鈍感者の意気地無し
『奴の人生はどん底から始まった。誰が聞いても不憫だと思わざるを得ないものだったのだ』
マモンが語ってくれた話は、聞いていて気分の良くなるものではなかった。けれど、ログワイドがどうして女神を嫌っているのか。その理由は十分に理解出来た気がする。
あんな境遇にいては救いをもたらす女神でさえ信用ならないだろう。すべてが無意味だと悟って何も信じられなくなるのは道理だ。
「でもそうか……その時に、例の四災に会ったってわけだな?」
『おそらく、そうであろうな』
そこまではいい。問題はその後のことだ。
彼が四災に会ったのは確定事項。ユルグが知りたいのは彼が会った四災が誰で、どこにいるのかということ。
「それに関しては何も聞いていないのか?」
『知っていたのなら既に話している』
「……はあ、使えない」
『ぐっ、……お主なあ。言って良いことと悪いことがあるのではないか!?』
「お前はもう少し平常心を培った方が良いと思うけどな」
ぎゃあぎゃあと喚き散らしていると、傍に居たミアから両者にゲンコツが飛んできた。
「喧嘩しない! いったいいつになったら仲良く出来るのよ」
「一生無理だ」
『同じく』
「無理って言わないの!」
仁王立ちしながらミアは難しい事を言う。
「出来るならとっくの昔にやってるよ」
『その通りだ』
「もう……いつもそうなんだから」
諦めて溜息を吐き出したミアは、席を立って台所の方へと消えていく。窓の外を見ると既に陽が落ち始めていた。夕飯の支度に向かったのだろう。
冷めたお茶に口を付けて、ユルグは話を再開する。
「でも、どうしてログワイドはわざわざ嘘を書いたんだ?」
エルリレオの話ではユルグが書き写してきた石盤に書かれていることは、ほとんどが女神についてのことらしい。それも信者さながらの讃辞ばかり。
「ふむ……おそらく、これが関係しているのではないか?」
ユルグが長話をしている最中、翻訳作業に勤しんでいたエルリレオが一枚の写しをテーブルの真ん中に置いて、ある一文を指差す。
「なんて書いてあるんだ?」
曰く――
『私の友人ならば、ここに書いてある冗談を笑い飛ばすだろう。私は彼にすべてを話してはいないが、気づきは与えた。彼がそれを自覚出来る事を切に願う』
「……友人?」
「儂が思うに、この友人というのはマモンの事ではないのかね?」
『……ふむ』
奇妙な文章だが、エルリレオの言い分にも納得は出来る。
先ほどのマモンの気づきがなければ、女神について書き連ねた文章も嘘だとは見抜けなかった。確実にログワイドはこの石版の謎を解くにあたって、マモンを鍵としているのだ。
「ということは、この中にある嘘を見抜けってことか」
「その可能性は大いにあると儂も思う」
「だったら、エルの翻訳を待たないと駄目ってことだな」
もちろんそれはすぐに出来ることではない。
「翻訳にはどれだけ時間が掛かるんだ?」
「ううむ……儂が読み解けるのは大筋だけだからのう。細部まで詰めるとなると……一枚に付き一月と思ってもらえたら良い」
「すべて終えるとなると十ヶ月か」
当然この作業には時間は掛かると踏んでいる。それはフィノの方も同じだろう。
その間に出来る事があれば済ませておきたいが……ユルグに出来る事と言えば残りの大穴を虱潰しに探っていくこと。
虚ろの穴は、各国に一つずつ存在している。今までユルグが目にしてきたのは三つ。最後の一つはユルグの祖国であるルトナーク王国にある。詳しい場所まではユルグも知らないが、秘匿されているものでもないから、探せばすぐに分かるはずだ。
けれど、それを成してしまえばさらに寿命が縮まることになる。切迫した状況でない限りなるべく控えたいところではある。
腕を組んで考え込んでいると、そんなユルグを見てエルリレオが小声で話しかけてきた。
「時にユルグよ。この先また留守にする予定はあるのか?」
「うん? 一応、今のところはないよ」
「だったら儂とマモンは街へ降りていようかと思っているのだがね。アルベリクにも散々言われていてなあ。一緒に暮らさないかとね」
突然のエルリレオの発言にユルグは驚きに瞠目するしかなかった。
エルリレオについては前からそういった話をされていると言っていたし、何も不思議はない。翻訳ならばどこででも出来るし不都合は無いのだ。けれど、どうしてそれにマモンも一緒になって着いていく事になっているのだろう。
「なんでこいつも連れて行く必要があるんだ?」
「……本当に分からないのか?」
「え?」
『今のは己でも察したぞ』
「は?」
二人からの責め句に、ユルグは右往左往しながらエルリレオが何を伝えたいのか必死に考える。
けれど、いつまで経っても呆けているユルグに痺れを切らしたのか。エルリレオは深い溜息を吐いて重い口を開いた。
「そろそろミアを安心させてやれと言っているのだ。戻ってくるまでどれだけ心配を掛けたと思っている」
『邪魔者は静かに去った方が良いということだ』
二人の言葉にユルグは夕飯の支度をしている幼馴染みの後ろ姿を見遣る。彼らの言いたいことは分からなくもないが、
「……まだ早くないか?」
「なあにを言っとるか! 遅いくらいだ!」
珍しく怒鳴り声を上げたエルリレオに、ユルグは肩を揺らした。
大声にミアがこちらをちらりと見て、再び夕飯の支度に戻っていく。
『こんな鈍感男ではミアが可哀想だ』
「うっ……」
「ユルグよ。お主まさか……他に好いておる女子が居るのではないだろうな? もしそうならば、どちらを取るか早く決めろ。余計な気を持たせてはそれこそミアが不憫で」
「――そっ、そんなわけないだろ!」
今まで移り気したことなど、一度も無い。それは四年間共に旅をしてきたエルリレオも知っていることだ。
先の彼よりも声を荒げて否定すると、それを聞きつけたのか。ユルグの背後からミアが顔を覗かせた。
「さっきから何をそんなにうるさくしてるのよ」
聞こえた声に僅かに肩が跳ねる。ゆっくりと後ろを振り向けば、そこには訝しげな顔をする幼馴染みがいた。
「いや、別になにも……」
「何もないことないでしょ」
「ユルグよ。この際だ、今告げた方が良いのではないのか?」
他人の気も知らないで、エルリレオは簡単に言ってくる。実際に告げる側としてはかなり恥ずかしいのだ。
「え? 何の話?」
「いや、だから……エルとマモンが街で暮らしたいって、そう……そう言っているんだ」
「え、そうなの?」
わざとらしい言い訳に転嫁すると、それを見ていた二人はこれ見よがしに冷めた眼差しを向けてきた。
「はあ……」
『意気地の無い奴め』
「……っ、言えるわけないだろ」
二人きりでも勇気のいる告白を、他人に見られていては言えるわけがない。
「そうなんだ……それじゃあ寂しくなるね」
「街で暮らすだけだ。たまに顔を見にくるよ」
しょんぼりと落ち込んでいるミアに優しげに声を掛けながら、エルリレオはじっとユルグを見つめている。あの眼差しは何を言いたいのか。言葉にしなくても伝わってくるほどだ。
声のない説教に首を竦めて、ユルグは居心地の悪さに背中を丸めるのだった。
 




