臆病者の選択
「アリアとティナのことなんだけどね……」
ミアがぽつぽつと話し始めたのは、ユルグがアリアンネと睨み合っている時のことだ。席を外したあとティナから話を聞いて、そこでミアも何が起こっているのか。理解したらしい。
友人の置かれている状況が、彼女一人では最早どうにもならないことを。
「こんなこと、本当は頼むべきじゃないのは分かってる。でも、でもね……ティナは泣いてた。ごめんって、泣いてたの」
ミアの話を聞いて、ユルグもその事実に驚いた。
ユルグが知るティナは、いつも気丈で涙を見せるような人ではない。それはミアだってそう思っていたはずだ。
けれど、自分じゃどうしようもないと悟って。それでも主人であるアリアンネを救ってやれない。見捨てる事も出来ない。そんな板挟みの状態が彼女を追い詰めてしまったのだ。
「私じゃ何もしてあげられない。でも……」
そこで一度、ミアは言葉を区切った。
うつむき加減だった顔はしっかりと隣に座るユルグに向けられている。傍に置かれていた手が縋るようにユルグの手を握った。
「ねえ、ユルグ。なんとか出来ないかな」
聞こえた言葉は、彼女なりに深く考えて出した答えだった。この結果がどうなるか。理解した上でミアはユルグに頼んでいるのだ。
「ミアはそれで良いのか?」
「うん」
「また待つことになる」
「それでもいいよ」
まっすぐにユルグの瞳を見つめて、ミアは答えた。その眼差しには確固たる決意が秘められている。ユルグが何を言っても彼女は意見を変えないだろう。
「五年も待ったんだもん。少しくらい待たされても大丈夫! あ、もちろんユルグがいいよって言ってくれたらだけど、無理だったら――」
「……わかったよ」
一度目を瞑って、応えてくれたユルグにミアは驚きに瞠目した。
「いいの?」
「でも、必ずどうにかできるなんて保証はない。それでも良いなら」
「――ありがとう!」
被っていた毛布をはだけて抱きついてきたミアは、胸元に顔を埋める。
華奢な身体を抱きしめて、ユルグは内心ほっとしていた。
これでミアの元から離れて旅立てる、最高に都合の良い大義名分が出来た。
ラガレット国内を巡る旅に出るといえば、必ず追求されることになる。
何の為にそんなことをする必要があるのか。それを聞かれて上手く誤魔化せる自信がないし、体の良い言い訳も思い浮かばない。
もちろん、なんとか説得するつもりではいたが……正直に話すにしても嘘を吐き通すにしても彼女を不安にさせるのは確かなこと。
ミアからの頼み事は、そんなユルグの不安を悉く解消してくれた。
これで何の憂いも無く旅立てる――はずだ。
それなのに、どうしてか。胸のつかえが取れることはない。
この状況に何の不満もない。幼馴染みに余計な心配を掛けることもなくなった。秘密も守られる。ミアを悲しませることだってない。問題なんて何もない。
けれど無性に、何かが気に掛かる。
どうしてだと考えて……ユルグはその答えに辿り着いた。
心配を掛けることもなくなった?
秘密も守られる?
悲しませることもない?
――問題なんて何もない?
それはすべて、今だけの話だ。何も解決していない。すべて後回しにして、逃げているだけ。
心配を掛けたくないのなら。悲しませたくないのなら。
嘘なんか吐いてないで、すべて洗いざらい話して……それから彼女が何を思うか、どうしたいか。答えを聞いたって遅くないはず。
そこまでの踏ん切りがつかないのは、それらがすべてユルグのエゴであるからだ。
ミアの幸せはユルグの存在無くしては成り立たない。
それは本人からも聞いたことで、ユルグも理解している。
彼女の幸せを願うのなら、何をすべきか。何を取るべきか。知っているのに、応えられない……いや、応えないだけだ。
やりようならいくらでもあるのだ。
今回の旅に着いてきてくれと頼んだのなら、彼女は拒絶しないだろう。それが端から選択肢にないのは、秘め事を知られてはユルグにとって都合が悪いから。
道中が危険だからでもない。長旅になるからでもない。たったそれだけの理由なのだ。
「……ごめん」
自然と零れた謝罪に、ミアは驚いたように顔を上げた。
「な、なんでユルグが謝るのよ。私が無理言ってるんだから、謝るのは」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
聞こえた声を遮って、抱えた頭ごと強く抱きしめる。
「わっ、なんなの? もう……」
再び胸元に顔を埋めることになったミアは戸惑った様子で……けれど、とても嬉しそうに笑んだ気配が伝わってくる。
「もう少しだけ、このままでいてくれないか」
「……仕方ないなあ」
胸元から届いた声は、とても優しげなものだった。
けれど、臆病者はどうあってもそれに応えられないのだ。本来ならば、こうして抱きしめてやることだって、間違いなのかもしれない。
ずっと分不相応な望みを抱き続けている。いっそどちらかに振り切ってしまえば楽だろうに。
分かっていて、自覚していて。わざとそれを選んでいるのだから。
――本当に……
===
「本当に、お前はクソ野郎だよ」
目の前にある墓石を見つめながら零した言葉に、自虐的な笑みを浮かべる。
今のユルグを見たのなら、あの二人はなんて言うだろうか。
無意味な想像をしながら墓前に街で買ってきた酒瓶を置くと、ユルグは椅子代わりの丸太へと腰を落ち着けた。
既に日が暮れて、周囲はまっくらな帳が降りている。
傍で焚き火を起こして暖を取りながら、マグに入った酒に口を付けた。
ミアの頼みを承諾したユルグだったが、本命はログワイドの手掛かりを探すことにある。
そもそも、アリアンネが何を計画しているのか。真実は誰にも知り得ない。ミアの話ではティナだって知らないようだった。それを一から探って、なんてやっていたらどれだけ時間が掛かることやら。
とはいえ、ユルグもアリアンネが何をしようとしているのか。子細は気になるところ。多少は探ってみるが本腰を入れるつもりはない。あくまでついでに留めるつもりだ。
「待たせてすまない」
背後から聞こえた声に振り返ると、杖をつきながらエルリレオが暗闇の中から現れた。
彼はユルグの隣に座ると空のマグへと酒を注いでいく。
「そういえば、エルが酒を飲むところは見たことがないな」
「昔は若さにかまけて飲んだものだが……儂もだいぶ歳をとったからなあ」
「昔って何年前の話だよ」
「百年か二百年か……まあ、お主らがまだ生まれてもいない頃なのは確かかのう」
笑いながら答えて、エルリレオはマグをあおる。
「そういえば、今日留守番中にフィノに聞かれたことがあってなあ。儂は知らんと答えたのだが……たまにお主の言葉遣いが荒れる時があるのはなぜかと聞かれたよ」
「ああ、確かに。たまにあるね」
自分では意識してはいなかったが、わざわざ聞かれるということはそれだけ気に掛かっていたということだ。
普段は荒々しい言葉を使うこともないから、驚くのも無理はない。
「まあ、大凡の予測はつく。どうせ、グランツの癖がうつったのだろう?」
「うん、そんな感じ」
グランツがよく言っていたことだ。
戦闘中は叫んだり怒ったり、感情を昂ぶらせた方が普段よりも力を出せるらしい。グランツは本人の性格も相まっての事だとは思うが……ギルドの依頼を手伝わされたり、前衛で一緒に戦っていたらいつの間にかそれが染みついてしまった、といったところだ。
「まったく……困った奴だ」
「でも俺は感謝してるよ。グランツにもカルラにも、もちろんエルにだって」
「ふはは、嬉しいことを言ってくれる。……二人も喜んでいるだろうよ」
そう言って、エルリレオは嬉しそうに微笑んで、空になったマグに酒を注いでいく。
しばらく他愛ない談笑をして、夜も更けてきた頃。
「ふう、酔いが回ってきたかのう。そろそろお開きといこうか」
「俺も、これ以上は飲めない」
元々ユルグはそれほど酒に強くはない。いつだったか、グランツにしこたま酒を飲まされて以来のちゃんとした飲酒だったが、何事もやり過ぎは良くないのだ。
片付けようとマグを空にしているエルリレオを見つめて、ユルグはおもむろに口を開いた。
「エル、少しいいかな」
「うん? どうした?」
「エルに頼みがあるんだ」
「……ミアのことかね?」
彼はまるでユルグの考えが読めているかのように、ドンピシャで当ててきた。
「うん。俺が戻ってくるまで一緒にいてやって欲しい」
「それは……ユルグが行かねばならぬ事なのか?」
「俺にしか出来ないことなんだ……俺がケリを付けるべきことなんだよ」
真摯に訴えると、エルリレオは深く息を吐いた。
そして、まっすぐにユルグを見つめる。
「わかった。無事に帰ってくると約束してくれ」
「ああ、約束する」
「本当は心配だが……フィノも連れて行くのだろう?」
これについては彼の予想通り。
ミアが一人で旅立たせるのは不安だというので、妥協案としてフィノを同行させることになった。
といっても、フィノが居たところでむしろ困る事の方が多そうなのだが……彼女の機嫌を損ねて心配させるのも本意ではない。泣く泣く承諾したのだ。
「ミアがその方が安心だって言うから……俺は別に居なくてもいいんだけど」
「そんな大口を叩いて、また怪我をして帰ってくるのが目に見えておるからなあ。それだから儂もミアも心配するのだよ」
「うっ……それは、気をつけるよ」
図星の指摘に言い返せずに口籠もると、それを見てエルリレオは愉快そうに笑うのだった。




