海沿いの宿場街
ベルゴアは海沿いの宿場街だ。ラガレットの公都であるサノワへ向かうには、必ずここを通る事になる。
その大抵が旅人で、行き先は公都になるわけだから長期滞在する人はあまりいないわけだ。
例に漏れず、たった今ベルゴアへ着いたユルグたちも、そのうちの旅人に含まれる。
二人と一匹が街に入ったのは、明け方近く。丁度、朝陽が昇って空が色づき始めた頃だった。
『この街には留まるつもりなのか?』
足元を着いてくるマモンが、人畜無害な犬の振りをしながら小声で尋ねてくる。
「いいや、特に用もないからさっさとサノワまで行ってしまおう」
「――えっ!?」
聞こえた叫び声に振り返ると、足を止めたフィノが縋るような眼差しをユルグに向けていた。
「せっかくきたのに、もういっちゃうの?」
「用事もないんだからここに居ても意味ないだろ」
「そんなこといわないでえぇ」
間延びした声に、ユルグは自然と顔を顰めていた。
このパターンは絶対、面倒な事態になる。直感で分かってしまうのだ。
予想通りにフィノはユルグの腕を掴んでグイグイと引っ張ってくる。
「きょうだけでいいから!」
「……今日だけって、こんな場所でどうやって時間潰すつもりだ?」
「ええっと……」
ユルグの問いかけに彼女は指折り数えて呟く。
まずは、美味しいご飯を食べて。すぐ近くにある海を見に行って……街中を散策したら、宿を取って寒くない寝床と柔らかなベッドでゆっくり休む。
片手に納まるくらいの要望は慎ましやかなものだった。
たった二日といえど雪が降る中、足場も悪い道を歩んできたのだ。息抜きだって必要だが……それはもう少し後でも問題はないはずである。
以前より身体が鈍っていたユルグでも、ここまで来るのに十分な休息が必要なほど疲れてはいない。ましてや、ユルグよりも体力があるであろうフィノには無縁の話である。
「却下だ」
「な、なんで!?」
「街中を歩き回れるくらいなら休む必要ないだろ」
「そんなこといわないでっ!」
「それに、贅沢を出来る金はどこにもない」
多少の路銀はあるが、二人で宿に泊まるなんて贅沢が出来るほどの金は持ち合わせていないのだ。
しかし、それを指摘するとフィノは待ってましたと言わんばかりに、ごそごそと背嚢を探ってあるものを取り出した。
「それならまかせて!」
彼女が取り出した物は、中身がパンパンに詰まった皮袋の財布。
約一月、冒険者ギルドの依頼をこなして貯めた金であることはユルグにもすぐに分かった。
「おかねならいっぱいある!」
「そういう問題じゃ――」
苦言を零そうとしたユルグだったが、すべて言い終える前にそれは中断された。
いきなり二人の間に割り込んできた人影に、フィノが掲げていた財布をかすめ取って行かれたからだ。
「――あ」
完全に意識の外から死角を突かれた行動に、すぐに反応は出来なかった。盗られたと認識するまで数秒。その間に、盗人は脇目も振らずに駆けていく。
「っ、追いかけるぞ!」
「う、うん!」
遠ざかって行く背中を補足して、追いかける。
朝方のせいか、道行く人もまばらで追跡にはそれほど難儀はしない。
このまままっすぐ走っていてもいずれ追いつかれると悟ったのだろう。犯人はボロの外套を翻して建物の間へと身体を滑り込ませた。
「マモン、お前は反対側から回り込め!」
『了解した』
ユルグの指示に、マモンは速力を上げて二人の先を行く。
それを目端に捉えて、盗人が入り込んだ路地へと二人は駆けていく。
「止まれ!」
「だああ、もう! なんで追ってくるんだよ!」
「お前が他人のものを盗っていったからだろ!」
「盗られる方が悪いんだよ!」
何とも低俗な言い訳である。
外套のフードを目深に被った盗人は、背後をちらりと見て二人の姿を確認すると再び前を向く。
あの様子では、なんとしても制止の声に止まることはなさそうだ。
しかし、だからといってこのままみすみす逃すつもりはない。
足を止めることはなく走りながら、ユルグが雑嚢へと手を伸ばした瞬間。
「――っ、ひゃうう!」
奇妙な叫び声を上げて、前を走っていた盗人は転ぶとゴロゴロと地面を転がっていく。
盗人の進路を塞いだのは先ほど先行していったマモンだった。
彼は擬態している犬らしい態度で、唸り声を上げてじりじりと盗人へとにじり寄っていく。
「ちょ――っ、それ以上近付くな!」
「なんだ、犬が怖いのか?」
尻餅をついて後退りする盗人へ見下ろしながら声を掛けると、声もなく何度も頷く。
「と、盗ったのは返すから。そいつ近寄らせないで!」
「その前に言うことがあるんじゃないのか?」
「うっ……わ、わかった。わかったから! ごめんなさい!」
地面に正座して頭を下げた。その様子を見るに反省はしているようだが……こういった手合いはまた同じ事を繰り返すだろう。
誰が困ろうともユルグには関係ないが、予定が狂わされた責任は取ってもらわなければ。
取りあえず街の衛兵にでも突き出してしまおう。
「おししょう、あやまってるからもういいよ」
仁王立ちのまま犯人を睨み付けていると、マモンを抱きかかえたフィノが甘いことを抜かす。
「おさいふ、かえってきたし」
「そうそう、お兄さんも私みたいなのに構ってちゃ時間の無駄ってやつだよ!」
「お前がそれを言うか」
呆れていると、どこからか腹の虫の音が聞こえてきた。
「あはは、走ったらお腹空いてきちゃったなあ」
「フィノもおなかすいた」
「……はあ」
深い溜息を吐き出しながら、ユルグは考えを改めることにした。
もう既に厄介事に巻き込まれてしまっているみたいだ。沼に片足を突っ込んでしまえば、抜け出すのは容易ではない。
「俺は金を払わないからな。こんなどこの馬の骨とも知らん奴に……おごるならお前が出せよ」
「うん、わかった」
「はああ、君ってやつは良い子だねえ。将来きっと大成するよ!」
「う……ありがと?」
フィノの頭を撫でくり回している彼女は、気が済んだところで被っていた外套のフードを上げた。
瞬間――見覚えのある顔に、ユルグは目を見張って固まるしかなかった。




