知らない他人
勢いよくドアを開けてユルグは小屋の中へと足を踏み入れた。
「――ッ、ミア!」
幼馴染みの身を案じて焦っていたユルグだったが、目の前の光景を見てそれは杞憂だと知る。
中央のテーブルには、呑気にお茶を啜るミアがいた。
それと対面するように席に着いているのは、ユルグも見知った人物。
「お久しぶりですね」
すぐ傍から聞こえて来た声に顔を向けると、入り口の横にはティナが立っていた。
その姿は一月ほど前に別れたときと変わりない。薄く笑みを浮かべた表情に、緊張が解れていくのが分かった。
「ユルグ、そんなに慌ててどうしたのよ」
「いきなり私たちが訪れたので驚かれたのでしょう。先ほどのミアと同じですね」
「ああ、そっか。まあ、そうなるよね」
ティナと談笑するミアには、特に変わったところは見受けられない。
突然押しかけてきた彼女らに何かされたと言うわけでも無さそうだ。
「……それで、お前は何の用があってここに来たんだ」
けれど、だからといって警戒を解くわけにはいかない。
今の彼女は、何を考えているか底が知れない。未知数な存在なのだから。
「はじめまして、勇者様」
ミアと対面していた人物は、ユルグの問いかけに振り向いて答えた。
その表情はかつて目にしていたものと何も変わらない。柔和な微笑、優しげな声音。
そこにいたのは、アルディア帝国皇帝ジルドレイの嫡女――アリアンネだった。
しかし、誰が聞いてもその言動には明らかな齟齬が見える。
それを察しているティナの表情は優れず、ミアもまた暗い顔をして俯いていた。おそらく、アリアンネの異変についてはミアもたったいま知ったのだろう。
一月にもなる、あの旅を共にしたアリアンネはもうどこにもいないのだ。
「……元だ。その呼び方はやめてくれ」
「ええ、そのようですね。良かったです」
「……よかった?」
アリアンネは不可思議なことを口走った。
その真意を尋ねる前に、ティナが動いた。
「お嬢様は貴方にお話があってこうして訪ねて来られました」
「……だろうな」
ティナの話には偽りがあるようには思えない。
彼女はアリアンネを想ってそれを行動の指針としている。主人の不利益になることはしないはずだ。ここで無意味な嘘を吐いて、信用を失う真似はしないだろう。
「ですので、ミアには私と共に席を外してもらうのがよろしいかと」
彼女の提案はユルグにとっても有り難い申し出だった。
アリアンネの目的がどんなものかは知らないが、どうせろくなことではない。それは端から分かりきったこと。
であれば、ミアの傍にティナが着いていてくれた方が安心ではある。ミアは彼女の友人でもあるし、それを無碍に扱うことはしないだろう。
「そうしてくれると助かる」
「え、でも……」
「ミアには聞いてもらいたい話が沢山あるのです。お付き合い願えますか?」
「う、うん……わかった。ユルグ……アリアと喧嘩しないでね」
「善処するよ」
困惑しながらも、ミアは了承するとティナと連れ立って外へと向かった。
それを見送って、ユルグはアリアンネと対面するようにテーブルに着く。
言葉もなく見定めるような眼差しを向けるユルグに、彼女は薄く笑みを刻んだ。
「そんなに警戒しなくとも、取って食うような真似はしませんよ」
「どうだか……お前の言葉は何もかも信用に欠ける」
「それはお互い様ですね。わたくしも、初対面の人間を素直に信じ切るほどお人好しではありません」
喧嘩腰のユルグに対して、アリアンネは落ち着いていた。
ミアが淹れてくれたであろう茶を飲みながら、笑みを崩すことはない。
「白々しいな……お前がここに来たってことは、ティナに話を聞いたからだろ。あいつが何をどこまで話したかは知らないが……少なくとも、俺のことは知っているんだろ?」
アリアンネは先ほど、奇妙なことを口走った。
元勇者であると言ったユルグに、良かったと。そうであって良かったと言ったのだ。
あの言葉の意味をユルグは考えていた。
どうにもはっきりとした物言いではない。おそらく、彼女の中でも確証はなかった。ティナから話は聞いていたが、それでも自分の目で見て話しをして、確認するまでは信じられないと判断したのだ。
それがユルグには不思議でならない。
以前のアリアンネならばこんな考え方はしなかったはずだ。自分を想ってくれている従者を疑うような真似はしなかった。
けれど、現にそうはなっていない。彼女にとってはあのティナさえも、手放しに信頼しきれる相手ではなくなっている。
それを思えば、なんとも心苦しくはある。
旅の最中、ティナはアリアンネの身を第一に考えていた。ただ好いているだけで、あんなにも献身出来るものではない。
であれば、今の彼女の心境は推して知るべしである。
「ええ、こうして会うまでは確証はありませんでしたが……貴方が魔王様、ということでよろしいのですね?」
「……不本意ではあるがな」
「そうですか。良かったです」
「……っ、良かっただと!」
アリアンネの無神経な発言に、ユルグは声を荒げた。
おそらく、彼女は魔王がどういうモノかを知っている。記憶は無くなっているが、先代の勇者と旅をしてその最後には魔王と相対しているのだ。しかも彼女は皇族……皇女という身分である。下手をするとユルグも知らない情報を握っているかもしれない。
「そんなに怒らないでください。わたくしにとってはこうして魔王と、面と向かって話が出来るというのは僥倖なのです」
「……どういう意味だ」
「本来、魔王というものは秘匿されるべき存在……一から探すとなればどれだけ時間が掛かるか、知れたものではないのです」
彼女の口振りから分かることは一つ。
アリアンネは、ユルグに何かしらの用があってこうして訪れた。
それを今から説明されるのだろうが、面倒事の予感しかしない。
「それで、お前の目的はなんだ?」
「……その前に、貴方にお聞きしたいことがあります」
アリアンネはまっすぐにユルグを見つめた。
大きな決意を秘めた眼差し。気づけば絶やすことのなかった笑みが消えていた。
「貴方には大切な人はいますか?」
「……ああ、いるよ」
「そうですか。それは喜ばしいことですね。わたくしには、そう呼べる人はもう居ませんから」
彼女が吐き出した言葉からは、絶望の色が見えた。
伏せられた瞳に、引き結んだ唇。ユルグの目の前にいるのは、彼の知り得ないアリアンネだ。
彼女が何を考えているのか。ユルグにはしっかりと伝わってきた。
アリアンネの悔恨は、先代の勇者――ティナの弟である、ディトを救えなかったことにあるのだ。
本当ならば、勇者である彼が死ぬべきではなかった。それなのに、それを差し置いて自分が生きている。その事に耐えられないのだろう。
似たような経験をしたユルグには、その気持ちが痛いほど分かる。それがどうにもならないことも知っている。
彼女を想っているティナやマモンからすれば、生きていてくれただけでも喜ばしいことだ。けれど幾ら他人が言葉をかけたところで、何も変わりはしないのだ。
「だから……すべてを成すには、すべてを捨てる覚悟で臨まなければならないのです」
「……何をしようとしているんだ?」
それにアリアンネは俯いていた顔を上げて、対面しているユルグの瞳を見つめた。
「これ以上あのような犠牲を出さないためには、改革が必要なのですよ。魔王様?」
――その口元には、見慣れた微笑を浮かべたまま。




