降り出した驟雪
それから二十日後の、正午。
「よっ――と」
小屋近くの林の中で、ユルグは斧を手に薪割りに勤しんでいた。
あの一件以来、特に問題もなく怪我の療養に専念していた為、こうして一人で歩けて斧を振るえるまでには回復できた。
まったく動かなかった右腕も訓練の甲斐あって、腕の可動は出来るようになった。しかし、指の動きは難しい。時間を掛けてゆっくりとなら物を掴んだり離したり出来る。
多少は苦労するが、日常生活を送れるくらいには使えるまでにはなった。
それでも以前のように剣を握って振るうことは出来ない。
手を添えるなど、補助的な使い方は出来るだろうが戦略の幅が狭まってしまうことは否めないだろう。
「こんなもんかな」
割った薪を背負い籠に纏めると、林を抜けて小屋へと戻る。
今の時間帯、小屋にいるのはミアだけだ。
エルリレオは薬を卸しに街へ、それと共にフィノとマモンも留守にしている。
ユルグがこうして雑用が出来るようになったため、今までそれを肩代わりしていたフィノは、堂々と朝から街へと金を稼ぎに行くようになった。
その甲斐あってかこの間、冒険者ランクが銅級から銀級になったとはしゃいでいた。
昇級にはかなりの数の依頼をこなして実力を示さなくてはならない。それを認められたら昇級試験――ギルドから指定された依頼を受けて、達成出来たのなら昇級させてもらえる。
その昇級試験とやらも不正が出来ないようによく考えられているもので、一人で受けなければならないと定められているのだ。
もちろん、職業によって試験の内容も変わってくる。戦士や魔術師のように戦闘向きの職種は魔物退治。神官や僧侶となると人助け。
あくまで個人の実力を測って、それに見合ったランクを与える。そういう仕組みだ。
そうして晴れて銀級へと成れたフィノは、今まで以上に張り切って依頼を受けているというわけだ。
なぜかそれに毎回マモンも着いていく。
おそらく、ユルグの傍に居るよりもフィノと共に居たほうが休まるのだろう。たまに話をしては口論に発展するのも日常茶飯事。何度ミアに仲良くしろと苦言を呈されたことか。
けれど、フィノの躍進は師匠であるユルグにも快いものだった。
とはいえ一応ユルグも冒険者としての資格は持っているが、いつの間にかそれも越されてしまった。これでは師匠としての面目も何もあったものでない。
数日前にそのことをマモンに指摘されて、何も言い返せなかった苦い記憶が思い起こされる。
……どうにも最近、ぬるま湯に浸かりすぎている。そろそろ身体を慣らす為にも、フィノに倣って冒険者ギルドで依頼を請け負うのも良いかもしれない。
しかし、そうなればミアが一人になってしまう時間が増える。
怪我が治りきったら国内を巡る旅に出ようと決めているのに、今更そんなことを気にするべきではないのかもしれない。それでも、まだ少し先の話だ。
こうして傍に居られる時くらい、寂しい想いはさせるべきではない。
「……どうするかな」
雪道を辿りながら徒然と考えを巡らしていると、小屋が見えてきた。
中ではミアがそろそろ戻ってくる頃だと、茶を淹れて待っているに違いない。
脳内に浮かぶ情景に、口元に笑みを浮かべると足に力を込めて傾斜を登っていく。
帰路を辿るユルグだったが、もう少しで帰り着くというところで――どこからか、馬の嘶きが聞こえてきた。
突然のそれに、足が止まる。
顔を上げて前方を見据えると、見覚えのある馬と荷馬車が見えた。それに鼓動が早まる。気づけばユルグは走り出していた。
全速力で丘陵を駆け上がって、開けた視界に映った光景にユルグは息を呑んだ。
小屋の横にはオンボロ荷馬車と老馬。
そして、入り口付近には二人の男が立ち尽くしていた。
あの鎧姿は確か……アルディア帝国の正規兵のものだ。それを着込んだ男が二人。随分と身なりの良い格好をしている。上等な赤色の外套……おそらく、皇帝直属の兵士だろう。
疑問は後回しにして瞬時にその判断を下したユルグは、背負っていた籠を捨てて腰に下げていた斧を手に取った。
それと同時に、待機している二人もユルグに気づく。
「なんだ貴様は!」
目の前に現れた不審者に、二人は帯刀している剣の柄に手を掛けた。
ここで奴らの相手をするのは得策とは言えない。まずは話を聞くべきだ。けれど、そんな悠長に構えている時間はあるのか?
……どうにも胸騒ぎがする。
奴らが何の目的でここに来たのかは知れない。でも最悪の事態を想定して動くべきだ。
それならば、あの二人を即座に倒して中に入った方が早い!
「――っ、そこをどけ!」
決断も迅速に、駆けだしたユルグは右手に握った斧を投げつけた。
それは放物線を描き飛んでいく。しかし、男たちはそれに目を向けるだけで回避行動を取ることはなかった。明らかに被害が及ぶ飛距離ではないからだ。届いても二人の前方二メートルに落ちてくるだけ。
それを、二人が認識した瞬間だった。
カンッ――と、何か硬い物がぶつかる音が響いた。
――と、同時に視界を白く焼き尽くす眩い光が、弧を描いて飛んできた斧から発せられる。丁度、二人の顔より少し高い位置だ。
「グッ――なんだ、これは!」
一瞬にして盲目になった二人は身動きも取れず、剣を握ることも忘れて目元を手で覆う。
警戒も反撃も何も出来ない所へ、ユルグは両手を空にして肉薄すると、それぞれの手で男たちの頭を鷲掴んだ。
――〈ヒュプノスブレス〉
相手を昏倒させる魔法。それによって、力なく倒れた男たちを地面へと放る。
手持ちの物で出来る即席の奇襲だったが、上手く成功したようだ。
先の放り投げた斧はフェイク。男たちを攻撃する為のものではない。わざとそれへと注意を向けさせる為のものだ。
そして、丁度彼らの面前へと落ちてくるタイミングで雑嚢から取り出した投げナイフを斧へと当てた。無論、仕込んでいた魔法は〈ホーリーライト〉――光を生み出す、目眩ましだ。
仕上げに身動きが取れなくなったところを捕まえて、少しの間眠ってもらう。
――この間、約三十秒。
どうやら雑用をたまにしていたおかげでそれほど体力の衰えもない。少なくとも二十日前、アロガと取っ組み合いをした時よりは動きのキレも良い。戦闘の感も鈍ってはいない。
しかし、今それを実感している余裕はない。
地面へと倒れた二人を跨いで、ユルグは小屋のドアへと手を掛けた。




