ありがとう
「……そうじゃない。そうじゃないんだ」
かぶりを振ると、フィノはまっすぐにユルグを見つめた。
「お前には俺のような生き方はして欲しくないんだ。自分の生きたいように、自由でいて欲しい。俺には……どうあってもそんな生き方は出来ないから」
思えば、今までこの事はフィノには言っていなかった。ユルグがそうして欲しいと願っていただけだ。
言うならば――
「でもこれは俺のエゴだ。だからお前は、自分の好きなように生きたらいい」
すべてを伝え終えると、ユルグは深く息を吐いた。
本当に、これ以上はフィノに言ってやれることはない。この後どんな選択をしても、それは彼女が自分で決めた事だ。ユルグが干渉して良いことではない。
「フィノはユルグのためにいきたい」
彼女の想いは終始一貫したものだった。
出会った時から何も変わっていない。ユルグが彼女にしてやったことなんて、ここまでするほどのことでもないのに、それでもフィノは言うのだ。
「俺が長生きできないって知っていて、そんなこと言うなんて……もっと有意義なことに自分の時間を使え」
「だってまだ、おんがえしできてないもん」
「……それは忘れていい。お前にはもう何も望んじゃいないよ」
笑って言うと、冷たい指先がユルグの頬に触れた。
それに驚く間もなく、唇に柔らかな口付けが降ってくる。
不意打ちのようなそれに瞠目したユルグの視界では、フィノが微かに顔を赤らめて……それでも嬉しそうにはにかんだ笑顔を見せていた。
「だからおんがえしできるまで、しなないでね」
「それはお前の努力次第だな」
笑って流すと、その隙間を縫ってなにやら騒がしい声が聞こえてくる。
「え? 今のはなんなの? 二人ともそういう関係だったの!?」
「お前、何か勘違いしてないか?」
「面前で堂々とキスしてりゃあ、勘違いもするでしょうが!!」
カルロの指摘に、それもそうだと納得する。ちらりとフィノを見遣ると先ほどよりも顔を真っ赤にして俯いていた。
「今のは親愛の口付けだ。そうだろ?」
フィノがユルグを好いているのは知っているが、好きだとは言われなかった。
言わないのならそういった可能性もあるはずだ。
「「『え!?』」」
同意を求めると、フィノとカルロ、そしてマモンは一様に同じ反応を見せた。
「お兄さん、それはいくらなんでもニブチンだよ」
『言い訳としては見苦しいな』
「……うーん」
二人からは非難されたが、当事者であるフィノは唸り声をあげるだけ。
「うううん……まあ、それでいいかな」
「え!? それで良いってなに!? よくないでしょ!!」
ぎゃあぎゃあと喚くカルロに、どうしてか親近感が湧いてくる。なぜだろうと考えて、ユルグはその答えに合点がいった。
師匠であるカルラも同じように色恋沙汰には目がなかったのだ。といっても旅の仲間内ではそんな浮ついた話はなく……それ故に専らユルグの好きな人の話題を何遍も振られた。
一つだけ彼女の嫌なところを挙げるとしたらそれだろう。他人の色恋沙汰を根掘り葉掘り聞いてくるお節介なところ。
今の話を聞いていると、あの時のトラウマが蘇るようだ。
「もやもやするから後でちゃんと聞くからね!」
「……後でって、フィノはここに残るんだろ。カルロもそのつもりなのか?」
彼女の予想外な発言に驚いていると、カルロは意気揚々と語り出した。
「私は根無し草だからね。この国に居てもクズ野郎しかいないし、平和な場所を求めて国外に出ても良いかもしれないなあ……って、少し前までは出て行こうって考えてたんだけどね」
根無し草……彼女はカルラと同じことを言い出した。けれど、その考えは無謀だと思わざるを得ない。
「やめた方が良い。金もないし魔物や野盗に襲われて返り討ちに出来る力も無いだろ」
「うん、それもあるし……今まで迷ってたんだけど、フィノがここに残るって言うじゃない。この子だけじゃ、あいつらの毒牙の餌食にされかねないから私が子守してあげないとね」
トン、と胸を叩いて宣言したカルロに、それを聞いていたフィノが噛み付いた。
「んぅ、こどもじゃない!」
「キスしたくらいであんなに赤くなってるようじゃ、まだまだ子供だっての!!」
「そっ、それいわないでえ!!」
喧しく騒いでいる二人を放って、ユルグは今までの旅路に想いを馳せる。
思い返してみれば、一人になって旅立った後はフィノと共にいる時間が多かった気がする。けれど、それもここでお別れだ。
少しばかりの感傷は、あの時と比べて心境の変化があったからだろう。
「――フィノ」
「ん、なに?」
呼びかけると、フィノはユルグの方を向いた。まっすぐにこちらを見つめる藍色の眼差しは出会った頃と何も変わらない。
……そうだ。フィノは何も変わっていないのだ。きっとそれに救われていたところもあった。
「ありがとう」
その一言にフィノは泣きそうな、それでいて嬉しそうな顔をする。
「ま、まだはやい! おししょうは、もっとかんしゃすることになるの!」
「はははっ、それまで取っておけってか?」
「うん、そう! そうだよ!」
噛み付くように吠えて、それでも嬉しいのか。フィノは満面の笑みを浮かべるのだった。
 




