最後の願い
彼女の言い分は荒唐無稽なものだった。まるで年端もいかぬ子供の我儘じみている。
出来ないことを駄々をこねて、やってくれと言っているようなものだ。
「どうにも出来ないから、俺やお前みたいな存在が居るんだろ」
勇者や魔王という仕組みを撤廃することになったとしても、この地上を覆う瘴気というものがある限り、誰かが犠牲にならなければいけない。
それをアリアンネが理解出来ないとは思えなかった。彼女は馬鹿ではない。それを分かった上であんな戯言を言うのだ。
「今の時点では夢物語でしょう。しかし出来ない事と諦めるのはあまりにも早計です」
アリアンネは感情を荒げることなく、冷静に判断した。
けれど、ユルグはそれに難色を示したまま黙りこくる。何をどう考えても無理だという結論しか出ないのだ。
そんな彼の心情を察したのだろう。
アリアンネはゆっくりと語り出した。
「虚ろの穴に安置されているあの匣は、アルディア帝国皇帝の命で創られたものです。つまり、わたくしのご先祖様ですね。あれはマモンが彼の創造主であるログワイドによって生まれた後に創造されました。瘴気を浄化出来る存在なくしても制御できないかと考えた結果創られた……しかし根本的にマモンと同じ創りはしていないのです」
彼女の言葉選びに、ユルグは眉を寄せた。
根本的、という言葉に何かが引っかかる。
マモンとあの匣に何か決定的な違いがあるとは思えないのだ。
無機物と、生物もどき。造形の点を除いても瘴気を無効化出来る事を見れば、そこに差異はないように思える。
しかし、アリアンネはそうではないと言う。
「あの漆黒の匣は、魔法由来のものなのです。端的に言えば、魔鉱石と似ている代物。内容物が瘴気であるか魔法であるかの違いでしかありません」
彼女の言葉に、かつてマモンが言っていた台詞を思い出す。
彼はあの匣のことを『贋作』と呼んでいた。自身の模倣品、偽物だと。
「瘴気の蔓延は今も昔もこの世界に生きる定命にとっては死活問題だった。あの匣は当時の魔法技術の粋を集めて創られたものです。しかし、マモンと比べても分かる通り、あまりにもお粗末すぎる……不完全なのです。どうしてそんなものしか創れなかったと思いますか?」
「それは……」
彼女の問いかけに、ユルグは言葉に詰まった。
マモンを創ったログワイドと匣を創りだした技術者。彼らに明確な差は無かったように思う。
どれだけログワイドが異質な存在だとしても、彼が生きていた時代の技術力。魔法に関する知識は同水準だったろう。
彼が頭一つ飛び抜けて高度な技術を持っていた訳ではないはずだ。
どうやらアリアンネも同じ考えに至ったらしい。
「人類が持つ魔法技術ではあれが限界だったのです。それは誰でも同じこと。彼を創りだしたログワイドも同じだったとわたくしは考えています」
「……もしそうなら明らかに矛盾していないか?」
アリアンネの推測を鵜呑みにするのなら、マモンはどうやって創られたっていうんだ。
『己は魔法で創られたものではないのだよ』
会話に割っては入ってきたマモンは、ユルグの疑問に端的に答えた。
『以前も言ったと思うが、己は瘴気と同等であるのだ。それ即ち、理外の存在なのだよ』
「……理外の存在だと?」
マモンの言動にユルグは殊更難しい顔をして黙り込んだ。
彼の言うことは、正直に言えば理解が及ばない事象だ。
この世界の外、理から外れた異質なもので生み出された存在ということだ。
何千年と培われてきた魔法や技術の外側からやってきたもの。
そんなもの、凡人なら考えもつかない。こうして頭を悩ませることすら無意味に等しいことだ。
しかし、よくよく考えてみれば魔王という存在そのものが魔法という概念から外れたものだということは理解出来る。
生物を依代として生き続ける不老不死の存在。そんなものは、この世界に在る魔法技術では成し得ないものだ。
魔法に精通していたエルリレオだって、これには首を縦には振らないだろう。
「だったらお前は何なんだ?」
『ログワイドは己を呪詛と言った。瘴気と同じ、呪いの類いだとな』
――呪い。
それについてはユルグもぼんやりとした知識しか持ち合わせていない。
これについて紐解いてくれたのは、エルリレオだった。
彼は呪い……呪詛について、古代の産物であると言っていた。
いまでは魔法が多く広範して使われているが、遙か古の時代にはそうではなかったらしい。代わりに人類が用いていた技術が呪詛であった。
けれど、今日に至るまでの過程でそれは衰退していったのだ。
何があってそうなったのかは知れないが、いまでは呪詛など見ることも聞くこともない。この世界から忘れ去られたものであると、エルリレオは語った。
遙か昔の古代の話など、覚えるに値しないとユルグも話半分に聞いていたため今になって思い出したということだ。
『ログワイドは己をわざとそう創った。呪詛として、いずれ祓えるものとして。であれば元を同じとする瘴気も無くす事は可能ではあるということだ。理論上はな』
しかし、呪いというものは総じて自然発生するものではないのだ。生物の感情を源に生み出される事が多い。強力な力を付与するものならば尚更、それに頼らなければならない。そういったものだ。
そこまで考えて、ユルグはあることに気づいた。
「それじゃあ、瘴気はどうやって生み出されているっていうんだ」
半ば答えが分かりきった問いを突き付ける。
以前、アンビルの街に立ち寄った時に向かったエストの森。
そこにあった虚ろの穴で、アリアンネは奇妙な事を言った。
『わたくしは、この穴の中に何か恐ろしいものが潜んでいる気がするのです』
あの時は何を言っているんだと相手にもしなかったが、点と点が線で繋がった今では戯言であるとは思えない。
「その答えを知っているのは、ログワイドしか居ないでしょうね」
『奴のことだ。それに至る手掛かりは何かしら残しているはずだ。紐解くには一筋縄ではいかないだろうがな』
両者の意見は、明確な答えを持ち合わせていなかった。
彼女らもあの大穴の底に何があるのかは知らないらしい。
「つまり、アンタの意見は予測の域を出ないものってことだ」
「ですが、少しは希望が持てたでしょう?」
アリアンネはそう言って微笑んだ。
彼女の言う通り、初めて真実を知った時よりは絶望しきってはいない。
それもこれも、すべてを諦めていたはずのユルグを生かそうとする仲間たちのおかげだ。
今も昔もそれは変わらないし、変わらなかった。
『それにしても先ほどは肝を冷やしたぞ。どうしていきなりあんな事を言ったのだ』
感傷に浸っているユルグを置き去りにして、マモンはくるりと反転してアリアンネと向き合った。
「勇者様に、わたくしがマモンと交わした約束を果たして欲しいと願ってのことです。今の話はそれの理由付けですかね。少し回りくどいやり方ですが、無碍にはできないでしょう?」
彼女はそう言って、少し物悲しい表情をする。
ユルグにはアリアンネが何を想ってそれを言うのか理解に時間を要したが、マモンは瞬時に察したようだ。
『アリアンネ……』
「貴方はわたくしを犠牲にしないためにこうして勇者様へ交渉してくれている。わたくしの為に……ですから、あの約束は何としてでも成就させなければならないのです」
アリアンネが語るマモンとの約束は、彼を魔王という縛りから解放すること。
それがアリアンネが何としても成し遂げたい事象であることは、話を聞いていても十分に伝わってくる。
「本当ならば手ずから叶えてあげたかったのですが、それは無理でしょうから勇者様に託します」
「勝手に託されても困る」
「そう言わないで、わたくしの最後の願いなのです」
縋るようにアリアンネはユルグの手を握った。
彼女の言葉からは固い決意がひしひしと感じられる。それにいち早く気づいて声を上げたのはマモンだった。
『アリアンネ……お主』
「ティナから聞きました。心残りのないようにと、彼女なりに気遣ってくれたのですよ」
『そうか』
マモンは言葉少なに、それだけを告げる。
彼が何を想っているのかは知れないが、アリアンネに対して並々ならぬ想いがあるのは確かだ。
しんみりとした雰囲気だが、それに水を差すように握られていた手を振り払ってユルグは二人に言い聞かせる。
「断っておくが、俺はお前たちの提案を呑んだわけじゃない」
「知っています。わたくしも無理強いをするつもりはありません。しかし、選択肢には入れて欲しいのです」
「それは……この先次第ってところだな」
素っ気なく告げて、ユルグは眼前に聳えるシュネー山の山頂を見据えた。




