街の英雄《龍殺し》
――翌日。
ユルグはミアに留守番を頼んで麓の街へと向かっていた。
苦労して入手した薬草をエルリレオへ届けるためだ。けれど、それ以外の目的がユルグにはあった。
雪を踏みしめて街へ着くと、エルリレオが滞在しているアルベリクの家へと向かう。
「おお、わざわざ済まないな」
訪ねると作業の合間の休憩中だったのか、テーブルでお茶を嗜んでいるエルリレオと、アルベリクの母親であるティルロットが楽しそうに談笑していた。
ユルグはティルロットに会うのが初めてだが、ミアの話では長らく体調が優れなかったようだ。けれど、今の彼女を見れば元気が有り余っているようにも見える。
室内には二人だけで、彼女の一人息子であるアルベリクはおつかいに出掛けたのだという。
「あらあら、遠いところからわざわざ。疲れたでしょう。お茶でも飲んでいってくださいな」
「おかまいなく。街での用事も残っているし、俺はもう行くよ」
「なんだ。来るなり早々、忙しない奴だ」
「ミアにおつかいを頼まれているんだ」
彼女は滅多に街へと行かない。家事をこなしてそれらがすべて終わっても、休憩にお茶を嗜むか、小屋の周りを少し散歩するか。そんな姿しかユルグは見たことがないのだ。
やることがあって街へ行っている時間が無いのか。それとも単純にあの場所から街へ降りるのが面倒なのか。
聞いたことはないから理由は知れないが、この間一緒に街へと行った時は楽しそうにしていたから行きたくないわけではなさそうだ。
というわけで、街へ行くのならついでに食糧品を買ってきてと、おつかいを頼まれたのだった。
「あと、マモンに用があるんだが……どこに居るんだ?」
「ちょうどアルベリクのおつかいに付き合っているところだ」
「馴鹿の肉を買って来てって頼んだから、大通りの精肉店にいるんじゃないかしら」
情報をもらって早速大通りへと向かうと、そこには見知ったエルフの少年と黒犬のマモンがいた。
「馴鹿肉、一ブロック包んでくれないか」
「あいよ!」
背後から近付いて精肉店の店主にオーダーすると、その声に二人がこちらを見る。
すると、おつかいの余り金で買ったのか。馴鹿肉の串焼きを頬張っていたアルベリクは目を見開いてもぐもぐと口を動かしながら叫び声を上げた。
「んんーっ!」
興奮した様子で、彼は串焼きを頬張ったままぴょんぴょんと跳びはねる。
その衝撃で背中の籠に乱雑に入れてあった馴鹿肉の包みが落っこちて、アルベリクの足元にいたマモンの頭にボスンと落ちた。
『うごっ――』
けれど、それに気づかないくらいアルベリクはなぜかユルグに夢中になっていた。
彼の不可思議な言動に不思議に思いながらも、串焼きを急いで食べ終えたアルベリクはやっとの事で言葉を発した。
「んんっ……にいちゃんだ!」
「元気そうだな」
年相応の溌剌さに気圧されながら声を掛けると、彼は頭がもげそうなくらいブンブンと肯首した。
「なっ、なんでここにいんの!?」
「なんでって……俺も肉を買いに来たんだ。お前と同じおつかいだよ」
「やっべえ……! 龍殺しもおつかいするんだ!」
「龍殺し?」
その単語は聞いたことがある。確か……一月ほど前に会った元パーティーメンバーの彼らがそんな話をしていたか。
なんでも街では龍殺しの噂で持ちきりだとか、なんとか。
以前ここに来た時は全然そんなことはないと感じたけれど、よくよく考えてみればユルグが黒死の龍を斃した張本人だとは街の人たちは誰も知らないのだ。
唯一知っているのがいま目の前に居るアルベリクだけ。
「……龍殺しだって?」
二人の会話を聞いていた精肉店の店主がそれに反応した。
「今の話、本当かい?」
「本当だよ! 俺この目で見たんだもん!」
「俺の聞いた話じゃ、龍殺しはもっとガタイが良い大男だって話だ」
「はあああ!? 誰だよ、そんな嘘言ってんの!?」
徐々にヒートアップしていく会話にたじたじになっていると、こちらに気づいた店主が頼んだ馴鹿肉のブロックの上に、もう一つ重ねてずいっと差し出した。
「……頼んだのは一つだけなんだが」
「おまけだよ、龍殺し!」
「……はあ?」
アルベリクの推しもあってか、店主はユルグの事を龍殺しであると信じたらしい。本当の事ではあるが……凄まじい慧眼である。
「やったね、龍殺し!」
「その呼び方、やめて欲しいんだが」
「いいじゃん。それだけにいちゃんは凄いことしたんだよ! 俺たち、本当に感謝してるんだ!」
「そうだ! 坊主の言う通りだ!」
「……っ、わかった。わかったから! 騒ぐのはやめてくれ!」
店先で言い合っていると野次馬がぞろぞろと周囲を取り囲んできた。
これはやばいと、取りあえず買った肉を背嚢に詰めると、アルベリクと落ちた肉の包みを掴んで人混みを抜ける。
「すっげえ、にいちゃん人気者だね!」
「はあ……不本意だがな」
まだおつかいは残っているが……ほとぼりが冷めるまで、大通りを外れて人気の無い場所で時間を潰そう。というか、この状態では後日また買い付けに来た方が良いだろう。
『流石、龍殺しだなあ』
「黙れ」
追いついてきたマモンが憎い物言いをする。それに睨みを利かせていがみ合っていると、地面に降ろされたアルベリクがこんなお願いをしてきた。
「にいちゃん、サインくれよ!」
「サインだって?」
「うん! 龍殺しのサインなんて誰も持ってないだろ!」
「……すまないが、そういうサービスは受け付けてないんだ」
「じゃあ、じゃあ握手して!」
ブンブンと手を振りながら懇願してくる少年に、とうとうユルグも根負けした。
握手くらいなら困ることはないし、減るもんじゃない。観念して頷くとユルグが差し出した右手をアルベリクは両手で掴んで上下に振り抜く。
「今日は帰っても手ぇ洗えないなあ!」
「いや……そんな大層なもんじゃないんだから、ちゃんと手洗いしろよ」
「いいよ、もったいない」
いまいち彼の中の基準がよく分からない。
そんなに有り難がるほどのものじゃないと思うのだが……きっと街の住人にとっては危機を救ってくれた恩人なのだろう。公王の討伐隊をもってしても倒せなかった化物だ。アルベリクのように英雄視してもおかしくはないのかもしれない。
「アルベリク、マモンを借りていっても良いか?」
「いいよ、でも夕飯までには戻ってきてね。今日はステーキだから!」
落っことした肉の包みを籠に入れ直すと、アルベリクは慌ただしく家へと帰っていった。
嵐の後の静けさに息を吐き出すと、足元のマモンを見遣る。
「飯でもごちそうになってるのか?」
『一日三食付きだ。いらぬと言っているのだが、あの婦人……ティルロットが律儀に用意してくれるのでな。好意に甘えている』
「……贅沢な犬だな」
先ほどの仕返しと言わんばかりに言葉に棘を含ませると、マモンは無言でユルグを見つめた。
『して、お主の用はなんだ?』
「今から虚ろの穴に向かう」
次回、少し重めの話が続きます。温度差に風邪ひいちゃう。
できるなら楽しい話が書きたかったなあ(遺言)




