独りきり
夜が更けてから、ユルグは宿を引き払って外に出た。
体調は全快とはいかないが、手足の自由は利く。先ほどのように不自由はしないだろう。
これはひとえに、昼間に貰った薬のおかげだ。
もちろん、得体の知れない人物から貰ったものを服用するのは躊躇いがあった。
けれど、ユルグを害する気ならこんな回りくどい事はしない。
あの場で仕掛けられていたら、身体の自由が利かないユルグでは撃退は不可能だ。
よってあのエルフにはそんな気は無いのだと判断した。
ミアたちがあの後、どうしたのか。行方は気になる所だがそれに構っている余裕は無い。
今夜この街を出るユルグにとっては、どうでも良いことだ。
宿を出たユルグが向かったのは、隣にあるラーセの店。
時刻は既に深夜を回っており、道行く人も数人、酔っ払いがふらふらと歩いて行くだけ。
店の入り口には閉店の札がかかっており、灯りは付いているが扉は施錠されている。
そんなことはお構いなしに二回、三回とノックすれば少しの間を置いて、ラーセが不機嫌そうに顔を出した。
「――店はもう終い……あんた、こんな時間にどうしたんだい」
「フィノは居るか?」
尋ねると、ラーセは頷いた。
聞くと、今日は昼だけではなく夜の営業も出てもらっていたようだ。
「今は疲れて奥で眠ってるよ。起こしてこようか?」
「冗談はよしてくれ」
ここでフィノに見つかると、また連れていけだ何だのとごねられる。
だったらなぜこうして店に寄ったのかというと、昼間の賞金稼ぎの件もある。
街に着いてから身元がバレないように振る舞ってきたが、結局あんな事態に陥ってしまった。
なぜだと考えたところ、情報漏洩元はフィノ以外あり得ないとの結論に至ったのだ。
言い聞かせて止めさせておけば良かったが、彼女はユルグを名前で呼んでいた。おそらく、人目を憚らずラーセとの会話には出ていたはずだ。
この店はそれなりに人の出入りもある。それらしい人間がいる、なんて噂が広まるにはそう時間も掛からない。
今日は、昼以降フィノの姿を見ていなかった。それを不審に思い、こうして立ち寄ったのだ。
「今夜、街を出ようと思う」
端的に告げると、ラーセは驚きに目を見開いた。
それからユルグの姿をまじまじと見つめる。
「その怪我、どうしたんだい」
「……これは」
「――いや、良いよ。言わなくても分かってるさ」
ラーセの物言いに、今度はユルグが驚く番だった。
「知っていたのか」
「あんたの名前はあの子からそれはもう何度も聞いたもんだからね。興味のないあたしでも察しは付くってなもんだよ」
ユルグの予想は見事的中していた。
それならば、昼間の襲撃も得心がいくというものだ。
尚更、ここからはすぐに離れなければ。また厄介ごとに巻き込まれる。
「それで、あの子はどうするんだい」
「置いていく。連れて行く必要は無いし、あの様子ならここでも十分生きていけるだろ」
「心変わりは」
「俺には、これ以上関係ないことだ」
きっぱりと言い切ってやると、ラーセは深く息を吐き出した。
彼女はこれでもかと、ユルグに呆れているのだ。
けれど、そうされる理由が、ユルグには判然としない。
フィノを連れて行く気は無いということは、何度も言い聞かせていることだ。
もちろん、ラーセも周知の事実である。
「昼にあんたに、あの子の様子が少しおかしいって話しただろう。理由を聞いてみたんだ。そしたらあの子、なんて言ったと思う?」
彼女の問いに、ユルグは分からないとかぶりを振った。
それから思い出したかのように、柔らかな笑みを浮かべて続きを語る。
「足手まといにならないでちゃんとしていれば、一緒に連れて行ってくれるかもしれない、ってね」
彼女の微笑みの理由はユルグにも理解出来た。
フィノは、ちゃんとするの意味をはき違えているのだ。
「それは、少し意味が違うと思う」
「あたしもそう言ったんだけどねえ。でも、いじらしいと思わないかい?」
「迷惑としか思わないな」
「はあ……あんたねえ」
一貫したユルグの態度に、ラーセは溜息を吐く。
どんなことを言われようとユルグが絆されることはない。
「あの子には、あんたしかいないんだよ」
「それは今だけの話だ。いずれ――」
「その今が一番大事なんだよ。まだ巣立ちも終えていない雛を巣に放って出て行く親がいるかね」
叱咤するようなラーセの言葉に、ユルグは沈黙する。
「あんたも人の子なら、独りきりがどれだけ辛いかくらいはわかるだろう」
「それは……」
窘める口調で話す彼女の言葉に、ユルグは何も言い返せなかった。
全てを無くして独りきりになったユルグには、痛いほど分かるのだ。
それを良しとしたのは、自分で選択したことだ。そこに誰を恨むも何もない。
けれど、フィノは違う。
彼女がユルグの傍を離れないのは、自分で考えて選択した結果なのだ。
ここに残って街で暮らすという選択肢もあった。
フィノを可愛がっているラーセだって、それを望むはずだ。
それでもフィノは、ユルグを選んだのだ。
どうして、なんて考えなくても分かりきったことだった。
「……わかった。もう着いてくるなとは言わない」
「――ほんと!?」
ユルグが言い終えた瞬間、カウンターの裏から声が聞こえてきた。
目を向けると、フィノが飛び上がってこちらに駆けてくるのが見える。
――しまった。
そう思ったと同時に、感極まった様子でフィノはユルグへ抱きついてきた。
「お、お前いつからそこに……寝てたんじゃないのか?」
「はじめから、ずっと!」
初めからってことは、ユルグが店に来た時からということだ。
つまり――
「まんまとしてやられたってわけか……」
がっくりと項垂れるユルグにはお構いなしに、フィノはとびきりの笑顔を向ける。
抱きついたまま離れる気配もないし、後悔先に立たずだ。
「この子が諦めきれないって言うから、なんとか説得しようと思ってね。上手くいって良かったよ」
「そこでなんで説得しようになるんだ。引き止めてくれれば」
「そんなこと言ったってねえ。この子、あんたの話しかしないんだ。そりゃあ、応援したくもなるよ」
楽しそうな笑い声に文句を言う気力も無くなる。
溜息交じりに息を吐き出すと、抱きついたままのフィノが上目遣いで尋ねきた。
「ほんとに、ついていってもいいの?」
「……男に二言はない」
「にごん?」
「無かった事にはしないってことだ」
それを聞くと、蕩けそうな顔でフィノは口元を緩める。
なんとも間抜けそうな顔だと思いながら、でも――とユルグは続けた。
「一つ、条件がある」
「んぅ、なに?」
「自分の事は自分でやること。手間がかかるようなら置いていくからな」
ユルグの提示した条件に、フィノはこくんと頷いた。
「まかせて!」
「そんなに自信満々に言われると余計信用ならない」
「あんたが思っているよりも、この子は手が掛からないよ。あたしが付きっきりで色々教えたんだから」
胸を張って宣言するラーセに、フィノは「ありがとう」と礼を言った。
確かに、ここ数日の彼女の変化は目覚ましいものだった。
それについては疑う余地は無いのかも知れない。
「それじゃあ、準備しようかね」
「……準備?」
「まさか、この格好のまま連れて行く気じゃないだろうね」
まさかも何も、ユルグはそのつもりだった。
装備やら何やらを買い与える時間も金もないのだ。
それを述べるとラーセは憤慨した。
こんな街娘同然のフィノを過酷な旅に連れ出すのは危険すぎる、という言い分だ。
「とにかく、準備してくるからあんたはこいつでも食べて待ってな!」
フィノをユルグから引き離すと荒々しく告げて、ラーセはサンドイッチをバスケットから取り出すと奥へと消えていった。
手際の良さに、これも事前に仕込んでいたんだろうか。
コロコロと掌で転がされている感が否めないが、腹は空いている。
「……美味い」
騒がしいのが居なくなった店内で、ユルグは一人呟くのだった。




