小島の主
一部修正しました。
それは音もなく足元から忍び寄って来た。
けれど海上には何の姿もなく、手足のように蠢く触手だけが水面下で足元を動き回っている。
ユルグがそれに気づいた瞬間――触手が片足を絡めとった。
「くっ――」
すかさず剣を抜いて切り捨てる。手応えはあった。
けれど妙だ。敵の姿がどこにも見えないのだ。
これではこちらから手出しのしようがない。
水面下から飛び出してくる触手を切り捨てながら、懸命に周囲を探る。しかし、ユルグの視界には何の姿も映らないまま。
「おししょう!」
見かねて、背後からフィノの声が響く。今のところ言いつけを守って小舟の上で待機してくれているが、すぐにでも飛び出して来かねない。
「フィノ! 何か見えるか!?」
「んぅ、なにか……」
ユルグの呼びかけにきょろきょろと辺りを見渡すフィノだったが、それらしい影はみえない。マモンも気づいた様子はないし、本当に何も気配がないのだ。
「なんもないよ!」
『地上には何もないな』
二人の意見はユルグと同じだった。
だが、そうであっては困るのだ。いつまでもこうして触手の相手をしていても意味がない。
本体があるならそれを仕留める。そうでなくても何らかの手立てを講じなければいけない。
依然襲いかかってくる触手から逃れるように、ユルグは岩礁の上を駆け回る。しかし如何せん足場が悪い。
穴ぼこに足を取られて転げそうになる――と同時に片手の手のひらを水面につける。
一瞬。離すと、そこから瞬く間に氷柱が突き出した。
「わっ――!」
背後から聞こえてフィノの叫び声に反応する間もなく、ユルグはすぐさま三メートル程度の氷柱の天辺に登る。
そうして俯瞰的に今の状況を見渡す。
すると――なにが起こっているのか。理解できた。
「これは……壮観だな」
ユルグの眼下には、岩礁の隙間に所狭しと触手が蠢いている光景が広がっていた。
それは両の指で足りる数ではない。
こいつらが自立して動いているのか、はたまた本体の一部なのか。
何にしてもこいつらを全部倒さないと、公王との取引は果たせないわけだ。
「おししょう! だいじょうぶ!?」
「お前はそこにいろ!」
こいつらに斬撃は利かないだろう。切り落とした触手も動き回ったままだ。確実に殺すにはそれ以外の方法を取る必要がある。
この環境下では、ここら一帯を氷漬けにするのが一番だろう。
雑嚢に手を忍ばせて、取り出した魔鉱石に魔法を込める。
――〈アイシクルヘイル〉
蒼く輝き出した魔鉱石を真下の海へ投げ入れると、海面は瞬く間に氷漬けになっていく。
蠢いていた触手はすべて動かなくなってしまった。
「……どうだ?」
しん、と静まり返った岩礁帯を見渡して、ユルグは白む息を吐き出す。
「たおしたの?」
『どうだろうなあ。あまりにも呆気なさすぎる気がしないか?』
マモンの言う通り、これで敵を倒せたとはユルグは思っていなかった。
このくらいで倒せるのなら、公王だってわざわざ魔物退治を頼んでくるはずもない。
氷漬けになった眼下を眺めていると、直後――ユルグの懸念通り、それを押し出すように水面下で何かが動き出した。
岩礁ごと地面が競り上がって次第に形を変えていく。
不安定な氷柱から飛んで、小舟へと着地すると眼前の光景をじっと観察する。
凍った触手を押しのけて、表面を張り付かせながら現れたものにユルグは息を飲んだ。
「なるほどな」
公王は、ユルグへと条件を提示した時に退治する魔物を『それら』と言っていた。
だから複数いるのだろうと予想していたが……今の触手は彼の言う『それら』とは違うみたいだ。
いや、厳密に言えばこの触手も含まれてはいるのだろうが……今しがた出てきた魔物とこの触手は同一個体ではないということ。
「フィノあれしってるよ! このまえたべたやつ!」
「アイツは食ったら腹壊すだろうな」
姿を現した魔物は海洋生物のタコのような見た目をしていた。
しかし通常のそれよりは遥かに禍々しい見た目をしている。
体表を覆うようにたくさんの濁った目玉が付いていて、手足は八本だがそのどれもが、小舟を容易く破壊出来るくらいには太くてでかい。
そもそも、大きさ自体が規格外だ。まるで小さな島ほどはある。
それもそのはず、岩礁帯の下に埋まっていた魔物はそれを体躯に張り付けて浮上してきた。
どうやらここら一帯、小島と呼ばれていた場所はヤツの身体の上だったみたいだ。
「おししょう、どうするの?」
相手の出方を見定めていると、隣からフィノの不安げな声が聞こえてきた。
「うん、どうするかな」
おそらく剣で斬りつけたところで決定的なダメージは与えられそうにない。
そもそもあんな巨体だ。それこそ体躯を吹き飛ばすくらいの威力でなくては完全に殺しきることは出来ないだろう。
難しいが……とはいえ、何の手立ても無いわけではない。




