エンカウント
まだ陽が出ている時間帯。ユルグはフィノを連れて、サノワ近郊の港へと足を運んでいた。
「船を一隻、北東の岩礁帯まで出してくれ。許可はもらっている」
公王から譲り受けた書状を船頭へみせると、すぐさま準備に取りかかってくれた。
「ねえ、どこにいくの?」
「岩で出来た小さな島だ。といっても今の時間帯だと潮の満引きで海の底に沈んでいるらしい」
「なにするの?」
「それは着いてからのお楽しみだ」
意味ありげなユルグの言葉にフィノは首を傾げてみせた。
けれどそれもすぐに成りを潜めてしまう。彼女の興味は眼前に広がる雄大な景色に奪われているのだ。
膝の上に黒犬のマモンを乗せて、波打ち際の石壁へと腰掛けると大人しく見入っている。
……いつもこんなふうに大人しかったら良いんだが。
そんなことを思っていると、背後から声が掛かった。
「すいやせん……少しいいでしょうか?」
船の準備を待っている間、雑談をしていると先ほどの船頭が戻ってきた。その顔色はあまり良くないものだ。
「話には聞いていると思いますが、あそこは危険でして……」
エルフの船頭の話では、自分も命が惜しいから船を貸してやるから自分たちで向かって欲しいというものだった。
まあ、彼の話も分からなくもない。公王の話では件の岩礁帯に潜んでいる魔物にかなりの人数が餌食になったのだという。
そんな恐ろしい化物の住処など近づきたくもないはずだ。
「わかった。無理を言ってすまない」
「ご武運をお祈りしております」
ぺこりと頭を下げた彼はそそくさとユルグたちの前から消えていった。
一行の眼前に残されたものは木造の小舟。それも定員三名ほどのオンボロ船だった。
「流石に……これは無理があるだろ」
こんな小舟であれば無事に返ってこなくても諦めはつく。それとも、ユルグでも操舵出来るものを用意してくれたか。
わざとかどうなのか知れないが……良い性根をしているのは確かである。
不安定、尚且つ限られた足場で未知の魔物と対峙するのはリスクが高すぎる。だから出来るだけ万全の状態で挑みたかったのだが、仕方ない。
とはいえ、予測出来る危険に何の対処も無しとはいくまい。
「この中で泳げない奴はいるか?」
隣の二人に話しかけると、フィノはふるふると頭を振った。
「ううん、フィノはだいじょうぶ」
『……』
返事をしたフィノに続いて、マモンは沈黙したまま。
それをユルグの質問にたいしての肯定なのだと理解した。彼がわざと言葉にしないのは……もしかして恥ずかしいからか?
「フィノは分かるが……お前は犬だろ」
『そ、そう単純な話ではないのだ! 仕方なかろう!』
少しだけ焦ったような反応に、マモンが泳げないのは本当のことらしい。
魔王が水の中では無力であるというのはなんとも締まりが無い。
『そっ、そういうお主はどうなのだ!?』
「安心しろ。お前みたいにカナヅチじゃない」
余裕を態度に醸し出したユルグに、マモンはぐぬぬと唸って反論をやめた。
「だがそうなると、お前には小舟を護衛してもらった方が良いな。壊されでもしたら帰りは泳いで戻ってくる羽目になる。そんなのはいやだろ」
「うん、そうだね」
『……わかった』
フィノの同意もあって、マモンは渋々頷いた。
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小舟に乗り込んだ一行は北東の岩礁帯へと向かう。
今日は比較的波が穏やかで、船の操舵に慣れていないユルグでもなんとか進めている。
「見えてきたぞ」
遠目に見えてきたのは小島というよりは、海面上に突き出ているほんの少しの岩の先端だ。
おそらく時間帯で消えたり現れたりを繰り返すのだろう。
そして、そういった岩礁は船乗りには最悪なスポットなのだ。知らずに近付いて船が座礁してしまうとどうにもならない。立ち往生している間に、ここに潜んでいる魔物にやられてしまう。
筋書きとしてはこれ以上無いまでに完璧だ。
「ねえ、なにするの?」
「魔物退治だ」
「……んー、でもどこにもいないよ」
きょろきょろと周りを見渡してフィノが言うとおり、海上には何の姿も見えない。
「誘き出すしかないな」
船の淵に足を掛けると、ユルグはひょいっと海へと足を踏み出した。
けれど、海水に浸かるのは足首まで。岩礁が足場になってくれているのだ。
「お前はそこで待っていろ」
「う、うん」
奇襲を受けた時のことを想定して、二人で固まって動くのは避けた方が良い。
一人海中に沈んだ小島に上陸したユルグは、ザブザブと海水を掻き分けてその先端に足を掛けた。
直後――微かに足元が動いたような……
「――っ、うわ」
異変を感じた瞬間には、海面スレスレの水面下に赤褐色の触手が蠢いていた。




