残酷なわがまま
物憂げな表情をする彼女を今一度見遣って、ユルグは突っ立っているフィノの横を通り過ぎて歩き出す。
「だったら早く済ませよう。遅くなるとまた心配を掛けてしまう」
「……わかった」
とぼとぼとユルグの背後を着いてくるフィノと、その少し後ろをぽてぽてと歩いてくるマモン。
いつになく険悪な雰囲気のなか、祠までの道を辿っていく。
「そういえば、あれは何だったんだ?」
道中の静寂を掻き消すように聞こえたユルグの声に、フィノは俯いていた顔を上げた。
「……あれって?」
「昨日の、魔物を宙へ飛ばしたやつだ」
雪中に潜っていた魔物が次の瞬間には宙へと舞っていたのだ。
あれにはユルグも驚いた。フィノが何かしらしたのだろうが……というか、いつの間にあんなことを覚えたのか。
言うまでもないがユルグは何の手解きもしていない。ということは、あの一連の手管は彼女が自ら考えて編み出したものだ。
ユルグが療養している最中、フィノは毎日のように冒険者ギルドで魔物の討伐依頼を受けていたそうだ。少しは経験もついた頃だろうと思っていたが、やはりフィノにおいては何に際しても、物凄い勢いで覚えて自分の物にしていく。熟練度合いでいったらユルグよりも早い。
だから、昨日のあれには正直に言ってしまえば度肝を抜かれた。
「あれは……かぜまほう、つかったの」
「ああ、なるほどな」
それを聞いてユルグも合点がいった。
フィノは風魔法で突風を起こして魔物を吹き飛ばしたのだ。
しかしそうは言っても彼女は普通の使い方はしていない。魔法を飛ばして相手に当てるではなく、あらかじめ罠を張ってそこに引き込んだのだろう。
雪中を泳ぐ魔物には攻撃しようにも出来ない状態だった。地上から攻撃できないとなると、奴の進路上に罠を仕掛けるのが合理的である。咄嗟にああいった機転が利くかは個人の力量によるが、フィノはこの一月ほどギルドで依頼を受けていた。素人ではないし、ああいった対処も初めてではなかったのだろう。
なによりも、あの方法はユルグも思いつかなかった。それだけを見ても、彼女のことを未熟だと評価するのは鑑識眼のない阿呆のすることだ。
「やるじゃないか」
「……うん」
ユルグの珍しい褒め言葉にも、フィノの返事はどこか上の空であった。
数分前と比べて怒っているわけではないが、それでも機嫌は悪いのだろう。いつもならば、ユルグが褒めると鬱陶しいまでに抱きついてくるものだが、そんな態度は欠片も見せない。
……これは重傷だな。
弟子の様子を気に掛けながら、それでも何を言うでもなく雪道を進んでいく。
やがて祠の前に辿り着いた。
周囲の地形は、黒死の龍との戦闘で積もっていた雪が払われて随分と開けている。
雪ですっぽりと覆われていた祠の状態は、あの時の衝撃で見慣れたものになっていた。
吹き抜けの天井と、無機質な石扉。
周囲を軽く探って魔物の気配がないことを確認すると、ユルグは石扉に手を掛けた。
「中はどうなっていると思う?」
『分からないが……溢れた瘴気はまだ溜まっているはずだ。生身では立ち入らない方が良いだろうな』
マモンの意見を聞くと、この中に入れる者は限られてくる。
「お前はここで待機だ」
「え!? で、でも」
「今の話を聞いていただろ。お前は入れない」
「う……」
事実を突き付けると、フィノはそれ以上何も言えなくなった。
顔も上げず靴先を見つめ続けている彼女を放って、背を向ける。石扉を開こうとした瞬間、それを止めるように背後から伸びてきた手がユルグの腕を掴んだ。
「いっ、……いかないで」
絞り出すように聞こえた声は、少しだけ震えていた。けれど、ユルグの腕を掴んだその手は、引き止めると言うにはあまりにも弱々しいものだった。払ってしまえば呆気なく離れてしまう。
きっと、フィノも心の底では分かっているのだ。
自分が何を言ったところで、止められないことを。
知っていて、それでもこうして引き止めてくる。
そして、彼女の心が分からないほど、ユルグも冷血漢でもないし薄情でもない。それでもどうにもならないこともあるのだ。
「離してくれないか」
「……い、いやだ」
見つめる冷ややかな視線から逃れるように、フィノはその眼差しから顔を背けた。けれど、掴んだ腕は離せない。自分から離してしまえば、もうそれっきり。だから、これだけは意地でも離せないのだ。
そうこうしていると、ユルグの手が腕を掴んでいたフィノの手を払った。その後は、どうなるか。
きっと、ユルグはフィノの事などこれっぽっちも気にすることなく行ってしまうだろう。あの目は……決意の籠もったあの瞳は、フィノには止められない。
黒死の龍を斃すのだと、独り山へと登っていった時と同じだ。あの時も結局引き止められなかった。だから――
「お前はここで待っていろ……いいな?」
掛けられた言葉と共に、視界を何かが覆った。
頭上から掛けられたそれは微かに暖かい。すっぽりとフィノの身体を覆ったものは、ユルグが今しがた来ていた厚手の外套だった。
それに驚いて顔を上げると、先に入っていってしまったマモンを追うようにして、踵を返した背中が見えた。
「すぐに戻る」
被せられた外套がずり落ちないように握りしめて、その後ろ姿をただ見つめるだけしか出来なかったのだ。




