変化
宿の隣にあるラーセが経営している居酒屋は、午前は食事処として開いている。
昨日、ストーンリザードから手に入れた魔鉱石を魔道具屋へ持って行ったその帰り。
何か摂ってからギルドの依頼を受けようと店に入った途端、威勢の良い声が聞こえてきた。
「いらっしゃい、何にする――って、なんだあんたかい。何の用だい」
「何って、飯を食いにきたんだ」
客に対する態度とは思えないのだが、それは胸の内にしまっておく。
ラーセは「好きなところに座りなよ」と告げて、厨房に戻っていった。
カウンター席に座り手持ち無沙汰の間、店内を観察しているとフィノの姿を見つけた。
客から注文を取っているらしく、てきぱきと働く姿は中々様になっている。
雇い主であるラーセの教え方も良いのだろう。
笑顔を振りまいて客との話を終えるとこちらに向かってくるのが見えて、ユルグは慌てて正面を向いた。
「ユルグ! なんで?」
「飯を食いに来たんだよ」
二度同じ事を聞かれてうんざりしながら答えると、フィノは嬉しそうにはにかんだ。
昨夜、宿から出て行った時は元気が無かったが、彼女の様子を見るとそうは思えない。
「おすすめをくれないか」
「んぅ、わかった」
頷いて、フィノは厨房の奥へと小走りで駆けていく。
しばらくすると、この間ごちそうになったシチューが目の前に置かれた。
けれど、なぜか二人分配膳されている。
不思議に思っていると、ユルグの隣にフィノが座った。
「お前も食べるのか?」
「ラーセさん、きゅうけいしてって」
告げて、食べ始めたフィノを見ているとある変化に気がつく。
以前より、上品に食べるようになった。
ユルグはテーブルマナーなんて教えていないし、きっとラーセのおかげだろう。
ここ数日で急激な変化を遂げている。
覚えるのだって大変だろうに、フィノは弱音を吐かない。
奴隷だった頃が今より悲惨だっただけなのだろうが、それにしても良く頑張っている方だとは思う。
それともう一つ、変わったことがある。
「お前、喋るの上手くなってきたんじゃないか?」
「……ほんと!?」
頷いて答えると、フィノは嬉しそうに口元を緩めた。
おそらく喋りが下手だったのは聾唖って事もあるだろうが、人と話すことが殆ど無かったせいだろう。
こうしてラーセや店の客と会話をする事で、少しずつだが改善しているように思える。
「前よりは聞き取りやすくなったな」
この調子だと、ユルグが居なくても十分生きていけるはずだ。
「あと一日か二日で、俺はこの街を出て行く。一所に留まるのは良くないからな」
ハッと、隣で息を呑む気配が伝わってきた。
それに構うこと無く、ユルグは話し続ける。
「その調子なら、お前はここで十分生きていけるだろ」
「……っ、フィノも」
「連れて行かない。何度も言っているだろ。足手まといだ」
強く突っぱねると、フィノは目を伏せた。
どれだけ縋られてもこれだけは譲歩出来ないのだ。
「美味かったよ。金はここに置いていく」
カウンターに金を置き、無言のフィノを置き去りにしてユルグは店を出た。
この後は、昨日ダメにしてしまった武器の新調に武器屋へ足を運んで、それからギルドへ顔を出すつもりだ。
帰りは昨日よりも遅くなるだろう。
そうなると、フィノがまた部屋の前で待っているかも知れない。
一言いっておくべきかと、踵を返して店のドアに手を掛けた瞬間、先にドアが開かれた。
店の中から現れたのはラーセだった。
開口一番、彼女はユルグにこんなことを尋ねたのだった。
「あんた、昨日あの子に何か言ったのかい?」
「……心当たりはあるな」
大方、フィノが落ち込んでいたからそれについてグチグチ言われるだろうと身構えていたが、ラーセはユルグの答えに眉を寄せて不思議そうな顔をした。
「あの子、何でか急にやる気出しちゃってね。昨日もそりゃあ良く働いてくれたもんだけど、今日はその比じゃないんだよ」
「理由は?」
「それが分からないからあんたに聞いてんのさ」
神妙な面持ちで話す彼女に、ユルグも意味が分からなかった。
昨日の今日だ。フィノは落ち込んでいるものとばかり思っていた。しかし、蓋を開けてみれば真逆。
一体全体どうしたというのか。
「その様子だと、あんたに聞いても意味が無いね」
「さっぱり分からない」
「あたしがそれとなく聞いておくよ。あんたはこれ以上、あの子にキツく当たるんじゃ無いよ」
しっかりと釘を刺して、ラーセは店に戻っていった。
フィノの様子がおかしいのは、きっと昨夜の出来事が起因しているはずだ。
しかし、あれで落ち込むのは分かるが、俄然やる気になるとはどういうことだろう。
深く考え込んでも分からないものは分からない。
一先ずこの問題は置いて、やるべき事を済ませなければ。