虎穴に入らずんば
不幸中の幸い、先ほどの無数の触手はすべて氷漬けにされて息絶えている。
おそらく、あいつらの正体は本元に寄生していた魔物だろう。海中に潜っている奴の代わりに水面下に潜んで獲物の察知を知らせる。その対価として餌のおこぼれをもらうといった感じだ。上手くできた共存関係だと思うが、こちらとしても被害を被っている以上、素直に称賛してはやれない。
「よし、決めた。今回はお前にも協力してもらう」
マモンへと声をかけると、彼は訝しげにユルグを見つめた。
『それは構わないが……足場のない場所ではどうすることも出来ないぞ』
「それなら問題はない」
彼の懸念事項を否定すると、マモンは首を傾げた。
今回彼には魔物と戦ってもらうつもりはないのだ。それはユルグとフィノの役目。マモンには肝心要の最後の仕上げを行ってもらう。
『ふむ……というと?』
「お前にはあいつに喰われてもらう」
『な、なにを……』
絶句したマモンに構うことなく作戦を説明する。
あの魔物に対しての一番の有効打は外側から削るのではなく、内側から強力な攻撃を食らわせること。それに尽きる。けれどそんな無茶苦茶な戦法は生身の人間にはまず不可能だ。あんな化物に喰われにいけなど、死ににいけと言っているようなもの。
実際、ユルグとフィノには無理な芸当である。であれば……死ぬことのない不死身の魔王に身体を張ってもらうしかない。
「……というわけだ」
『お、お主……魔王遣いが荒いぞ!』
「減るもんじゃないんだ。喰われるくらい良いだろ」
『そういう問題では』
確かに、あんな不気味な化物に喰われることになるなんて、想像したくはないし御免被りたい。彼の気持ちも分からなくもないが、これ以上の適任もいないのだ。
「だがただ喰われるわけじゃない。こいつを持っていけ」
ユルグが取り出したのは、先ほどと同じ魔法を込めた魔鉱石。それを三つマモンの首に巾着に入れて下げてやる。
『うぐ……本当にやるつもりなのか?』
「成功確率を上げる為に、俺とフィノはあいつの触手をすべて斬り落とす。それが済んだら突撃してくれ」
「マモン、がんばってね!」
項垂れたまま身動きしないマモンを小舟に残して、ユルグは船外に飛び出した。
それに続いてフィノも剣を抜いて跳躍すると、右回りで触手を分断していく。
彼女の十八番である風魔法のエンチャントならば、あんな触手など軽々両断出来るだろう。あちらの心配をする必要は無い。
海面に飛び出している触手を足場に、ユルグは左回りでのたうち回る触手を斬り捨てていく。
だが小島の主も馬鹿ではない。黙って切り刻まれるつもりはないらしい。
刀身を滑らせて触手を一本斬り落とすと、一瞬の隙を縫ってユルグの視界を打ち上がった波が塞いだ。先ほどから暴れ回っている触手が海面を叩いたせいだ。
奴の表面には無数の目玉がある。図体がデカくて攻撃を避けるどころではないのだろうが、それでも敵対者への反撃は的確だ。
「――っ、クソ」
目眩ましの水飛沫を頭から被ったユルグは、不意に頭上から影が降ってきたことに気づいた。
慌てて足場にしていた触手の上から飛んで、握っていた剣を目玉に刺して一時避難。頭上に足を掛ける。
「黙って嬲らせてはもらえないみたいだな」
のろまな触手だが一つ一つがかなりの大きさだ。気を抜けばぺしゃんこにされてしまう。
「おししょう、こっちはいいよ!」
ユルグが未だ苦戦していると、フィノから声が掛かった。
聞こえた声音に高見から確認すると、右回りに四本。触手が落とされている。
「そのまま残りも頼む!」
「ん、わかった!」
ユルグの指示に、フィノは身軽に魔物の体躯を足場に駆け回る。一人奮闘するフィノを尻目に、ユルグは一度小舟へと乗り移る。
「覚悟は出来たか」
『……己は構わないが、あれの体内には瘴気が残留しているはずだ。どれほど溜め込んでいるかわからんが……その中に入るというのならお主の寿命も削れることになる。出来るなら他の方法が良いのではないか?』
マモンの提案にフィノとじゃれ合っている魔物を遠目に観察する。
「末端の触手なら斬れるが、あいつの本体は無理だ。分厚い肉の内側は硬い骨に覆われているはずだ」
先ほど触手を切断した時に気づいた事だが、あの魔物の体躯を支えている骨格はかなりの硬さを誇っている。触手を斬れたのは骨の関節を狙って斬り落としたからだ。
風魔法のエンチャントを使っても本体を真っ二つにすることは叶わないだろう。
「それに、こいつに時間を掛けていられない」
「……そこまで言うのならば、了解した」
マモンの言葉に、ユルグは彼を脇に挟んで抱きかかえた。
一足飛びで小舟から魔物の正面へと飛ぶと、声を張り上げる。
「一旦退け!」
「わかった!」
最後の触手を斬り落としたフィノは、ユルグと入れ替わりで小舟へと戻っていく。
魔物の面前にはユルグと抱きかかえられたマモンだけ。
敵は手足である触手をすべて落とされてダルマ状態。そんな状況で奴が出来る事といえば……人間一人など丸呑みに出来る大口で、立ち尽くしているユルグに噛み付くことだけだ。
「――っ、ここだ!」
魔物が大口を開けた瞬間に、ユルグはマモンを力の限り投げつけた。
放物線を描いてマモンが口の中へ吸い込まれていったのを確認した後に、すぐさまその場から離脱する。
ユルグがフィノの待つ小舟まで撤退した直後――
「さ、さむい!」
急激に気温が下がり、魔物を中心に海面が凍っていく。
目を凝らすと魔物の表面にあった無数の目玉は、霜が張り付いてまっしろに凍っている。
異変に気づいた直後、魔物の体躯の中心から巨大な氷柱が出現した。体内から表れたそれは弾力のある身体などものともせず、大穴を開けて化物を穿っている。
その穴の隙間から、鮮血のように黒い瘴気がとめどなく溢れてきている。どうやらマモンの予想は当たっていたらしい。
「おししょう、やったね!」
寒さに凍えながらフィノは拳を突き出してきた。
それの意図を理解して、ユルグも拳を突き出す。
「やるじゃないか」
「えへへ、でしょ!」
こつんと拳を突き合わせて、フィノは屈託ない笑顔を見せるのだった。




