譲れない大願
公都サノワの近辺、海岸に現れるという魔物の情報をもらって、ユルグは城を後にした。
公王との交渉では魔物を退治しなければ目当ての情報には辿り着けない。少し遠回りにはなるが、十分な結果と言えるだろう。
『先の話だが』
フィノとカルロを待たせている宿に帰る道すがら、ユルグの影から出てきた黒犬のマモンは足元を歩きながら物憂げにユルグへと尋ねた。
「なんだ?」
『アリアンネのことだ。……何を企んでいると考える?』
マモンの問いかけに、これまで知り得た情報を頭の中で整理する。
まず、彼女の大願は千年間続いてきた世界の仕組みを変えることだとユルグは考えている。アリアンネにはそれを成す十分な理由もある。それが出来る立場も備えている。一朝一夕とは行かないが時間を掛ければ必ず成し遂げるだろう。そんな予感がするのだ。
きっと、以前にユルグへと持ちかけてきた皇帝の暗殺。それも彼女が抱く大願の手段の一つなのだろう。皇女のままではどうやっても出来る事は限られている。だからアリアンネはその決断をしたのだ。
問題は、結果に至るまでの手段。
アリアンネが一人ですべてを成すのならばそれで良い。しかし、彼女はなぜかユルグに協力を求めてきた。……正確には魔王に、だ。
その事実がどうにも引っかかる。
「魔王が一国の王を殺すことに何の意味がある?」
目に見えて善行を行うのならまだ筋は通る。
かつて……二千年前のマモンがそうだったのだ。今のように日陰者ではなく、英雄たり得る存在だった。
けれど、アリアンネが持ちかけた提案はそれのまったくの真逆の行いである。地に落ちたイメージを更に貶めるものだ。
彼女が望む勇者が存在しなくても良い世界を作るには、どうしても繋がらない。
『目的は依然不明だが……おそらくすぐには動き出すことはないはずだ』
「どうしてそこまで断言できる?」
『勇者の選定まで数年の猶予があるからだ。お主の寿命が残り僅かとなるまで次の生贄が選ばれることはない。それでもアリアンネが黙って指を咥えているとは思えないが……今のところは安泰だろう』
マモンの言う勇者の選定……確か、公王も同じことを言っていた。
それについて、ユルグにも覚えがある。なんせそれのせいで、今のユルグがあるのだ。正直良い思い出はないし、元勇者であるユルグにとっても次代の勇者が選ばれることだけは避けたい。
彼らに同じ苦しみを負わせたいとは僅かも思っていないのだ。
「今は目先の事に集中するべきだな」
サノワの周辺で猛威をふるっている魔物は、国の精鋭でも手こずる相手らしい。甘く見ていると喰われかねない。
いつも以上に気を引き締めて当たらなければ。
===
途中でカルロに頼まれた土産を見繕って、ユルグは二人が待っている宿へと帰ってきた。
「ただい――」
「おかえり!」
部屋の扉を開けた直後に、物凄い勢いでフィノが抱きつこうと飛び掛かってきた。
もう何度目かになるやり取りである。流石にユルグもそう何度もタックルを食らうわけにはいくまい。
声が聞こえて、抱きつかれるその直前にさっと半身を捻る。以前によくやってみせた足払いの所作に、いち早く気づいたフィノは転ばされる寸前のところで踏みとどまった。
「なんだ、引っかからないのか」
「ふふん、そうはいかないよ!」
ユルグの目論みを看破したフィノは勝ち誇ったように胸を反らす。
そんな彼女の背後からカルロが待ちかねたように顔を覗かせた。
「お兄さん、お土産買ってきてくれた?」
「ああ、こいつに入ってるから勝手に出して持って行ってくれ」
「待ちくたびれたよ……んじゃあ、いただきます!」
ユルグから受け取った背嚢の中身をごそごそと漁りだしたカルロに目もくれず、フィノは上目遣いでユルグを見つめた。
なんだと訝しんでいると、彼女はある要求を突き付けてきた。
「おししょう、そとにつれてって!」
「……カルロに言われただろ。大人しく部屋にいろ」
「ずっとまってるの、ひまなんだもん!」
ごね始めたフィノは何がなんでも外に行きたいみたいだ。
ユルグと一緒ならば滅多なことは起きないだろうが、それでも連れ立って街中を歩くとなると面倒事に巻き込まれる。それは確実だろう。
「駄目だ」
「んぅ、ケチ!」
「……お前なあ、誰が迷惑を被ると思って」
その時、ふとユルグの脳内にある名案が思い浮かんだ。
あれならば、フィノも部屋の外に出ることが出来て、ユルグの益にもなり得る。一挙両得である。
「カルロ、今からこいつと出てくる。留守番を頼んでも良いか?」
「また? いいよー。私はゆっくり飲んで待ってるから」
酒瓶を振りかざして上機嫌で答えたカルロを残して、フィノに支度をさせる。
「どこにいくの?」
「海だ」
――行きたいって言ってただろ。
薄く口元に笑みを乗せて答えると、何も知らないフィノは瞳を輝かせるのだった。




