えたのだ。
それをマモンに提言すると、彼は芳しくない唸り声を上げて答えてくれた。
曰く、例の匣は製造方法も何もかも秘匿されていてマモンでさえも知らないのだという。それを知っているのは匣を創りだしたアルディア皇家だけであるのだそうだ。
帝国は軍事力も他国に追随を許さないほどに強大だけれど、匣の製造方法を握ることで覇権を取っているのだと、マモンは説明してくれた。
代々の皇帝は野心が強い者ばかりであり、それを手放そうとしなかった。匣が出来てから今まではそれを巡って幾度か国家間の争いも起こったのだという。
けれど、現皇帝……アリアンネならば秘匿されていた製造方法も教えてくれるのではないだろうか。
それがフィノの考えた秘策である。
――八日前。
勇み足でアリアンネの元へ再度尋ねると、彼女は快く承諾してくれた。
国家間の争いや外交問題もあるからと個人利用に留めることを確約されたけれど、フィノにとっては十分な成果である。
しかし、問題はここからだった。
「匣の製造方法は分かっているのですが、それを実際に創るとなると難しいでしょうね」
困り顔で言ったアリアンネは、執務室で書類の束に身体の半分を埋めさせて嘆息した。
彼女がこうして忙殺されているのは、先日の後始末の為なのだが……当事者であるフィノには今それを手伝ってやれる暇はない。
すかさず、フィノは子細を尋ねる。
「どういうこと?」
「あの匣は魔法由来のものなのです。製造方法は知れていても技術がなければ新たに創り出すことは出来ません」
「だ、誰か創れる人、いないの!?」
身を乗り出して問い質すフィノに、アリアンネの表情は優れないまま。
「千年前ならば技術者も存命でしたでしょうけど、残念な事にエルフの寿命は五百年です。言わずもがなですね」
「じゃ、じゃあ結局無理ってこと!?」
肩を掴んで詰め寄ってくるフィノに、アリアンネはされるがままで……けれど、先のフィノの言葉はきっぱりと否定した。
「無理と断ずるのは早計ですよ。匣の製造には魔法技術の精度がものを言うのです。ですから……技術者がいないのなら貴女が創るしかありませんね」
「うっ……私が?」
いつもの微笑を浮かべて、アリアンネは頷くのだった。
===
匣の製造には、純度の高い魔鉱石が必要である。それも、手のひら大ではなく、腕で抱えられるくらいの大きさの物。
そういったものは鉱山から採掘するのでは効率が悪い。魔物が体内で結晶化させているものを使った方が良いのだとアリアンネは言っていた。
第一段階でもそれなりの手間が掛かるのだが、問題はこの次の工程だ。
器が用意出来たのならそこに瘴気を溜め込んでおけるように魔法効果を付与しなければならない。つまり、永続効果のあるエンチャントを施すのだ。
とはいえ既存の魔法で瘴気を吸収出来るものなどない。これについては自らで創り出すしかないそうだ。
魔術師や神官などの適正関係なく、新しく魔法を創り出すのならば得手不得手はあるだろうが素質は関係ないらしい。流石に魔法を扱えなければお話にはならないが……とはいえ、魔術師に攻撃魔法以外を求めるのは酷な話である。
というのも、攻撃魔法と補助魔法を使用するにあたって、それぞれの発動感覚がまったく違うのだと以前にユルグが説明してくれたのだ。
勇者である彼は魔法を何でも使えるが、だからといって容易く扱っているわけではない。
系統別に明確な違いというものがあるらしい。もっともそれは感覚的なものだからユルグも説明は難しいが、と唸りながらフィノでも分かりやすいように言い表してくれた。
曰く――『熱した液体と冷えた固体』のようなものだ、とユルグは言った。
どうあっても相容れないもので、だからユルグも魔法の習得には難儀したのだそう。一方のコツを掴んでも次にはまったく違う方法で魔法を扱う事になる。かなりの練度を必要として一朝一夕とはいかないらしい。
とはいえ、物は試しという。
挑戦する前から無理だと決めつけるのは御法度だ。
意気込んで挑戦したものの……結果は散々なものだった。
失敗するごとに貴重な魔鉱石は粉々になりダメになるし、上手く魔鉱石へエンチャントを成功させてもそれを永続させるのも至難の業である。
通常の魔法付与は短時間だけだ。その理由は持続すればした分だけ魔力を消費してしまうから。それとエンチャントにはかなりの集中を要するのだ。
短時間ならば可能だけれどそれを何時間もとなると疲弊しきってしまう。
これの解決法は複数人で製造に挑むことである。現存の匣を創りだした時も一人で成し得てはいないと言うし、人数を集めて製造するのが正攻法みたいだ。
けれどそれは同レベルの魔法精度、技術を持った者に限る。
つまり、すぐには出来る代物ではないのだ。
===
「……どうしよう」
ソファの背もたれに寄りかかって、フィノは唸り声を上げた。
時間を掛ければ匣を創り出す事は可能だ。それが判明しただけでも十分な成果といえる。けれど、それを用意するには時間が足りない。
物資も人も、なにもかも。
当然、それをユルグが待てるとは思えない。今の彼の状態を見て長くはないことはフィノだって知っていた。
だから急いでいるというのに、どうあっても不可能なのだ。
となれば……今ある手駒でユルグを説得するしかない。
仮にフィノがマモンを継いだとしても、彼に瘴気を浄化させなければ自らの寿命を縮めることにはならないのだ。
そこを上手く説明してユルグに納得してもらえればなんとかなりそうではある。




