残酷な嘘
アリアンネの無慈悲な宣告に、マモンは身動きすらしない。ただそのままの状態で茫然自失としている。
そんな中、ユルグがこの状況を見逃すはずが無かった。
アリアンネに拒絶されたことが原因か。ユルグを抑え付けていたマモンの力が弱くなっているのを察知した瞬間に、ユルグは全力で身体を起こした。
最早、そんな気力もないのか。マモンは殆ど力を込めていなかった為、あっさりと拘束は解かれてしまう。
剣を携えて立ち上がったユルグの眼前には、手を伸ばせば届く距離にアリアンネがいる。
ユルグにとって、彼女の話などどうでも良かった。全てが今更である。過去の話をされたところで、何が変わるわけでもない。馬鹿らしいと思えるほどだ。
だから、ユルグの身体はすぐに動いた。
彼女へと掛ける言葉など何もない。ただ、無感情で……無表情で、頭上に振り上げた剣を――
「……え?」
聞こえた呟きは、アリアンネのものだった。
押し退けられて床に倒れた彼女の視線は一点へと注がれている。
「……っ、どうして」
酷く動揺した声音で語りかけるアリアンネの声を聞いて、ユルグは彼女に目を向けた。
先の刹那に……二人の間に割り込んできたのはティナだった。彼女はアリアンネを押し退けてユルグの凶刃から主人を守ったのだ。文字通りに自分の命を賭して。
けれど、それにさえも最早心を動かされることもない。表情を変えることもなく、胸部に刺さった剣を抜こうとするが、それをティナは許さなかった。
「……離してくれないか」
「……それ、けは……っ、でき、せん」
息も絶え絶えに告げたティナに、それでもユルグは刺さった剣を抜こうと躍起になる。しかしどれだけ力を込めても、彼女はそれを手放すことは無かった。
言外に諦めろと言っているのだ。それに根負けしたユルグは、自分から剣の柄を握っていた手を離す。
すると、支えを失った彼女の身体は力なく倒れる。それを支えたのは、彼女が庇ったアリアンネだった。
「……ティナ」
横たえた身体からは、血がとめどなく溢れてくる。もう助からないことは誰が見ても明らかだった。
そんな彼女の手を握りしめて、アリアンネは少しだけ困ったように眉を下げて見つめている。彼女は一つも泣かなかった。けれど、どうしてかそれに冷酷さは感じない。
「――――っ、」
絞り出された声は、ユルグには聞こえなかった。傍に居たアリアンネだけが、彼女の言葉に応える。
「……ええ、分かりました」
おそらく主人の身を案じた言葉だったろう。安心させるように微笑んでアリアンネは頷いてみせた。
ティナはそれに安堵するように深く息を吐き出して、静かに目を閉じる。
「姉弟そろって、同じことをしなくてもいいのに……本当に、あなたたちはどうしようもないですね」
最期に送った言葉に返ってくる声はなかった。
全てを見届けて、ユルグは近付こうと足を浮かせた。まだ何も終わってなどいないのだ。ここまでしてしまったのならば、もう後には引けない。
それはユルグも、そしてアリアンネも自覚していた。
死神が靴音を響かせる前に、先手を打つようにアリアンネが先に口を開いた。
「……もうこんなことはやめろと言われてしまいました。わたくしはそれに嘘を吐いた。……そんなこと、出来るわけがないのに」
「……良かったじゃないか。最期の言葉が聞けて」
無遠慮な言葉を投げかけると、アリアンネの視線がティナからユルグへと移る。そこに怒りの色は見えない。
「俺は……おれは、なにも言ってくれなかったよ」
「そうですか」
素っ気ない返事を零して、アリアンネは握っていたティナの手をそっと離した。
「俺たちはもう後には引けない。俺はお前を殺さなきゃならない。お前は自分の信念を貫かなきゃいけない」
「ええ、……だからわたくしと交渉しませんか?」
彼女は亡骸を抱いたまま、まっすぐに力強い瞳でユルグを射貫く。そこには僅かも迷いはない。
「わたくしの命は貴方にあげます。でもそれは貴方が全て事を成し遂げてからです」
「……何をさせるつもりだ?」
未だアリアンネの真意が知れないまま、ユルグは問う。それに彼女は至極真面目に、こう答えた。
「貴方には――本物の魔王になってもらいます」




