師匠と弟子
フィノは昨日のユルグとの交渉通り、薪割りと薬草採取の手伝いを終えたのち、勇み足で街へと向かった。
それに何も言わずに着いていくマモン。
すべきことをあらかた終えたミアは窓から一人と一匹の後ろ姿を眺めてテーブルの椅子へと着いた。
「お金を稼ぐんだって言ってたけど、大丈夫かなあ」
「マモンも着いているし、心配いらないだろ」
右腕の訓練に勤しんでいるユルグは、ミアの心配を余所に素っ気ない物言いをする。
「……なら良いけど」
とはいえやはり不安は拭えないようで、三人分の茶を淹れて椅子に着いたミアの表情は優れないまま。
「ここいら近辺の魔物はそれほど危険なものは居ないのでな。それに、ユルグに師事しているのなら案ずることはないよ」
「うん……」
浮かない顔をしながら茶を啜るミアの心配事は、何もエルリレオの言葉通りのものだけでは無さそうだ。
彼女が気にしているのは、フィノが何か厄介ごとに巻き込まれないか。それに尽きる。
何かと鋭いところもあるし物事の分からない馬鹿でもないが、フィノは常識が欠落しているところがある。数ヶ月前までは奴隷だったのだから当たり前なのだが、そこをミアは懸念しているのだ。
幼馴染みの憂慮も分からないでもない。しかし、フィノの師匠でもあるユルグはミアほど彼女のことを心配はしていなかった。
なによりフィノの傍にはマモンも着いている。それこそ余計な心配というものだ。
「それにしても、フィノは物覚えが良いな」
乾燥させた薬草を薬研で磨り潰しながら、エルリレオはここに居ないユルグの弟子を褒め称えた。
「少し教えただけだと言うのに、儂が教えたとおりの薬草を採ってきた。素人ならばまず毒草と見間違えるのだが……ユルグよりはよっぽど見所がある」
「……それは良かったよ」
「なんだ? 手放しで褒めたからいじけておるのか?」
「……っ、そんなことは」
見え見えの反論に、エルリレオは口元の笑みを深める。どうやら彼にはユルグの心の内が読めているみたいだ。
面白くないと顔を逸らして、ミアの淹れてくれたお茶に口を付ける。
何もエルリレオの言っていることは間違いではないのだ。
昔、ユルグもエルリレオに薬草学を教えてくれと師事した事があった。けれど、まったく見分けが付かなくて断念した苦い記憶がある。
それを思えば、エルリレオがああしてフィノを褒める気持ちも分かるというもの。
「弟子が師匠を超えていくのは喜ばしいことだ。もう少し嬉しそうにしたら良い」
「まあ、そうだけど……」
「少し物悲しくもあるがね」
エルリレオはユルグを見つめて深く頷いた。
彼の言葉の真意を掴んで、複雑な思いを抱きながらユルグはマグの中身を覗く。
「俺なんてまだまだだよ。グランツみたいに戦えないし、カルラみたいに魔法の扱いだって上手いわけじゃない……エルみたいに何でも知ってるわけでもないんだ」
師匠である彼らと比べると、自分はまだまだ未熟だ。
それ故に、あんな結末になってしまったことを悔いてしまう。けれど、その後悔をエルリレオはあっさりとはね除けてしまうのだ。
「……確かに未熟な所もあっただろう。しかしな、師匠の背中を追いかけるというのは、同じになることとは違うのだよ。学んで、それらを自分の物にしていく。それが出来ていれば十分だ」
エルリレオの言葉に、ユルグは顔を上げられなかった。
どう見ても彼の言葉通りに成れているとは思えない。けれど、そんなユルグの思いとは裏腹にエルリレオは満足げに弟子の姿をその瞳に映した。
「言葉には出さんかったが、皆、ユルグのことを認めておったよ。あの二人も、もちろん儂もな」
その一言で、ユルグの顔が上がる。
まっすぐに見つめた視線の先には、柔和な笑みを浮かべる師匠の姿があった。
「だから……ユルグがフィノの師匠だと知った時、儂は嬉しかったよ」
彼の声音はとても優しげなものだった。心の底から喜んでくれているのだ。
エルリレオの想いを知って、それでも拒絶の言葉を吐けるほどユルグも捻くれてはいない。
気づけば口元には微かに笑みが乗っていた。
「……そうか」
噛みしめるように、それだけを言葉にする。
彼らの話を傍で聞いていたミアは、ほっと息を吐いた。
何よりも、いつも暗い顔をしていたユルグがこうして嬉しそうに笑ってくれる。
それを間近で見られるだけで、しあわせなのだ。




