英雄の凱旋
誤字修正しました。
フィノがユルグを追って山を登っている最中に数回、地響きがあった。それと共に、まっしろな視界をかき消すかのような爆発と衝撃。
その痕跡がお師匠に関わりのあるもだと確信したフィノはそれを目指してひたすらに雪を掻き分けて進む。
しかし、彼女が現場へと辿り着いた頃には、全てが終わっていた。
『おお、ちょうど良いところに来てくれた』
「……マモン?」
フィノの突然の来訪に、初めて目にする鎧姿のマモンは安堵の息を吐いた。
フィノより遙かに上背があるその背中には、アリアンネを背負っている。気絶しているのか、何の反応もないところを見るに付けて、これから彼女をおぶって下山するところだったのだろう。
「んぅ、おししょうは?」
しかし、ユルグの姿が見えない。
きょろきょろと辺りを見回すが、マモンとアリアンネ。それと少し離れたところに、先ほど街で遭遇したドラゴンの巨大な亡骸があるだけだ。
一抹の不安を覚えながらも必死にその姿を探していると、フィノの心境を察したのか。
マモンはある一点を指差した。
『あそこだ』
「……あっ」
彼が指し示したのは、ドラゴンの亡骸。目を凝らして見ると、その傍にユルグの姿があるのが見えた。
しかし、少し様子が変だ。立ち尽くしてピクリとも動かない。何よりも、今まで見たことのないくらいに血みどろだ。
「――っ、ユルグ!」
『自力では歩けないのでな。手を貸してやってくれ』
駆けだしたフィノの背後では、いつも通りの調子でマモンが声を上げる。
彼の様子から命に関わる大怪我ではないと分かったが、だからといって心配なものは心配だ。
「お、まえ……どうしてここに」
フィノの叫びに気づいたユルグは、ゆっくりと背後を振り返って目を見開いた。そこには少なからず驚愕が刻まれている。
彼がこうして驚くのも無理はない。
ユルグが山へと入る前に、フィノへ言いつけた頼み事……ミアを守ってやってくれ。
それを放りだしてフィノはここにいるのだ。ともすれば、彼女に何かあったのかと不安が過ぎるのは当たり前である。
けれど、そんなことよりも何よりも――今は自分の心配をして欲しい!
「フィノのことはいいの!」
ユルグの言葉を遮って大声でかき消すと、呆然としているお師匠を置き去りにして血みどろの身体をまさぐった。
酷い怪我を負っているのは、右半身。特に右腕が重傷だ。出血はそれなりにあるけれど、意識ははっきりしている。今すぐに命の危険はなさそうだ。
それらを確認して、フィノは安堵の息を吐いた。
先ほどマモンは手を貸してやってくれと言っていたけれど、こんな怪我を負っているのなら納得だ。
「だいじょうぶ?」
「ああ……お前の方こそ大丈夫か? 顔色が悪い」
「だ、だってえ」
こんな姿を見たら誰だって青ざめる。平然としているユルグがおかしいんだ!
「それで、どうしてお前がここにいるんだ」
「むかえにきたの!」
フィノの答えにユルグはますます疑問を募らせた。
説明しようにも、一から話している時間も暇も無さそうだし掻い摘まんで、大筋だけを伝える。
「ええと……ミアはげんきになったから、フィノがむかえにきたの」
「……薬師が見つかったのか?」
「うん、ここにすんでるんだって」
「そうか……よかった」
ユルグはほっとした、気の抜けた顔をして息を吐く。
その表情はとても穏やかなもので、微かに残る微笑を目の当たりにして嬉しくもあり、少し羨ましくもある。
少しだけ胸の内にもやもやを抱えながら、フィノはユルグへと手を差し伸べた。
「だからはやくもどろう!」
本当はこの雪山に住む薬師が、ユルグのお師匠だということを話してしまいたかったが、ここで説明してはややこしくなるし、今から会えるのだ。であればすぐに伝える必要も無い。
本当ならば、無謀な戦いに赴くユルグを止めるためにこうして来たのだが、事は既に終えた後らしい。
だったら、もう心配することは何もない。このままユルグを山小屋まで連れ帰って、包帯でぐるぐる巻きにしてベッドに寝かせるだけだ。
「……そうだな」
フィノの呼びかけにユルグは噛みしめるように頷いた。
そうして今一度、傍らに横たわっているドラゴンの亡骸を一瞥する。
それに倣って、フィノも巨大な体躯を見上げた。
その死骸は、異様なまでにボロボロだった。まるで既に死んであとは腐敗するだけの体躯が今の今まで動いていたかのよう。たったいま斃されて絶命した死骸の状態ではないのだ。
鼻を突くような腐敗臭こそしないものの、その亡骸は普通とは明らかに違うように感じる。
見たところ、ドラゴンの右目を貫いている錆びた剣の一撃が、この魔物の命を奪ったのだろうが……ユルグが以前話してくれた黒死の龍という魔物は、瘴気の影響を受けた化物だ。
普通の魔物と違ってそれらは一筋縄では斃せない。手強い相手だと言う。そのような変異種ならば、何かしら異質な部分もあったのかもしれない。
なんにせよ、こうして無事に討伐出来たのだ。終わりよければ全て良し!
これ以上、何も心配することもないはず。
それなのに、ユルグの顔は浮かないまま。せっかく師匠の仇を討てたというのに、少しも嬉しそうな顔をしない。
そのことが気になったが、ユルグが何を考えているのか。フィノには推し量れなかった。
きっと何か思うところがあるのだろう。
しばらく死骸を見つめてから、ユルグは右目に突き刺さっていた剣を引き抜いた。
それから、差し出されていたフィノの手を取る。
しっかりとその手を握ると肩を貸して、二人並んで連れ立って歩き出す。
しかし、歩く度に怪我が辛いのか。ユルグは苦悶の表情を浮かべて、歯を食いしばっている。呼吸も浅いし、身体を動かすだけでも相当な負担になるのだろう。
簡単な止血はされているけれど、この雪山を下りるにはどうあっても体力が持たない。
「フィノがおぶっていくよ」
「……お前が?」
足を止めて提案すると、隣のユルグは懐疑的な眼差しを向けてきた。
その目は、お前にそんなことが出来るのかと言っている。
しかし、見くびられてもらっては困るのだ!
確かに、ユルグと出会った頃のフィノならば彼を背負って山を下りるなんて芸当は出来なかっただろう。
けれど、ここまで一緒に旅をしてきてかなり体力も付いた。足腰も鍛えられたし、荷物持ちもしていたから重いものを運ぶのにも慣れている。
「まかせて!」
胸を叩いて声高に宣言すると、自信たっぷりなフィノを見てユルグはそっと目を逸らした。
「いや、有り難いんだが……いいよ。自分で歩く」
「そんなこといってるばあいじゃないでしょ!」
「いや、でも……流石にこれは」
いつまで経っても踏ん切りが付かず、頷きもしないユルグにフィノは口を尖らせて仏頂面を見せつける。
「むぅ! じぶんじゃあるけないくせに!」
「そこは気合いでなんとか……」
どういうわけか、ユルグは頑なにフィノに背負われるのを拒絶している。
その理由に気付けないでいると、二人の言い争いに痺れを切らしたのか。遠巻きにその様子を見ていたマモンがこんなことを言い出した。
『師匠が弟子に背負われるなど、体裁もあったものではないしなあ。受け入れられないのは分かるが、その怪我だ。観念すると良い』
「……うっ、それは」
マモンの指摘に、図星だったのか。ユルグは苦い顔をして黙り込んだ。
要は、彼はフィノに背負われるのが恥ずかしかったのだ。
「だったらアリアンネと交換してくれないか」
『いいや、それだけは譲れんよ。譲れんなあ』
しきりに何度も頷くマモンの態度は、妙に胡散臭いというか。わざとらしかった。
ユルグの提案を突っぱねると、彼は急かすように先に行ってしまう。
この時点で、ユルグには選択肢など残っていないわけだ。
「ほら、はやく!」
「……わかったよ」
再三のフィノの催促に、断れないと悟ったのか。
苦い顔をしたままのお師匠を背負うと、フィノはマモンの後を追うのだった。




