未知との遭遇
魔物の体内から出てきたモノは、赤い鱗を生やした人間だった。さらに子細を述べるのならば、これを人間と呼ぶのは憚られる。
頭の天辺には立派な捻れ角。金色の瞳に口から覗くギザギザの歯列。背中に翼は生えていないようだが、背面には尻尾のようなモノが見えている。
まるで深紅の竜が人に化けたかのような風貌だ。
けれど、そんなものよりも更に目を引くのが彼の今の状態である。
かろうじて上半身は前述した通りの特徴が見えるのだが、下半身がまっしろな骨の骨格しか存在していない。その状態で、魔物の口から悠然と出てきた。
そんな化物じみた姿をした人物を、この場にいる一同。身動きできずに見つめていると、そんな観衆の視線などものともせず。
竜人は、呑気に語り出した。
「コイツが大穴より外に出るときに、俺の小指を喰って行きおったのでな。喰われたから喰い返してやった。だが、あまりにも不味くてなあ」
――酷いものだよ、まったく。
そう言って、正体不明の彼は嘆息した。
それを聞いている間にも、彼の身体の状態は変化する。
骨丸出しの下半身には肉が再生され赤い鱗が生えていき……生物の身体に戻っていく。
気づけば目の前には、ユルグたちを興味深げに眺める、五体満足の竜人が立っていた。
「故に、そこの合いの子。コイツの肉は喰わない方が良いぞ。腹を壊すからな」
「う……、フィノのこと?」
「お前以外に誰がいる。そこな女は森人で、あの男は無人だろう? 合いの子はお前しかいないはずだ」
「う、うん」
ぎろりと金の瞳で見つめられて、フィノは思わず目を逸らした。
どうしてかは分からないが、なぜかあの瞳を直視出来ないのだ。見つめていると心の奥底から、恐怖の感情が染みだしてくる。
フィノが自らの感情に困惑していると、そこでやっとユルグは一歩前へと足を踏み出した。
「お前は何者なんだ?」
この場の誰しもが思っていた疑問をぶつけると、竜人は待ってましたと言わんばかりに咳払いをした。
「俺か? 俺はシサイだ」
「……しさい?」
……名前だろうか。聞いたこともない言葉に、オウム返しに聞き返す。
シサイ……神職に就いている連中の中には司祭様、なんて呼ばれる奴もいるが。
あんな人間かどうかも分からない奴に当てはめるような言葉ではない。
となれば、まったく別の意味で使われた言葉だ。けれど、彼の言う『シサイ』が何を示しているのか。ユルグはもとより、ここに居る誰にも判然としなかった。マモンでさえも困惑しているのか、声もなく黙ったままだ。
ユルグの反応に竜人は、一人首を傾げた。それから腕を組んで思案し出す。しばらくしてから、恐る恐るといった様子で尋ねてきた。
「ま、まさか……俺のことを知らないのか?」
「ああ、知らない。シサイってのも初めて聞いた」
「うっ……そんなわけがなかろう! そこに居る奴に話くらいは聞いているはずだ!」
ビシッと指を差されたのは、マモン。
いきなり白羽の矢がたった彼は、ふるふると頭を振った。
『なんのことやら、己も知らぬ』
心の底から出た言葉だろう。けれどそれを聞いて、竜人は殊更に怒りだした。
「お前ッ、俺の前でしらを切るつもりか!?」
怒り心頭な様子に、一斉にマモンへと視線が集まる。しかし、見つめられてもマモンには何が何やら、さっぱり状況が掴めないままだ。
どうして彼がこんなにも怒っているのか。その理由さえもわからないまま――
「俺をなめ腐るとは良い度胸だ。ならば――死んで詫びろ!」
怒号をあげた直後、竜人は大きく顎門を開いた。そこから溢れてきたのは、黒色の液体。瘴気の毒に冒された魔物が吐き出すものと同じである。
それは地面に垂れることなく、彼の口周りで球体を形成していく。不可思議な力場が生まれているのか。竜人の立っている地面は圧力に耐えられなくなって沈み込んでいる。
しかし、それを物ともせず彼は地に足を付け仁王立ちのまま……漆黒の球体を作りだしていく。
手のひらを広げて持てるくらいの大きさになったところで、それの膨張は止まる。
「砲熕――闇喰らい」
全員が息を呑んで状況を見守るしかない中、それはマモン目掛けて放たれた。
凄まじい爆風が周囲の地形を食い荒らしていく。
そんな中、ユルグはあることに気づいた。
漆黒の球体を形成し終えた直後に、彼の両手の指先からボロボロと崩れていくのが見えたのだ。
けれど、どうしてそうなったのか。それを考える時間は残念ながら与えてくれないらしい。
放たれた球体は目で追える速度で、マモンへと向かっていった。
しかし、ユルグが視認出来たのはそこまでだ。きっとフィノもアリアンネも。誰もが同じ状況だったろう。
あの不可思議な攻撃がマモンへ着弾したのか。間近で見ていたはずなのに、誰もその結末を見ることは出来なかった。
――一瞬にして、辺りが暗闇に包まれたのだ。
まるで目元を手で覆われたかのように、何も見えなくなる。
けれど、それは数秒のことで、少しすると先ほど見ていた景色が目の前にあった。
視界が正常に戻ってすぐに、マモンの方へと目を向ける。しかしそこには何の姿もなかった。
ユルグの上背の何倍もあった巨体が消えている。
一瞬、最悪の事態を想定したユルグの足元。そこに、縮こまった状態の黒犬のマモンがいた。どうやら形態変化をすることで、先ほどの攻撃から逃れたらしい。
けれど彼にしては酷く怯えているようで、耳と尻尾を垂れて伏せてしまっている。
「だっ、大丈夫か?」
『……っ、あれを見て、そう思えるのか?』
「確かに凄まじいものだったが……お前がそこまで怯えるほどのものじゃないだろ」
ユルグにはどうしてマモンがここまで怯えているのか。その理由が分からなかった。
だってそうだろう。彼は魔王だ。不死の存在で、どうやっても死ねない。あんな攻撃を食らったからといって、どうにもならないはずだ。
『お前らには分からないだろうが、あれはこちらの領分にはないものだ』
「……どういう意味だ?」
『感覚で分かるのだ。あれは己と同じ――ッ』
話途中でマモンは息を呑んで黙り込んだ。
視線を下へと向けていたユルグは、顔を上げる。
気づけばすぐ近くに、竜人が立っていた。その眼差しは威圧的でこちらまで息が詰まるようだ。
「お前、ゼッシではないな? あいつならば、俺の脅し文句を笑い飛ばすはずだ。そんなことはどうあっても無理だとな」
また不可解な言葉が出てきた。
――ゼッシ。
何かの名前のようにも感じるが、依然として詳細は不明。
しかし、竜人の言葉には怒りの感情は見えない。むしろ微かに笑みを含ませた物言いに、こいつは何がしたいのか。ユルグはまったく意図を掴めないでいた。
「何の話だ」
「……となると、お前が何なのか。少し興味が湧いてきたぞ。子細を聞きたい所だが……そんな時間はないらしい」
ユルグの問いかけを無視して、竜人は深く息を吐き出した。
その直後、いつの間にか元通りになっていた両手の先が再びボロボロと瓦解していく。肉が崩れ落ちて、その下にある骨が露わになる。しかし白いはずの骨は黒色に変色し、そこには微かに赤く炎が灯っていた。まるで熱した燠のようだ。
そして、微かに燻っていたそれは徐々に勢いを増していく。しまいには崩れ落ちた末端から火の手が上がった。
けれど、そんな状態でも竜人は狼狽えるでもなく、その逆。気味の悪いほどに歪な笑みを浮かべて笑っていた。
「そこの無人。話がしたいのなら大穴の底へ来るが良い。……奈落の底で待っているぞ」
全身を炎に巻かれながら聞こえた声を最後に、目の前にあった竜体は完全に灰となって消滅する。
後に残ったのは、不気味さを感じるほどの静寂。
疑問だけを積もらせた正体不明な輩との邂逅は、こうして幕を閉じたのだった。




