人殺しの覚悟
美味しい食事をごちそうになってラーセと別れると、フィノはすぐさまヘルネの街を出た。
隣国のルトナーク王国へは、以前と同じ手段で入ることとなる。国境に広がる迷いの森を抜けるのだ。
ここはフィノがユルグと初めて出会った場所だ。あの時は自分が明日生きているのかも知れなかった。常に死と隣り合わせの状態。ユルグはそんなフィノを救ってくれた。彼はただの気まぐれでフィノを助けてくれたけれど、それだけでも十分すぎる程だった。
――なんて、感傷に浸るのはまだ早い。
「……もう少しで、お師匠と会えるんだから」
すべてが終わったら、好きなだけ思い出話に花を咲かせればいい。
もちろんユルグも一緒に。こんなこともあったね、と笑い飛ばそう。そうやって笑い合える日がきっと来る。何が何でも来させるのだ。
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薄暗い迷いの森の中で一泊して、国境を抜けたのは昼頃だった。
陽の光に瞳を細めて、森の出口でフィノは地図を広げる。
こうしてルトナーク王国を歩くのはフィノにとっては初めてのことだ。奴隷であった頃は自由に外を歩かせてはもらえなかったし、荷馬車に揺られて荷物扱いされていたから地理にも詳しくは無い。
改めて地図を取り出して確認したところで、フィノはあることを思い出した。
「ここって……ミアが前言ってたところかな」
以前、彼女に話を聞いたことがあるのだ。
ミアとユルグの故郷の村がこの国にあると。確か……地理的にこの近くだったと記憶している。
魔物に襲われて廃村になっていると語っていたから、既に村としては機能していないとミアは言っていた。けれど、もしかしたらユルグが立ち寄っているかもしれないのだ。
お師匠を追ってここまで辿り着いたけれど、ユルグの現在地は知れないままである。彼の最終目的地はルトナークの王都カーディナで国王を殺すことにある。そこを目指せば間違いはないだろうけれど、それはユルグが国王を殺してしまう前でなければならない。フィノはその前にユルグを捕まえて止めなければならないのだ。
ここから王都まで向かうには、街道を経由して向かう方が早く着く。
だから……二人の故郷であるヴィリエ村を通って、村と王都の間にあるダラムの街を越えてカーディナに向かう。これが最短経路である。
どうせ通ることになるなら立ち寄っていないか確認しても無駄ではない。
そうと決まればと、フィノは地図を片手にヴィリエ村へと足を向ける。
三十分ほど歩いた頃だろうか。遠目に寂れた村が目に入った。
足を踏み入れたヴィリエ村は魔物に襲われて一年経っても人っ子一人いなかった。倒壊した家屋もちらほらと見える。
それらを眺めながらふらふらと村の中心である広場へと向かうと、予想外の光景がフィノを出迎えた。
「んぅ、あれ……なんだろ」
どういうわけか。広場の真ん中にはのされた男たちがボロ雑巾のようにボコボコにされて積み上げられていた。
ざっと十人ほどはいるだろうか。そのどれもが息絶えている。
彼らの人相は良いとはいえなく、一目見てこの村を拠点にしている野盗の類いだと分かった。廃村といえば、ガラの悪い連中が集まっていてもおかしくはないのだ。
問題は、その彼らがどうして揃いも揃ってこんな状態になっているのか、ということ。
「何かあったのかな?」
気にはなるが同情の余地など無い。話を聞こうにも既に死んでいるのならそれも不可能。触れる事無く遠巻きに眺めていると、不意にフィノの頭上から影が落ちてきた。
「――っ、こりゃあどういうことだ!?」
「うぐぇっ」
いきなり耳元で大声がしたと思ったら、フィノは首根っこを掴まれて持ち上げられた。くるんと身体の向きを変えられると、彼女を持ち上げたのは鎧姿のマモンと同等の体格を持つんじゃないかと思うほどの大男だった。
「なっ、なに!?」
「そりゃあ、こっちの台詞だ! これはお前がやったのか!?」
「んっ、ちがう!」
フィノを睨み付ける大男の眼差しは憎悪に満ちていた。大方、ここを根城にしていた野盗の親玉だろう。部下たちが無惨にも殺されているのだ。そんなのを目にしたら怒り狂うのも道理である。
だから、彼にはフィノの言葉などこれっぽっちも届かなかった。
「そんな嘘で騙されると思ってんのかッ!?」
「う、うそじゃ」
男の大きな手はフィノの細い首など簡単にへし折ってしまうだろう。徐々に力が込められていくのを感じながら、フィノは一瞬だけ迷ってしまった。
――この男を、殺すべきか否か。
それを可能にする力をフィノは持ち合わせている。両手は自由に動かせるし、今すぐに剣を抜いて首をはね飛ばすことだって出来る。
けれど、このままでは殺されてしまう。そんな状況で、フィノは迷ってしまったのだ。
彼女の思考を止めてしまったのは、未だ覚悟が出来ていなかったからだ。
人を殺めるということ。それに生じる責任。罪悪感。それを背負う覚悟が出来ていなかった。
きっとユルグだったら寸分も迷わずに殺しているはずだ。
掴まれた瞬間には剣を抜いて、首を撥ねている――そう、こんなふうに。
刹那、視界の端で鈍く何かが光ったのが見えた。それは陽の光に照らされた、剣の刀身。それがすっと横薙ぎに振られると次の瞬間には、目の前の大男の頭が胴から離れて地面へと転がっていた。
命を絶たれた身体はどしんと重い音を響かせて倒れる。それと同時に解放されたフィノは地面へと尻餅をついた。
けれど……すぐに起き上がれずフィノはじっとそれを見ていた。
捕まっていたフィノを助けてくれたのは、今までずっと追いかけていたユルグその人だった。




