泡沫の未来
祝! ブクマ四百件達成!!
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
ということで、本日は日頃の感謝の気持ちを込めて、二回更新を予定しております。
――翌日。
窓の外から差し込む陽の光で、ユルグは目を覚ました。
と、同時に腹部に微かな重みを感じて首を捻って確認すると、ユルグの身体の上には黒犬のマモンがどっかりと居座っているではないか。
「……何してるんだ?」
『手持ち無沙汰だったものでなあ』
目覚めたユルグを見遣ってマモンはニヤリと笑った。そうしてユルグの身体から飛び降りる。
おかげで目覚めは最悪だが、この魔王様にはそれを気にした素振りもなく、椅子の上に登るとそこでまた丸まった。
ふと小屋の中を見回すと、誰の姿もない。室内にいるのはユルグとマモンだけのようだ。
暖炉の炎だけがパチパチと音を立てて燃えている。
「……誰も居ないんだな」
『皆、外に出て仕事をしている。存外にやることはあるようでな。昼近くまで寝ているのはお主だけだ』
「わるかったな」
癪に障る物言いに嘆息して窓の外を見遣ると、珍しく陽が照っている。
確かこの地域は冬期を迎えると一日中雪が降る場所だったはずだが……珍しい事もあるものだ。
『お主の師匠とフィノは街へ薬を卸しに行った。ミアは今しがた暖炉にくべる燃料を集めに出て行ったところだ』
「それで、お前は何をしていたんだ?」
『己は絶対安静の怪我人が無理をしないように、こうして目を光らせているのだよ。ミアやあの御老体に釘を刺されてな。お主、よっぽど信頼されていないのだなあ』
「……うっ」
……それを言われてしまったら何も言い返せない。
勝手に仇討ちの為に山に入るし、事あるごとに無茶を通してきたのだ。ここまで一緒に旅をしてきた二人はそんなユルグを知っているから、こうしてマモンに監視させているのだろう。
自業自得ではあるが、こうして事実を突き付けられると凹むものがある。
「――あ、ユルグ起きたんだ」
ベッドの上で項垂れていると、ミアが外から帰ってきた。
両手に抱えていた小枝の束をテーブルに置くと、いそいそと近寄ってくる。
「おはよう。食欲あるようだったら何か用意するけど、食べられる?」
「ああ、うん」
「分かった。少し待っててね」
忙しなく動き回る彼女の後ろ姿を眺めて、そういえばミアも病み上がりなのだと思い至る。
「一応ミアも病人だろ。そんなに動いて平気なのか?」
「あなたよりはマシですぅ。それに自分より手が掛かる怪我人が居るんだから、私が寝ている訳にはいかないでしょ?」
「……ごもっともです」
反論さえ許さない正論に、ユルグはバツが悪くなって明後日の方を向く。
ミアのことだ。エルリレオに世話になっているのだから、出来る事は率先してやってくれているのだ。
彼も片足を無くして一人で生活するにも難儀しているだろうし、こうして手伝いを申し出てくれるのは有り難いことだと言っていた。
「だから早く良くなって手伝ってよ。やることたっくさんあるんだからね」
「……はい、わかりました」
他愛ない話をしているとふと視線を感じた。気配の元を探ると、椅子の上に居るマモンが何か言いたげにこちらを見つめている。
それになんだ、と問う前に彼はおもむろに口を開いた。
『尻に敷かれておるなあ』
「黙れ」
『そんなに邪険にせずとも良いではないか。微笑ましいことだ』
「お前……気が散るから目の前から消えてくれないか」
『こんな寒空の下に放り出すとは、血も涙もない奴だよ』
「平気なくせによく言う」
アリアンネはよくこんな奴と五年も一緒に居られたものだ。鬱陶しくて敵わない。
軽口を言い合っていがみ合っていると、ミアが食事の準備を終えて戻ってきた。
「あなたたち、少しは仲良くしなさいよ」
「無理な相談だな」
『同じく』
「そんなこと言わないの」
息の合った否定をすると、ミアはやれやれと肩を竦めて嘆息する。
これは呆れられているのだ。それに気づいて忌々しげにマモンを睨み付けると、彼はその眼差しから逃れるように椅子から飛び降りて、出口へと向かった。
「どこに行くの?」
『今日は良い天気だ。外に出て陽に当たってくる。ずっと室内に居てはあやつと同じように陰険になってしまうのでな』
「一言多いんだよ!」
『ははっ、それはお互い様というやつだなあ』
ユルグの怒りを適当に受け流して、マモンはドアを開けて外へと消えていった。
やっと煩い奴がいなくなって心の平穏は保たれたが、ミアは困り顔でまたもや溜息を吐く。
彼女からしてみれば仲良くして欲しいのだろうが、それはどう考えても無理だ。頑張ってもアリアンネのようにはなれない。
心の中でそのことを再確認していると、ミアは食事をテーブルに配膳していく。
野菜を柔らかく煮込んだスープと、干し肉と野菜を挟んだパン。
椅子を引くと、彼女はベッドの傍まで寄ってきて手を差し出した。
「ほら、掴まって」
「わるいな」
「もう……気にしないでって言ってるでしょ」
苦笑したミアの手を取って椅子に座ると、彼女もその隣に腰を下ろす。
休憩がてらエルリレオが配合したハーブティーを淹れて、ほっと息を吐いた。
「……そうだ。食べさせてあげよっか?」
「いいよ、自分で食べられる」
「遠慮しなくても良いのに」
「してない」
右腕は動かないが、左腕ならば不自由なく使える。流石に両手を使えないとなると不便ではあるが、それでも食事を手伝ってもらうほどでもないのだ。
「どう? おいしい?」
「うん、うまいよ」
「それはようございました」
黙々と食べるユルグの食いっぷりに、ミアは微笑みながらマグに口を付ける。
けれど、味はまったく感じない。熱いとか冷たいとか、温度は分かるがそれだけだ。しかし、だからといって食べない訳にはいかない。
体力を付けるためでもあるし、食べなければ怪我の治りも遅くなる。そして、厄介な事に味覚が無くなったからと言って、腹が減らないわけではないのだ。
無味の固形物を食べ続けるのは拷問にも近いが、耐えられないこともない。
一つ残念な所を挙げるとするならば、せっかくミアが丹精込めて作った食事を味わえないことだ。
「そうだ。ユルグに相談したい事があるんだけどね」
「んっ、……なんだ?」
「怪我が治るまではここで療養するわけじゃない。それは良いんだけど、治った後もずっとここに居るわけにはいかないでしょ?」
「確かに、そうだな」
現状は突然押しかけてエルリレオに世話になっている。
今はそうするしかないが、こうして身体を休める場所も食事も、いずれは自分たちで賄っていかないと。
「そうなると、街中に身を寄せた方が良さそうだ……ミアはどうしたい?」
とはいえ、怪我が治りきったらすぐにでもここを出てラガレット国内を巡るつもりだった。もちろん、ミアを説得してからじゃないと出て行けないが、今その話をするとややこしくなる。
だからユルグの計画は伏せてミアの意見を尋ねると、彼女は少し考え込んでからこんなことを言い出した。
「私は麓の街で暮らしても良いかな」
「前は大きな街で暮らしたいって言ってなかったか?」
「そうなんだけど、ここにはエルも居るしユルグの師匠のお墓もあるでしょ? 出来るだけ傍に居たいんじゃないかなって思って……エルと話してるとき、ユルグすごい楽しそうなんだもの」
「……そうだな」
出来れば傍に居たいという気持ちはある。見透かされていた想いに頷くと、ミアは続けた。
「それにエルもあの身体じゃ一人で生活するのも辛いだろうし、手伝ってあげないとね」
「そうしてくれると助かるだろうけど……ミアは本当にそれで良いのか? 俺の都合に合わせてるだけじゃないのか?」
「……そう見える?」
ミアはじっとユルグの瞳を見つめて尋ねた。
その表情には一切の不満も見られない、実に幸せそうに笑っている。晴れやかで、清々しいまでに良い笑顔だ。
「私はね……大好きなあなたが傍に居てくれるだけでいいの。それ以外は何も望まない」
噛みしめるように言って、ミアはユルグの右手を取った。
包帯の巻かれたその手を、愛おしそうに撫でる。
――それでも、ユルグにはそれを握り返すことは出来ないのだ。




