夜更け
ユルグの次の目的地であるスタール雨林は、ヘルネの街から南東に位置する。
途中まで街道を行き、そこから獣道を進むと辿り着けるのだ。
そこからスタール雨林を抜けてアルディア帝国に入るわけだが、それを思えば何日かかることやら。
何はともあれ、連日野宿を迫られるあたり過酷な旅になるだろう事は容易に想像できた。
「――遅い」
歩を止めて、ユルグは背後を見据える。
彼の後ろにはフィノが着いてきているのだが、先ほどからその距離は少しずつ離れていた。
夜のうちに雨林の入り口まで行こうとは思っていないが、出来るだけ街からは離れたい。
そう思って多少歩く速度を上げていたのだが、フィノがそれに着いてくるのは難しいみたいだ。
「疲れたのか?」
「んぅ……だいじょうぶ」
口ではそう言うが、説得力は無い。
足取りも心なしかフラフラしているし、カンテラに照らされた表情はとても眠そうに見える。
「眠いんだろ」
「んぅ」
フィノは違うと言った様子でかぶりを振る。
頑なな態度はユルグに迷惑をかけまいとしているからだ。
確かに、ユルグもフィノに対して足手まといになるようなら置いていくと言ったことはある。
けれど、以前ならばいざ知らず今は少し違う。
「休みたいならちゃんと言ってくれないと分からない」
「でも、ユルグ」
「手間をかけるなと言ったが、無理してお荷物になられたらそっちの方が迷惑だ」
――だから、無理はするな。
そこまで言ってやると、フィノは素直に頷いた。
「そこの木陰で休憩しよう」
思い返せばフィノは、一日中店で働き詰めだった。
そんな状態でずっと歩き通すのは不可能だ。
「不寝番は俺がするから、夜が明けるまで寝てろ」
「んぅ、わかった」
火を焚き付けてその傍に座り込むと、フィノは背負っていた荷物を置いて背嚢から寝袋と毛布を取り出した。
そうしてちらりとユルグを見て、それからおずおずと近付いてくる。
その様子を不審に思っていると何を言うでもなく、フィノはユルグの隣に腰を下ろして寝袋の上で丸まった。
何をしたかったのかよく分からないが、少しすると微かな寝息が聞こえてきた。
フィノが寝入ったのを確認して、ユルグは巻いていた包帯を外す。
回復魔法の効果もあり、傷は塞がりかけていた。
あと一日置けば傷跡は残るが痛みはなくなるはずだ。
新しい包帯に変えている間に、脳裏に過ぎるのは昼間ヘルネの街で会ったミアのことだった。
あの時、彼女にユルグの正体を見抜かれていたらどうなっていたのか。
仮定の話は無意味でしかないが、自分はどうしていたのか。
こんな静かな夜には、考えずにはいられないのだ。
なぜユルグを探していたのか、ミアの目的は分からない。
それでも彼女が全てを水に流して一緒に帰ろうだとか、一緒に暮らそうなんて。
そんな事を懇願してきたのなら、なんと答えただろう。
なんとも都合の良い妄想であることは十分承知の上だ。
だとしても、ユルグは首を縦には振らなかったろう。例えミアが許したとしても、それだけは出来ないのだ。
あの時、村でミアに言われた言葉は間違いではなかった。
今になって冷静に考えてみると、変わってしまったのはユルグも同じだ。
けれど、それはもうどうしようもない事なのだ。
きっとミアの望むような幼馴染みのユルグには戻れない。
ふと、隣で寝ているフィノに目を向ける。
彼女にとって、ユルグが勇者であるということはどうでも良いのだろう。
なぜ旅をしているのかも。どこに向かうのかも。然程気にしてはいない。
フィノにとっては、それらは有象無象の塵芥なのだ。
ただユルグと離れたくないだけ。それだけでこうして着いてくることを選択した。
それが親愛の情から来るものなのか、それ以外の何かなのか。ユルグには未だ判然としない。
それでも、フィノの目に映っているのは、ただのユルグなのだ。
「……俺しかいない、か」
ラーセに言われた言葉を思い出して、嘆息する。
フィノを見ていればそれは間違いでも何でも無いのだろう。
けれど、果たしてそれが良いことなのか。
「俺だけなんて、可哀想なやつだよ」
誰にともなく呟いて、篝火の中で爆ぜる火の粉を目で追う。
静寂の中、夜は更けていく。




