死地へと至る道
「それ以外に、方法はあるはずだ」
満足に歩くことすらままならない、そんな状態のユルグが黒死の龍を討てる方法。
誰しもがそんな上手い話、あるわけはないと鼻で笑うであろう事象を成すのだと。出来るはずだと確信するようなユルグの発言に、彼に問い質されたマモンはそれを馬鹿にするでもなく口を噤んだ。
どうしてここまで断言するのか。
ユルグがその結論に至った理由を紐解いていくのならば、ある疑問に行き着くのだ。
魔王……マモンは、人の身体を依代にして今まで生き永らえてきた。彼が生まれてから二千年もの間、ずっと。
しかし、そうは言っても命あるものは遅かれ早かれ皆一様に死ぬ運命にある。そして大抵が寿命を全うすることはない。
病気や不慮の事故。それらが原因で命を落とすことも珍しくはないのだ。
当然、魔王の器となった人間もそれの例外ではないはずだ。
仮に次の依代となる器たりえる人物を用意出来ないまま、魔王の器である人間が死んだ場合、どうなるのか。
そのまま絶命したとするならば、当然依代にしているマモンも道連れになると考えるのが妥当だ。しかし、彼は自分の事を生物ではない化物だと言った。容易く奪える命は持っておらず、かといって不死身の存在でもない。
そんな化物が、宿主が死んだからと言って呆気なく消えてしまうものだろうか。
もし彼がそんな単純なことで無くなってしまうものならば、アリアンネのマモンを解放してあげたいという願いも容易く叶えられる。
しかし未だそれは成されていない。否、出来ないのだ。
「お前の……魔王の器となった人物は死ねないんじゃないのか?」
今しがた導き出した結論を言葉にすると、マモンは渋々といった様子で頷いた。
『……その通りだ』
「やはり、そうだったか」
彼の肯定に、ユルグはさして驚きはしなかった。
これまで見聞きしてきたものを組み立てて考えると自ずと答えは出てくる。
魔王という存在は瘴気と同一のものだとマモンは言った。
極端な話を言えば、眼前に居る黒死の龍となんら変わらない。元を正せばそれと同じものなのだ。
あれは魔物が瘴気の毒に冒された、その成れの果てである。
であれば、人間……魔王の器となった人はどんな末路を辿るのか。
最終的に行き着く先は、マモンも語ったように瘴気の毒に肉体が耐えられず自滅。以前虚ろの穴で見た、不死人と同じ結末を迎えるのだろう。
とはいえそれは、結果の話だ。あのように、人間を不死身の化物に作りかえてしまう。それほどまでに強力な毒素を持っているのだ。そこに至る過程で、どんな変化が表れようと不思議ではない。
例えば、どんなに致命傷を受けても死なない、なんてことになったとしても別段驚きもしない。
ましてやマモンは理外の存在である。だとしたら、依代にしている人間一人くらい死なないようにするのは存外、難しいことではないのかもしれない。
『お主、まさか』
「今の俺にはおあつらえ向きだろ」
余裕の笑みを浮かべて背後の存在を見遣ると、マモンは僅かにたじろいだ。どうにも彼の中で、微かに迷いが生じているらしい。
あれほど執拗に迫ってきていたのが嘘のようでもある。
けれど、ここは我を通させてもらうしかない。
当初懸念していたアリアンネのこともタイミング良く気絶している。あの状態ならば今この瞬間にマモンが移り変わっても不都合は無い。
加えて、死ねない身体になるというのはこの状況では願ってもないことだ。
どんなことをしても黒死の龍を討つ。その想いは今も変わらない。例え、腕がもげようが足が吹き飛ばされようが、ユルグにはこの場から逃げる選択肢など無いのだ。
……大事な約束はある。けれど、命を賭して立ち向かわなければアレは斃せない。
そんな強大な敵を相手取るのだ。死ねないのならば、どんな無茶も利く。願ったり叶ったりだ。
『……それがどういう意味か、分かって言っているのか?』
今までのユルグを見て、生半可な覚悟でいるとはマモンも思ってはいないはずだ。
それでも念を押すように彼は告げる。
『己の器となるのはまだ良い。だが、アレを斃すとなると話は別だ。あの靄を無効化するには蓄積している瘴気を浄化する必要がある……莫大な量だ。それがどれだけ寿命を縮めることになるか。理解していないわけでもあるまい』
「それでもだ。言っただろ、もう覚悟は出来てる」
きっぱりと言い切ると、そこでマモンは観念したのか。わかったと頷いた。
『ならばこれ以上は何も言うまい。喜んで協力させてもらおう』
直後、その言葉と共に身体中の痛みが怪我など無かったかのように引いていった。
ふらついていた足取りもしっかりと地面を踏みしめて立っていられる。
そしてなにより、肉が抉れていたはずの右腕が十分に動かせるまでに回復している。
いや、回復といえば聞こえは良いがこれは右腕にこびり付いていた瘴気の毒と同じようなモノに見える。
黒い粘性をもった液体が抉れていた傷をすっぽりと覆ってしまっているのだ。
どこから溢れてきたものかは分からない。痛みが引いたと思ったら既にこうなっていた。もしかしたら、身体の内側から染みだしてきたものかも知れないが……今は考えるだけ無駄な気がする。
『それは急場しのぎのようなものだ。怪我が治ったわけではない。痛覚を一時的に遮断しているだけだ。どんなに重症を負っても死ぬことはないが、代わりにそれが欠けた部位を補完していく』
言わずもがな、この状態にもデメリットはあるはずだ。
しかし、そんなものは後回しで良い。
「それだけわかれば十分だ」
『ならばさっさと終わらせよう。いい加減、この景色にも飽きてきた』
「同感だ。あのツラを拝むのもうんざりしていたところだからな」
右手は背中の剣に、左手に先ほど抜いたグランツの形見の剣。
それらを握りしめて、憎々しげにこちらを見下ろす黒死の龍を睨めつけると、最後の戦いに身を投じるのだった。




