心底にある真
アルベリクの話ではシュネー山の中腹に祠があるということだった。
それを目指して脇目も振らずにユルグは雪の中を行く。
本当ならば今すぐにでも黒死の龍を追いたいところではあるが、物事には順序というものがある。
無策で挑んで死にに行くような真似をするほど冷静さを欠いているつもりはない。
まずは虚ろの穴に安置されている、漆黒の匣。あれを回収してからだ。
しかしそれとは別に、先ほど黒死の龍に遭遇した時に感じた違和感がどうしても拭えないでいた。
あの魔物にはどうあっても傷を付けることは不可能だ。それは一年前の経験から嫌というほどに知っていること。マモンもかつて同様の事を言っていた。
そもそも、あの漆黒の靄を消す以外に手傷を負わせる方法を知っていたのなら、彼がユルグに隠す必要などないはずだ。
誰よりも瘴気に詳しいであろうマモンが知らないとなると、対抗策は自ずと限られてくる。
……だったら、あの時目にしたアレはいったい?
考え事をしながらずんずんと進んでいると、背後から何かが近付いてくる気配がした。
振り返ると、大きな黒い影がこちらに接近してくるではないか。
咄嗟に剣の柄に手が伸びるが、その正体を見てユルグはあからさまに顔を顰めた。
「ゆっ、勇者様ぁ!ま……っ、まってくださいぃぃぃ」
雪山を走り抜けてきた影は、ヒト型になったマモンだった。
彼に片腕で担がれながらユルグの前へと現れたアリアンネは、なぜかゼイゼイと息を切らしている。
この悪路をあんな速度で駆けてくるのだったら、乗り心地は相当悪かったのだろう。
『どうにか間に合ったようだな』
「あやうく吐くところでした……」
生物ではないからか、全速力で駆けてきたマモンは息も切らしていない。
対して息も絶え絶えなアリアンネを地面へ下ろすと、それを見計らってやっとのことでユルグは口を開いた。
「どうしてお前らがここにいるんだ」
「……どうして、と言われましても」
『追いかけてきたからに決まっておろう』
「そんなことは見れば分かる」
深い溜息を吐き出して、ユルグは困ったように眉を寄せた。
彼の反応に、今しがた追いついた二人は揃って顔を見合わせる。ユルグが何にこんなにも困惑しているのか理解していないのだろう。
「これは俺の問題だ。お前らには関係ないだろ」
「そうは言われましても、わたくしも勇者様のお目付役という使命が」
「そんなのは建前だ。そもそも、魔王討伐の監視役にその本人が出張っている時点で破綻しているんだよ」
「う~ん……確かにそうですねえ」
『お主が言いくるめられてどうする』
やれやれとマモンの呆れた声にアリアンネは腕を組んで何やら唸り始めた。
大方どうすれば説得できるか、言い訳でも考えているのだろう。しばらくすると、妙案を思いついたと言わんばかりに彼女は顔を上げて微笑んだ。
「貴方に何かあってはミアが悲しむでしょう?」
だから、死なないように付き添うのだと。
なんとも痛いところを突いてくる彼女の返答に、今度はユルグが閉口する事となった。
この段階で、彼女らを遠ざけることは不可能に近いと悟った。
しかし、それでもあの黒死の龍を相手取るのだ。死地に赴くと言っても良い怨敵の面前にマモンはともかく、この皇女様を立たせるわけにはいかない。
なんとか諦めてくれるようなごまかしを必死に絞りださんとしていると、
「それに、最後は大団円で終わらせたいじゃないですか」
次いでアリアンネは馬鹿げた妄言を吐き出した。
ここまで神経を逆撫でする発言も、なかなかにない。
「はっ! アンタ、頭がイカレてるんじゃないか?」
侮蔑と嘲笑をたっぷりと孕んだ暴言を浴びせかけて、ユルグは眼前で微笑んでいる『魔王』を見据えた。
「俺にソイツの生贄になれと言っておいて、良くそんなことが言えるな!」
掴みかかろうと一歩踏み出すと、それを遮るようにマモンが両者の間に割って入る。彼の反応に、背負った剣の柄に手を掛けた。
『……言わんこっちゃない』
ユルグの言動に、マモンは大きく溜息を吐き出した。彼にしてみても、この状況には手を持て余しているようだ。
しかし、だからといって湧き出た怒りは納まらない。
そんなユルグの様子をひしひしとその身で感じて、マモンは背後に立つ相棒に声を掛ける。
『アリアンネよ、謝った方が良いのではないか? この場で言い争いをしていても無為に時間を浪費するだけだ』
「いいえ、その必要はありませんよ」
けれど、マモンの配慮も虚しく彼の提案にアリアンネが出した答えは否であった。
自ら争いの火種を作る彼女の態度に多少の疑問を感じつつ、即答されたマモンは口籠もった。
それを見計らってアリアンネはユルグへと言葉を掛ける。
「わたくしが何の考えもなしに、貴方にあの提案を持ちかけたとお思いでしょうが……それは浅慮というものですね」
「……っ、なんだと?」
「結果的に貴方に魔王の器となる選択を課しましたけど、わたくしはその結末を肯定するつもりはありません」
怒りを滲ませたユルグの声音に物怖じすることなく、はっきりと言い切った言葉にユルグは元よりマモンも意表を突かれたかのように驚愕を露わにする。
「誰かが犠牲にならなければ存続できない世界など、クソ食らえです」
そんな面前を前に、彼女は再びその口元に笑みを貼り付けるのだった。
 




