すれ違う想い
アロガが何かを言いかけた。
けれどそれを聞き終える前に、ユルグは思い切り後ろに体重を掛ける。
この斜面だ。二人とも不安定な足場で立っている。アロガがユルグの頭上を取るように位置取っているが、これが何とも都合が良い。
彼の左手はユルグの右腕を掴んで離さない。もう片方はユルグの狙い通りに、目先に惑わされて剣を放ってしまったため空手。それをたったいま掴んだ。
あとは身体を支えている支点をずらしてやると、片腕だけでもこんなことが出来るのだ。
「う、わっ――ちょっと、ま」
持てる力を振り絞り、背負い投げ――巨体を浮かせると、アロガは焦ったような声を出した。
その制止を振り切って、投げる。
「――っ、クソ」
しかし、彼も最後の意地とでも言うのか。掴んであったユルグの右腕を離すことはなかった。
よって、再び斜面を転げ落ちる。
けれど先ほどよりも勾配がなかったため、わりとすぐに転げ落ちながらの揉み合いは終わりを迎えた。
「――ぐえっ」
大木に激突したアロガは、その衝撃で捕まえていたユルグの腕を離してしまう。
不幸中の幸い、拘束を逃れ肉薄した状態からは脱することが出来たが、それでもすぐに立ち上がって追撃することは叶わなかった。
落下による肉体への苦痛はない。しかし、疲労が消えるわけではないのだ。
体力が落ちていたユルグにとって、ここまでの身体の酷使はかなり堪えるものだった。ゆっくりと息を吸い込んでもすぐには整わない。
それでも肩で息をしながらなんとか立ち上がった直後、死角から何かがぶつかってきた。
首を捻って確認するまでもなく、それが何なのか。分かりきったこと。
勢いに任せてユルグを押し倒したのは、アロガだった。
仰向けに倒れたところに、彼は馬乗りになる。先ほどよりもマズい状況に……どうするか。刹那の合間に打開策を導き出そうとしているユルグだったが、どうしてか。彼は何の行動も起こさなかった。
大木にぶつかった衝撃で兜が外れたのか。その下にあった表情が露わになる。
垣間見えたそれに、ユルグははっきりとした矛盾を覚えた。
彼の眼差しには怒りの感情など、これっぽっちも込められていないのだ。
そして、拳を振り上げて殴るでもなく、胸ぐらを掴みあげるでもない。
ただ、じっとユルグを見つめるだけだった。
その異変に気づいた直後、彼が告げた言葉に――
「お前、なんであの時一人で逃げたんだよ」
ユルグは目を見開いて固まるしかなかった。
===
次第に夕日が沈んでいく。赤く色づいた景色を眺めながら三人は斜面を転げ落ちていった二人の帰りを待っていた。
生きた心地のしないフィノとは真逆で、ロゲンとリエルは随分と穏やかな心持ちで、小屋の傍にあるログベンチに腰を下ろす。
「フィノも座って待っていたらどうですか?」
「……いらない!」
ロゲンの提案に顔を背けて拒絶すると、彼は困ったように苦笑した。
そもそも、彼らのことを信用して良いものか。フィノにはその判断がまだついていない。
悪人ではないように思うが、ユルグと一年間旅をしていたと言うわりには一つも彼らの話をお師匠から聞いたことはない。
彼が話すのは、四年間共に旅をしていた師匠である仲間たちのことだ。
「さっきのはなし、ほんとうなの?」
「ユルグさんから何も聞いてませんか?」
「ううん、きいてないよ」
かぶりを振ると、フィノの反応にリエルは特に驚きもしなかった。
「分かってたことですけど、まったく話にものぼらないというのは悲しいですね」
「おししょう、みんなのこときらいだったんじゃないの?」
「……うっ」
鋭い指摘に、二人は気まずそうに顔を伏せた。
フィノがこんなことを言い出したのは、何も当てずっぽうではない。
お師匠はこういった人種が嫌いなのだ。現に彼らと似通った性格をしているアリアンネと度々口喧嘩もしていた。ミアも二人の不仲に頭を悩ませていたくらいだ。
それはもう、ユルグにとっては生理的に受け付けないものなのだろう。
「……それを否定できないのは、図星というやつですね」
「やっぱり!」
「それでも僕らは彼のこと、嫌いではなかったんです。もちろん、アロガもです」
顔を上げたロゲンは奇妙なことを言い出した。
「アロガさん、ああ見えてユルグさんのこと大好きですからねえ」
「……そうはみえないけど」
「まあ、あんな所を見られてしまっては誤解されるのは仕方ないですね」
溜息交じりに言ってロゲンは、でも――と続ける。
「彼にとって勇者というのは憧れなんです。だから、ユルグと一緒に旅が出来るとなった時は、相当嬉しかったと思いますよ」
「ふふっ、かなりはしゃいでましたもんね」
昔を思い出したのか。リエルは優しげな笑みを浮かべた。
「僕らは彼の仲間の後釜でしたけど……彼と旅をした一年間はかけがえのないものだった。それだけに、こんな事態になってしまったのは非常に残念です」
彼らの言葉の内には、確かな慈愛があった。
それはユルグを傷つけるものではなく、心配している。
しかし、ならばどうして――
「なんでアロガは、あんなにおこってるの?」
彼の心根が優しいことは、フィノも知っている。
冒険者ギルドで一人で困っていた所に声を掛けてきたのは、ロゲンでもなくリエルでもない。アロガだった。
あの性格では悪目立ちもするし、粗暴な人物である。それでも、討伐依頼を請け負ったフィノを一番心配していたのも彼だ。
本当は思いやりがあって優しい人なのに、どうしてあんなにも怒っているのか。それがフィノには分からないのだ。
「それは……アロガはまだ許せないんだと思います。あの時、彼が何も言わずに僕らの前から消えてしまったから」
酷く落ち着いた声音で、ロゲンは話し出した。
――フィノがユルグと出会う前のことだ。
彼の師匠がいなくなって、祖国に戻った後……その後釜として彼らはユルグと旅を始めた。
初めのうちは何の問題もなく順調だった。しかし、ユルグが無理をしていることは、彼らも理解していたのだ。
共に旅をすると決まったときに、彼にどんな事情があったのかは事前に知らされていた。それでも、勇者と共に世界を救済する旅である。誰しもが意気込んでおり、特にアロガはユルグに強い憧れを抱いていた。
だから、ユルグの態度に落胆した。
魔王討伐も、人助けもしたくない。もううんざりだと言うユルグに、我慢ならなかったのだ。それ故に、事あるごとに突っかかっていた。
けれど、それでも彼は――彼らはユルグを見限ってはいなかったのだ。
「けれど、周りはそうは思いません。自らの責務を放棄しようとしている勇者など必要は無い。……国王は仲間の僕らよりも先に彼に見切りを付けたんです」
その為にユルグは祖国から追われていたのだ、とロゲンはフィノに説明してくれた。
お師匠からもそれらしい話は聞いていたが、なにせフィノはそれらに興味はなかった。だから、特に気にも留めていなかったのだ。
それでも――
「おいていかれるきもち、フィノもわかるよ」
彼らの経験したことは、フィノにも覚えのあることだった。だから、余計に同情してしまう。
何も言わずに目の前から消えていってしまうのは、とても悲しいし辛いのだ。
「ユルグさんが私たちの前から去って行った時、すぐに追いかけようと言いだしたのはアロガさんなんです」
「ん、そうなの?」
「ええ、でもそれは国王の命があったからではありません。彼に追いつけたとしても、私たちは連れ戻そうとは思っていなかった……勿論、再度説得はしようとは思っていましたが、それでもユルグさんが拒絶したのなら、彼の意思を尊重しようと皆で話し合っていたのですよ」
優しげな笑みを浮かべてリエルは沈んでいく夕日を見つめる。
「……どうして?」
そこに、純粋な疑問が湧いてくる。
――どうして彼らは、そんなにもユルグを案じてくれるのだろう。
きっと、ユルグにとって彼らはどうでもいい存在だったはずだ。名前も覚えていなかった。
それは彼らも理解している。
それなのに、どうして――
「だって……仲間が苦しむ姿なんて、見たくないじゃないですか」
フィノの目を見つめて答えたリエル。それに頷くロゲン。
彼らの抱く気持ちは、フィノと一緒なのだ。




