二千年前 1
彼は生まれた時から全てに見放されていた。
エルフとしては異端の白髪で赤色の瞳を持ち、その容姿のせいで生まれてすぐに両親に見捨てられ山中へと置き去りにされた。
その後、運の悪いことに通りがかりの男に拾われ、彼は十四年間を家畜と共に畜舎で過ごす事になったのだ。
「――おい、ログワイド!」
荒々しい怒声を浴びて、ログワイドは驚きに肩を震わせる。顔を上げると、厳つい顔をした体格の良い男が鋭い目つきでこちらを睨んでいた。
「お前はほんっとうに汚らしいガキだな! ほら、さっさと飯を持って出ていけ!」
給仕係である男に渡されたのは、欠片ほどのパンと野菜クズが浮いたスープ。もちろん肉など入っておらず、これっぽっちの飯では腹は膨れない。
けれど、こんなのはいつものことである。
ちらりと厨房の隅を見遣ると、そこにはこの地を治める領主の名の下に飼われている奴隷が、肩を寄せ合って少ない飯を食っていた。
遠目に見える豪華な食堂内では、領主及びその一族が食前の儀式として女神へと祈りを捧げている。
それに顔を顰めて、ログワイドは極寒の寒空へと戻るのだった。
「う~、さっむい!」
寒さに身を縮めながら、ログワイドは寝床にしている畜舎へと急ぐ。
被った雪を払って中に入ると、飼われている家畜の羊がすべて畜舎から別の場所へ移されようとしていた。
「邪魔だ! どけ!」
入り口に突っ立っているログワイドを乱暴に退けると、男たちは全ての家畜を連れて去って行った。
一人残されたログワイドは、呆然と畜舎内を見渡して白い息を吐く。
「なるほど。僕に死ねと言っているのか」
呟いた言葉は虚しく響くばかりである。
ここ最近の寒さは家畜の命ですら奪っていくものだった。連れて行かれた羊たちは、この畜舎よりも温かな場所へと向かったのだろう。
そんな心配すらされないログワイドは、家畜以下の存在なのである。
寒さに身を震わせながら、地面に藁を敷いただけの寝床に向かうと、彼は一人寂しく食事に手を付けた。
既に冷めてしまったスープは味を感じない。欠片ほどのパンもカチカチに固まっていて噛むのも難儀するため、一口で飲み込んでしまった。
「お腹空いたなあ」
寒さに歯の根を慣らして、空になった畜舎を暇つぶしに眺める。
飢えと寒さに苛まれる最悪な環境。人としての尊厳もなく、使い捨ての存在。けれど、彼は自分の人生をまるで他人事のように享受していた。
まだ齢十四の少年が、この先にある未来を僅かも期待していないのだ。
それもそのはず。
ログワイドはその容姿の為、奴隷よりも下の待遇を受けていた。寝床は年中不衛生な畜舎。ろくな食事も与えられず、死んだところで誰も悲しまない。
それに加えて、彼は忌み子として扱われていた。生まれた時から普通とは違う。白髪に赤い目。両親は純血のエルフであったが、そこから生まれたのがこんなのでは忌みモノとして扱われて当然である。
そんな彼がここを飛び出してもどこにも行く場所もない。どこに行ったって腫れ物扱いされてしまう。そのことはログワイドも重々承知していた。
だから、何かあれば真っ先に切り捨てられる存在。
例えば――一月も続く寒波が訪れたのなら。
どうなるかなど、彼には分かりきった事だったのだ。
「――おい、さっさと立て!」
藁を被って寝床に横になっていると、突然怒号が聞こえてきた。
寒さで眠れなかったログワイドは、聞こえたそれにすぐさま身体を起こすと、強引に腕を引かれて立たされる。
「良かったな、忌み子。お前の命の使い所は今日らしいぞ」
「な、なに」
「よし、連れて行け!」
ログワイドは男たちに連行されていく。
逃げ出すという選択肢もあったがどだい無理な話である。ろくな食事にありつけていない彼の身体は骨と皮だけの粗末なもの。到底力で勝てるわけがない。それを分かっていて抵抗するなら無駄に殴られるだけである。
連れて行かれた場所は、この地を治めている領主の領地内にある祠。古めかしいそれは昔から存在していて、滅多に人が訪れない。寂れた場所ではあるのだが、祠の内部には底の見えない大穴が穿っているのだ。
初めて見るそれにログワイドは息を呑んだ。
そして、これから我が身に起こるであろう結末も理解する。
両手を縄で縛られたログワイドは、大穴の淵に立たされて背中に剣を突き付けられる。最早この場からは逃れられないだろう。
悟った彼の耳に、背後から男の声が聞こえてきた。
「一月にも及ぶ大寒波を受けて、領主様は忌み子のお前を贄に捧げることに決めた。お前が消えていなくなれば、女神様も慈悲を向けてくださるだろう。私たちの為に死ねるのは光栄なことだ。誇りに思ってもいいぞ」
この語り口は女神を崇拝する司祭のものだろう。
ログワイドは彼らが嫌いだった。女神なんてものを信じている輩も大嫌いだった。彼らの話す言葉を聞いていると、可笑しくて可笑しくてたまらなくなる。
「はははははっ、――アンタ馬鹿だなあ! あんな阿婆擦れに縋って何になるっていうんだ!? お前らの信じてる女神様はなあ、アンタが思ってるよりもずううっと、お前らのことが嫌いだと思うぜ!」
ログワイドの最期の抵抗に、その場の空気が凍り付いた。
「……っ、貴様! 我らのみならずあの御方まで侮辱するか! 万死に値するぞ!」
「これから死ぬ俺には何の脅しにもならないよ」
脅し文句を軽く流して、ログワイドは背後を向く。
そこには鬼の形相で彼を睨む眼差しが、幾重にも凝視していた。
それを一身に受けて、ログワイドは捨て台詞を吐く。
「お前らが地獄に落ちる様を、地の底で見ていてやる。精々足掻いてみせろよ、クソ野郎共!」
腹の底に溜まっていたものをすべて吐き出すと、ログワイドは地面を蹴る。
そうして、自ら穴の底へと落ちていったのだった。




