旅立ちの準備
「旦那が昔使ってたものだけど、存外イケるもんだね」
明らかに男物の革鎧に身を包んだフィノを見つめて、ラーセは満足げに頷いた。
「これはどうしたんだ?」
「死んだ旦那が冒険者をやっていてね。それのお古だよ。使えなくはないと思って引っ張り出してきたんだけど、どうだい」
「身体に合わせて調整すれば問題ないな」
試着してみただけの姿は身体にフィットしていなく、ぶかぶかのままだ。あれでは防具の意味を成していない。
フィノを手招きして近くに来させると、ユルグは革鎧に手を掛けた。
つなぎ目とベルトを調整して、身体に合うサイズに仕立てる。
鎧の胸当て部分も、男物だというのに違和感はない。
「胸がなくて良かったな」
「――っ、ひどい!」
「あんたねえ、言って良いことと悪いことってのがあるんだよ」
二人の非難の眼差しがユルグへと向けられる。
「貶しているんじゃなくて、褒めているんだ」
「んぅ……そーいうことじゃないの!」
ぷんすかと腹を立てているフィノを放って、ラーセが持ってきた古箱に目を向ける。
「この中の物は好きに持ってても良いよ。どうせもう使わない物だからね」
「助かる」
箱の中身は使い古されたであろう剣が数本と小ぶりのナイフ、携帯用ランタンに皮の寝袋など――冒険者の必需品と言える品物が納まっていた。
これもおそらく、亡くなったといっていたラーセの旦那が使っていたものだろう。
今夜街を出るつもりではあったが、準備不足は否めなかった。
有り難く頂いていこう。
自分用に剣を二本、手にとって背負う。
フィノにも持たせるべきだが、これは少し重いはずだ。
「剣は握ったことはあるか?」
「んぅ……」
否定するようにフィノはかぶりを振る。
「だったら……こいつで十分か」
フィノに与えたのは小ぶりのナイフ一本。
ずっと箱の中にしまっていたから手入れは十分とは言えないが、無いよりはマシだ。
後で暇を見つけて手入れをしてやれば良い。
他には雨よけの外套を着せて、肩紐付きの雑嚢と背には十分な量を持ち運べる背嚢を背負わせる。
「これじゃあ荷物持ちだよ」
見ていたラーセが苦言を呈した。
もちろん、動きに制限が掛かるほどの物は持たせないつもりだ。
けれど、戦闘経験のないフィノが出来ることと言えば、精々荷物持ちくらい。
「この扱いじゃ不満か?」
「んぅ、だいじょうぶ」
「だそうだ」
問題は無いなと零したユルグに、ラーセは息を吐いた。
まだ不満はありそうだったが、それ以上何も言ってはこない。
背嚢に水、携行食、寝袋等……色々と詰め込んでいると、ラーセがサンドイッチの包みを寄越してきた。
「行きがけにこれでも食べていきな」
「いいの?」
「もちろん。あとこれは、今日まで働いてくれた賃金だよ」
フィノに渡された袋の中身を覗くと、予想よりも多い額が入っていた。
「これ、少し多いんじゃないか?」
「それはあたしからの餞別。路銀が多くて困る事なんてないさね」
「それは、そうだが」
ユルグにはどうして彼女がここまで良くしてくれるのか、それが分からない。
初めて会った時から思っていた事だが、お人好しと言い切るには少し不自然に思える。
「どうしてここまで良くしてくれるんだ」
「そうさね……慣れているつもりだったけど、あたしも寂しいんだよ。だから余計に世話を焼いてしまったんだろうね」
しみじみと語るラーセはいつもの彼女からは想像も付かない程、物憂げな表情をしていた。
「旦那は随分と昔に亡くなったし、一人娘は首都で暮らしてる。こんな店は畳んであっちで暮らさないかって誘われもしたけど、どうしてもそんな気にはなれなくてね」
彼女の口ぶりから、この店には並々ならぬ愛着があることが伺えた。
一人で店を切り盛りしていたのだ、それは疑う余地はない。
「ラーセさん、ひとり?」
「なんだい……あんたがそんな顔する事はないんだよ」
哀しそうな顔をするフィノの頭を撫でて、ラーセは続ける。
「本当は、あんたにはもっとここに居て欲しいんだ。でも、あたしが引き止めたって無理矢理にでも着いていくだろ?」
「……んぅ」
「自分で決めたことなら、そんな顔してないで笑って行きな。その方があたしも気分が良いってなもんだよ」
彼女の胸に抱きついたフィノをあやすように、ラーセはぽんぽんと頭を叩く。
ユルグは、フィノを森で助けてこの街に連れてきただけ。
右も左も分からなかった彼女をここまで変えたのはラーセの教育があってのことだ。
思い入れは人一倍にある。それは隣で見ているだけのユルグにも理解出来た。
フィノにとって、ラーセは母親のような存在なのだろう。
笑顔になったフィノは抱きついていたラーセから、名残惜しそうに離れた。
「それで、あんたはこの街を出てどこへ行くつもりなんだい?」
旅の準備も整ったところで、ラーセはユルグへと問いかけた。
それにユルグは地図を取り出すと、テーブルへ広げて説明をする。
「スタール雨林を通り抜けて、アルディア帝国に入ろうと思う。街には近付かないつもりだ」
デンベルクにはルブルクという首都があり、ここヘルネの街からは二日歩き詰めで辿り着けるほどには距離がある。
けれど、国内に指名手配されているのなら、首都に行っても状況は変わらない。
だったら、無駄に行動範囲を広げないでさっさと国から出た方が得策だと判断した。
スタール雨林とは、ここから南東に進んだアルディア帝国との国境に位置している密林である。
言わずもがな、関所を通るのは避けたい。
であれば、この雨林を抜けるより他はないのだ。
それを聞いてラーセは顔を顰めた。
「悪いことは言わないから、あそこは止めといた方が良いよ。地元の人間でも立ち入る奴はいないんだ」
彼女の懸念は、ユルグにも覚えのあるものだった。
以前、仲間たちと旅をしていた時もこの一帯には足を踏み入れることはしなかった。
環境は過酷で、腕試しなどで抜けるには労力に見合わないからだ。
それ故にここを通る人間もいないし、そんな物好きはいないと思われている。
「だからだ。俺には都合が良い」
ユルグの目的地を聞いて、ラーセはかぶりを振る。
溜息交じりのそれは半ば諦めているようにも思えた。
「その様子じゃこれ以上言っても意味が無いね。仕方ないねえ……気をつけて行くんだよ」
「んぅ!」
「この男に愛想が尽きたら、いつでもここに戻ってきても良いんだからね」
「んぅ、ありがと」
別れの挨拶を済ませて、フィノは先に店の外へと出た。
次はいつここに戻ってこられるかも、分からない。
世話になったのはユルグも同じだ。最後くらい失礼の無いようにしなければ。
ユルグは嵌めていた仮面を外して、素顔を晒す。
「世話になったよ、ありがとう」
「なんだい……随分と男前じゃないか。あんな手配書なんて当てにならないってことだね」
ユルグの顔を見たラーセは驚きに目を見開いた。
けれどそれも一瞬のこと。
彼女は微笑んで、それから念を押すようにユルグへと声を掛ける。
「あの子のこと、頼んだよ」
「ああ――それじゃあ」
ラーセの言葉に頷いて応えると、手を上げてユルグはフィノを追って店の外へ向かった。