弟子の役目
アリアンネの話を全て聞き終えたフィノは、絶句しながら……それでも妙に納得していた。
この一月のユルグの足取りも、公王の死も。彼女の話を鵜呑みにするには十分すぎるほどに辻褄が合う。
そして、今のユルグが何を思っているのかも。フィノには分かってしまった。
今まで、どうにも気がかりな事が一つだけあったのだ。
公王を殺した後に、フィノと同じように北からアルディアへと入ったのならば、どうしてユルグは一度も顔を出さなかったのか。それがずっと気になっていた。
彼が実際にどう思っているのかは知れないけれど……復讐に駆られているとしても、自分の子供を少しも気に掛けない冷徹な人間ではないことは十分に理解している。ミアの事をあんなに大切に想っていたのならば尚更だ。
親として会う資格がないとか。人殺しの息子にはさせられないとか。そんなことを思っているのかもしれない。
それならばまだ良い。説得の余地は十分にあるのだ。けれど、今のユルグにはそれさえも届かない。フィノは漠然とそんな予感がした。
わざわざ、自分は死んだことにしてくれとエルリレオに頼んで、行方を眩ませて。フィノにはあんな手記を残して。挙げ句には――最後の仕上げを任せた。
ユルグはどうあっても――端から生きるつもりなどないのだ。
「彼を追いかけるのならば、わたくしは止めませんよ」
聞こえた声に顔を上げると、そこには見慣れた微笑を浮かべたアリアンネがいた。
「すぐに追いかける。ここから出して」
「分かりました」
アリアンネはあっさりと牢の扉を解錠した。
警戒心の無さに眉を潜めるも、きっとフィノが何も危害を加えることはないと見抜いているのだ。
彼女の思惑通り、フィノが優先すべきなのはユルグを追いかけること。あんな惨状を引き起こした原因のアリアンネはもちろん恨んではいるし許せないけれど、今はそれに構っている時間はないのだ。
「でも、彼は最終的にここに戻ってくるのですから、追いかけずに待っていれば良いのではないのですか?」
自分の命が掛かっているというのに、アリアンネは軽い口調で告げる。それを聞いて、既に彼女はフィノの知るアリアンネではないのだとやっと実感した。
どれをどう取っても、まともではないのだ。そしてそれは、ユルグも同じだ。
以前、ティナが言っていた言葉が脳裏に浮かぶ。
『他人を殺めることが出来るのは、どこか人として壊れていなければ出来ません。だから、人殺しなど出来ない方が幸せなのだと、そう思います』
だから、今のユルグは誰かが止めなければならない。それは弟子であるフィノの役目なのだ。
「それじゃ、ダメなの」
「そうなのですか? では、お好きにどうぞ」
ユルグを追いかけると決めたフィノに、アリアンネは止めることはしなかった。それどころか好きにしろと言う始末。
何を思って挑発じみたことを言うのか分からなかったが……彼女は言外にこう言っているのだ。
――どんなことをしても、今のユルグは止められないと。
「……っ、そんなの。そんなの、やってみないとわからない!」
「ええ、そうですね。頑張ってください」
ともすれば嫌味たらしく聞こえる言葉を背中に受けながら、フィノはそれに応えることなく牢の外へと出て行った。
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とはいえ、ユルグの行方を追うにしてもどこに行ったのか。ある程度目処が立たなければ追いかけるにしても難儀してしまう。
帝都から出ている乗り合い馬車の停留所へと向かいながら、フィノは背嚢から地図を取り出してそれを睨み付けた。
ライエの話では今のユルグとフィノの間には五日分の距離が空いている。まずはそれを埋められなければ、どれだけ追いかけても無意味だ。だから、出来るだけ最短距離で移動しなければならない。
そんな中でも分かっている事は、きっとユルグは既にアルディア帝国内にはいないということ。
アリアンネの殺害を最後に持ってくるのならば、この国に居座る必要は無いのだ。
だったら……公王の次は、デンベルクの首都ルブルクにいる首長をターゲットにするはず。
豊富なポケットマネーから馬車代を出してさっと馬車に乗り込んだフィノは、ガタゴトと揺られながらこれからの道程を思い浮かべる。
まずは大陸一の国土を持つアルディア帝国内からいち早くデンベルクへと入らなければならない。
といってもフィノは国境を越える為の手形を持っていない。確かあれは発行には数日かかると聞いた。そんな悠長に待ってはいられないし、毎度の如く関所を通らずに国境を越えることになりそうだ。
となると……帝都からの馬車でメルテルへと向かった後は、あの場所に向かうことになりそうだ。
「いやだなあ」
正直言って、スタール雨林にはあまり良い思い出はない。
色々と散々な目にあった場所だし、何よりもジメジメと湿っていて、足元は滑りやすいし最悪の場所である。
けれど、きっとユルグもここを通って行ったはず。急いでいるのは彼も同じなのだ。




