終わりが近付く音がする
部屋の外から聞こえてくる慌ただしい物音で、フィノは目を覚ました。
テーブルに突っ伏してうたた寝していた身体は、覚醒後でもすぐに動いてくれた。傍に立て掛けてあった剣を手に取ると、すぐさま部屋の外へと向かう。
フィノが使っている客間は、玉座の間からは離れた場所に位置している。どれだけ急いでも、数分の時間はかかってしまう。
逸る気持ちを押し殺して走り出したフィノの視界の先には、慌ただしい戦闘の痕が見えた。
いくらアリアンネが警備の兵を減らしているとはいえ、無人というわけにはいかない。要所には最低でも一人は配置している。王城の入り口から玉座の間にかけて、階段の出入り口や部屋の入り口など。
けれど、それらの兵士は一様に赤い絨毯の敷かれている床に倒れていた。おそらくユルグがのして強行突破していったのだろう。
それらを辿ってフィノも廊下を走り抜ける。床には赤い絨毯の上にさらに染みを作る、夥しい量の血痕が残っていた。
……これを撒き散らしたのは誰なのか。
城の兵のものだと思ったが、彼らの外傷はこんなにも血が溢れるほどに深くはなかった。
「……怪我、してるんだ」
ユルグとの決闘時でも、彼はこのような深手は負っていなかった。おそらく、国王を始末した際によほど無茶を通したのだろう。そして、ろくに手当もせずにここまできた。
フィノの目から見ても今のユルグは相当弱体化している。一年前……彼と出会った頃に比べたら動きにキレはなかったし、身体はボロボロで五体満足でもないのだ。当然ではあるが……それでも尚、無理をして王殺しを遂行しようとしていることはフィノも、ユルグの傍に居るであろうマモンも理解しているはず。
今から殺そうとする相手を心配するのは可笑しな話だ。それでも進んで茨の道を行く師匠を案じるのは弟子として当然のことである。
===
玉座の間、正面の大扉まで辿り着いたフィノは、そこで見知った人物と鉢合わせることになる。
「マモン!?」
『……っ、フィノか?』
見慣れた鎧姿のマモンが、玉座の間への出入りを封じるように開け放れた大扉の前に立っていた。その周辺には彼に挑んで敗れたであろう兵士が幾人か床にのびている。
呻き声を上げて起き上がれない所を見るに、マモンに手酷く痛めつけられたみたいだ。
『なぜお主がここに居る? ……いや、野暮な質問か』
「私はお師匠を殺す為に来たの」
フィノの決意を聞いたマモンは、驚愕に息を呑んだ。
『な、何を馬鹿な事を……あやつを止めるのではなかったのか!?』
「そんなの、無理ってことはマモンも知ってるでしょ」
『……っ、だがそれではあんまりではないか』
項垂れて頭を振るマモンに、彼もこの結末には納得などしていないのだと知る。
魔王ではあるけれど、それでもマモンはユルグの行く末を案じているのだ。そんな資格は彼にはないのかもしれない。きっとそれはマモンが一番理解している。けれど、彼には歩みを止めずに突き進むユルグを見限ることなど出来なかったのだ。
だから、マモンはここで門番をしている。これから殺されるアリアンネを放って、彼は自分の役割を見定めたのだ。
だったら……フィノがここで足踏みをしているわけにはいかない。
『その様子では、何を言っても無駄らしいな』
「うん」
『ならば……何も言うまい。ユルグはこの先だ。終わらせてやって――』
道を開けようとしたマモンの前方。フィノの背後から、騒ぎを聞きつけた兵士の足音が聞こえてくる。
それを目にしたマモンは、続く言葉を飲み込んだ。
『……通りたければ、力尽くでこじ開けるのだな』
途端にマモンは戦闘態勢を取る。立ち塞がる巨体を見つめて、フィノは彼が何を思ってこんなことを言い出したのか理解した。
これから魔王を倒す……その役目を負っているフィノが共犯だと彼らに思われては、アリアンネの計略が水の泡になるのだ。それを危惧してマモンはあのような台詞を吐いた。
だったら――
「任せて」
剣を抜いたフィノは一度マモンを見つめて……それから彼に向かって走り出した。けれど、律儀に相手をするつもりはない。きっとマモンだってそのつもりだろう。
その証拠に、股下を通り抜けようとしたフィノの意図を察したマモンは、あえて大振りで隙のある鉄拳を見舞ってきた。
頭上からの大振りの一撃は避けるのは容易い。姿勢を低くしてそれを避けると、フィノはマモンの股下を通過して玉座の間の内部に潜入することに成功した。
ちらりと背後のマモンを見遣ると、彼はその場から動かずに群がってくる兵士の相手をしている。
マモンはここから先には部外者を入れない算段なのだろう。ユルグとアリアンネ、それとフィノの三人きりにしてくれる。それに感謝して、敷かれた絨毯を踏みしめてフィノは前へと進む。
もう走って追いかける必要は無い。
フィノが追い求めていた人は、これ以上どこにも行かないのだから。




