偽りの笑顔
「改革だと?」
ユルグの質問に、アリアンネは肯首した。
「ええ、そうです。瘴気がなくならない限り、魔王という存在は必要不可欠。ですが、それ以外の犠牲を無くすことは可能です」
「それは……勇者の事を言っているのか?」
「話が早くて助かりますね」
彼女の考えは、おそらくこういうことだろう。
これまで続いてきた、勇者と魔王の仕組みを撤廃する。要は、千年前――ログワイドの一族へとマモンが継承されていた、元の状態へと戻す。
アリアンネの成そうとしている事は、ユルグの考えと似通っている。しかし、彼の一族の行方は不明。唯一分かっているのは、フィノがそれの縁者ということだ。
となれば、アリアンネの言い分はユルグとは相容れない。
これから先も自由に生きていくはずのフィノを、自分の代わりに犠牲にするなど。ユルグは望んじゃいないのだ。
「悪いが、コイツを他の奴に譲る気は無いんだ」
「……そうですか。今はそれで良いでしょう。わたくしも看過はしません。貴方に持ちかけようとした提案は、その事についてではないのです」
アリアンネの一言に、ユルグは眉を寄せた。
どうやら彼女は、ユルグが予想したものとは別の何かを画策しているみたいだ。
口を噤み、無言のまま相手の出方を伺っていると、アリアンネは思ってもみないことを言い出した。
「わたくしが思い描いている計画に、アルディア帝国現皇帝が邪魔なのです」
おくびもなく言い放ったアリアンネに、ユルグは驚きに目を見開いた。
しかし、よくよく考えても見れば彼女の考えも分からなくもない。
千年前に出来上がった仕組み。それを現在まで普遍無く続けてこられたのは、アルディアの皇帝が目を光らせていたからだ。各国に圧力を掛けて、瘴気を浄化出来るマモンを上手く制御していた。
だから、その根源である皇帝がいなくなれば……改革を欲しているアリアンネが皇帝の椅子に座れば、千年続いた慣習も変えられる。
けれど、問題はそこじゃない。どうしてユルグにその話をしたのかだ。
「……俺に、皇帝を殺せって言うんじゃないだろうな?」
「それが最善手ですけど、無理なら構いません。わたくしがやりますから」
さらっと言ってのけた言葉に、開いた口が塞がらない。
……今、コイツはなんて言った!?
「お前、自分が何を言っているのか、分かっているのか? 親を殺すってことだぞ!」
「それが何か、貴方に問題でもあるのですか?」
「――っ、」
彼女の返答を聞いて、認識の甘さにユルグは目を逸らした。
目の前にいる彼女は、あのアリアンネとは別物のナニカだ。
ユルグの知っている彼女ならば、こんなことは絶対に言わなかった。それを誰かに押しつけようとも、肉親を手に掛けることもしなかったはずだ!
何がここまで彼女を変えてしまったのか。
その理由を考えて……ユルグはかぶりを振る。
もしかしたら、おかしかったのは今までのアリアンネなのかも知れない。
マモンから聞いた話では、三年間、共に旅をしていた先代の勇者を目の前で殺されて、残った彼女を魔王の器とした。
器の乗り換えはマモンの意思で可能だ。きっと、二人の前に現れた時点でマモンが依代にしていた肉体の限界が来ていたのだろう。
だから、大切な人を殺されて絶望して……死のうとしていた彼女を生かすしかなかった。記憶を改竄して、生かし続けるしかなかったのだ。
その時点で全てが破綻していたのだ。
――歪な関係。
仇が隣に居て、それと仲良くして、あまつさえその行く末を案じるなど。例えどれだけ心優しい者でも出来っこない。
幸いにも今のアリアンネには、その時の記憶がない。だからこうして話せている。怒りの矛先が別へと向いているのだ。
もし全てを知り得ていたのなら、彼女は間違いなくユルグを――マモンを殺しに来ていたはずだ。魔王であるから滅ぼすことは出来ないが、だからといって何の手段も講じないとは思えない。
ユルグがそうであったのだから。
斃せる見込みのない相手に一矢報いてやると、それだけを考えていたのだから。例えその結末が望み叶わず死ぬことになっても、構わないと思っていたのだから。
「……本気なのか」
「わたくしが冗談でこんなことを言うと思いますか?」
「……いいや、俺の知るお前は例え冗談じゃなくてもこんなことを言う奴じゃない」
「おめでたい人ですね」
やるせなく笑って、アリアンネはマグに口を付けた。
喉を潤して、話を続ける。
「改革のためと言いましたが、これにはわたくしの私怨も混じっているのです。だから、何を言われようとも考えを改めるつもりはありませんよ」
「……私怨?」
「あの男がいなければ、あんな無茶な旅をすることもなかった。ですから、貴方にわたくしを止める権利などありはしないのです」
アリアンネの私怨は、皇帝が先代の勇者を迫害したことにあるのだ。
彼は邪血――ハーフエルフである勇者に一人で旅に出ろと命じた。死にに行けと言っているようなものだ。
それに無理を言ってアリアンネは同行したが、本来ならば魔王討伐の旅は二人で行うものではない。それも未熟な勇者と二人きりでは、立ち行かなくなるのが普通だ。きっと様々な苦労もあっただろう。
その果てにああして魔王に殺されたのなら、彼女が皇帝を恨むのも道理というもの。
「それでも……お前を想っているやつはいるんだ」
「ふふっ、そんなのを気にしていたら何も出来ませんよ。それに、言ったでしょう。すべてを成すには、持てる物すべてを捨てる覚悟で臨まなければ。わたくしは、志半ばで倒れるつもりはありません」
アリアンネの言葉に、ユルグは何も言えなかった。
……お前を想っているやつはいるだって? どの口がそれを言えるっていうんだ。
そんな言葉を吐く権利など、自分にありはしないというのに。
それでもアリアンネに掛けた言葉は、酷く薄っぺらいものに思えた。実際に、そうだったろう。
だからこうして、何も言い返せないのだから。
沈黙したユルグを一瞥して、アリアンネは椅子から立ち上がった。
どうやら、彼女の話とやらはこれで終わりらしい。
けれど、ユルグはそれに続きを求めた。
「待て、その先はどうするんだ」
「協力を拒んだ貴方に教える義理はありません。傍観者であるのならば、黙って見ているべきです」
「……ああ、そうだな。その通りだ」
何も自分から首を突っ込む必要も無いのだ。
厄介事に巻き込まれずに済んだのなら僥倖。これ以上、残り僅かな平穏を脅かされるわけにはいかない。
両手で掴めるものは限られている。だったら、一番大切な物を見誤ってはいけない。
それが、今のユルグが出来る最善なのだ。




