嵐の後
「……今のは何でしょうか?」
誰しもが思っている疑問を、一番始めに突き付けたのはアリアンネだった。
「さあな、俺もさっぱりだ」
あの風貌、新手の魔物かとも思ったがしっかりと意思疎通が取れた。会話も出来た。それだけを見ても、奴が人に近い何かだということは理解出来る。
もしくは……それ以上の存在か。
「マモン、だいじょうぶ?」
憂慮を顔に貼り付けて、フィノはユルグの足元に蹲っているマモンを拾い上げて腕に抱える。
フィノの心配に、彼は言葉もなく頭を振る。その身体は微かに震えていて、いつものマモンからは想像が付かないほどに取り乱していることが、抱きかかえているフィノには分かった。
「さっきのひと、こわかったね」
何の気なしのフィノの呟きに、アリアンネとマモンは揃って頷く。
しかし、ユルグには彼女らの言い分がいまいちピンと来なかった。
確かに彼は威圧的だった。マモンへ攻撃の意思も見せていたし、実際に攻撃された。けれど、あの怒りの源泉は理由あってのものだ。
あの竜人にとっての地雷がマモンだった。彼の何かが気に障って、ああして気分を害していたのだ。
それを除けば、三人が言うほどの畏怖を感じなかった。
しかし、そう思っているのはユルグだけらしい。
「あれほど恐ろしいと感じたのは初めてです」
『うむ……死ぬかと思った』
マモンは深い吐息と共にそう言った。
不死身の魔王が、死を感じるなど。冗談として聞くならば秀逸だ。けれど、マモンは真面目にそう言っているのだ。
「何を言っているんだ。お前は死ねない存在だろ?」
『そうだが……以前に言ったろう。己を殺しきるには呪詛として祓うしかないと』
その話はユルグも覚えている。
だがその方法までは分からない。だから、彼の創造主であるログワイドの手掛かりを求めているのだ。
けれど、それ以外に手立てがあるかもしれない。
「もしかして……あいつにはそれが可能なのか?」
『そうだと確信している』
そういえば、マモンは先ほど不可解な事を話していた。
こちらの領分のものではないとか、自分と同じだとか。
それに――あの竜人は大穴の底で待っていると、そう言い残して消えた。
きっと、あの奈落の底に全ての秘密があるに違いない。
だったら、やることは一つだ。
「――あっ!」
思考を整理していると、マモンを抱きしめながらフィノが思い出したように声を上げた。
「ミアとティナは、まちにいるよ」
フィノの報告に、そういえば彼女たちを探していたことを思い出す。
突然の魔物の襲来によってそれどころではなかったから、すっかり頭の中から抜け落ちていた。
……そういえば、この魔物の出所も気になるところだ。
奴が虚ろの穴から湧き出てきたのなら、出来るだけ早めに手を打たなければならない。
「問題が山積みだな」
小さく呟いて取り落とした剣を拾い上げると、それに倣って他の皆も小屋へと足が向く。
気分も足取りも重いなか、人一倍元気そうにしているフィノがユルグの隣に並んで、物憂げな顔を覗き込んできた。
「ねえ、ユーリンデは?」
「ああ、小屋の傍にいるんじゃないか」
「ほんと!?」
ユルグの証言に、フィノは我先にと駆けていく。――と、思ったらその背中は急停止した。
丘陵を登り切る手前で立ち止まったフィノは、腕に抱えていたマモンを見遣る。
「マモンはいいの?」
『なにがだ?』
「アリアンネと、はなしたいんじゃないの?」
『ああ……もういいんだ』
街を出た時は、アリアンネに会えるとはしゃいでいたのに、どうしてかマモンはもう良いのだと言う。
「……ほんとに? ほんとにいいの?」
『くどいぞ。己から話すことは何もない。身を案じたところで、アリアンネには迷惑でしかないのだ』
「……わかった」
苦しげに零したマモンの言葉に、フィノはそれ以上何も言わずに歩き出した。
きっと、たくさん考えてその答えを出したのだ。だったら、マモンの好きにさせてやるべきだ。
「お前はこれからどうするんだ?」
前を行くフィノの背中を見つめながら、ユルグは少し後ろを着いてくるアリアンネへと声を掛ける。
「そうですね……貴方との交渉が決裂してしまったので、これから色々と根回しをしなければなりませんね」
「……根回しって」
「ふふっ、それは秘密です」
振り返ったユルグに、彼女は微笑を刻んだ唇に人差し指を当てて答える。
アリアンネが何を考えて、何をするつもりなのか。思惑は知れない。
それがどうであっても、
「何でも良いが、厄介事にはこれ以上巻き込まれたくはないんだ」
正直言って今のままでも手一杯なのに、これ以上は御免被る。
顔を顰めてこめかみをぎゅっと揉みながら話すと、彼女はいつもの笑みを浮かべた。
「心に留めておきますよ」
「そうしてくれると助かる」
二人揃って小屋まで戻ると、護衛の二人が起き上がってアリアンネの帰りを待っていた。
ユルグを見据えると、その顔には明らかな嫌悪が滲んでいる。けれど彼らは何も言わず、主人の無事を心配して駆け寄っていく。
その横を通り過ぎて小屋の入り口まで行くと、嬉しそうな馬の嘶きが聞こえてきた。それと、フィノのはしゃぎ声。
その声に目を向けると、ユーリンデの首元に抱きついて久方ぶりの再会を喜んでいるのが見えた。
この後また別れることになるのに、その事は頭にないのか。
……きっとまた泣き付かれるんだろうなあ。
苦笑を浮かべて小屋の中に入ると、そこには街から帰ってきたエルリレオ。それとミアとティナが優雅なティータイムを楽しんでいた。
街で買ってきたのだろう、茶菓子をテーブルに並べて談笑をしている。
そんなところに姿を現わした血まみれのユルグを目にして、血相を変えたミアのお説教を食らうのに、そう時間は掛からなかった。




