恋慕の情
「ティナはどれだけマモンのことを信用しているんだ?」
「……信用ですか?」
ユルグの問いかけにティナは手を止めてしばらく考え込んだ。
「そうですね……お嬢様に害を成さないというところだけは信用に値します。それ以外は端から相手にしていません」
有無を言わさぬ物言いに、少しだけマモンが可哀想に思えてきた。
確かに彼は未だ謎も多いし、そう易々と全てを信じるとはならないが、それでもあそこまで断言するのは、彼の人となりを知っていればユルグだって躊躇するだろう。
「しかし、彼のお嬢様への想いは本物ですよ。私が認めるのですから間違いはありません」
「ティナが冗談を言うのは……これから大雪でも降りそうだな」
「冗談ではありません。私は至極真面目です」
にっこりともしないで答えるティナに、ユルグは少したじろいだ。
こちらを見つめる目が真剣そのものだったからだ。
「本当ならばお嬢様の傍に寄って欲しくないものですが……それは難しいでしょうね」
そう言って打ち付けた木槌が、ガツンガツンと音を立てる。心なしか荒々しげに聞こえるが……気のせいじゃなさそうだ。
「その……ティナは、アリアンネの事をものすごく好いているように見えるんだが」
「そのように見えるのではありません。好いているのです」
「……はあ」
おくびもなく言い放ったティナに、余計な事を聞いてしまったかもしれない……と、ユルグは嘆息した。
熱の入りようが尋常じゃない。薄々そうなんじゃないかとは思っていたが、彼女のアリアンネに対する想いは本物らしい。
「八年前……ディトがお嬢様と二人きりで旅に出ると聞いた時は、それはもう羨ましく思った程です。あの子はお嬢様のことを物凄く好いていましたから」
「そ、そうなのか……」
「口を開けばお嬢様のことばかり。まるで女神のようだと言い出した時は、流石に私も呆れたものです」
ティナの口から盛大に溜息が零れる。
女神のようだ、とはなんともくさい台詞だ。しかし、アリアンネに救われたのであれば、そこまで入れ込む気持ちも理解出来なくもない。
なんたってあの性格だ。困っている人は放っておけないだろうし、誰彼構わず助けようとする。そんな彼女を知っていれば、まだ青臭い少年ならば心酔するのも頷ける。
「ティナは、その……弟とは仲が悪かったのか?」
「恋敵という点では対立していましたね。けれど、たった二人の家族です。心の底から嫌ってはいませんよ」
微笑んで告げたティナの言葉に、無粋なことを聞いたとユルグは目を逸らした。
奴隷として生きてきて、苦楽を共にしてきたのだ。
そんな大事な弟をティナが嫌うなどあり得ない。もしそうだったらユルグに対してあんなふうに激昂などしないはずだ。
「わるい……変なことを聞いた」
「いいえ、気にしないでください」
話が一段落したところで、ふとあることが気になりユルグは再度、口を開いた。
「さっき、二人きりで旅に出たって言っていたな?」
「ええ」
「それはおかしくないか?」
仮にもティナの弟は勇者だった。旅に出たというのもユルグと同じ理由……魔王討伐の為だろう。
世界中を巡る過酷な旅だ。それをアリアンネとたった二人でというのはどう考えても疑問が残る。
「それは……皇帝陛下の意向だったので」
「わざとそうしたってことか?」
ティナの返答にユルグは目を見開いて固まった。
ますます意味が分からない。
たった二人でなんて、魔王を探すどころの話じゃない。下手したら道中で襲ってくる魔物の対処だって難しい。
ましてや旅に出始めの勇者である。今まで奴隷として生きていたのなら、剣の扱いもままならないだろうし、魔法の扱いにも長けていない。
ユルグがそうだったからそれは間違いないはずだ。
そんな状態の勇者と二人旅。いくらアリアンネが魔術師として実力があっても、魔王討伐なんて無理に決まっている。
あの皇帝がそれを理解していないとは思えない。
「最初は一人で旅立てとの仰せでした。それをお嬢様が共に着いていくとおっしゃってくれたおかげで事なきを得たのです」
「ま、待ってくれ! それはいくら何でもおかしいだろ!」
皇帝からの下知が、勇者として一人で魔王を討伐しろだって!?
そんなの、さっさと死んでくれと言っているようなものじゃないか!
そこまで考えてユルグはハッとした。
――分かっていて、皇帝はこんな理不尽を強いたのだ。
「勇者と言っても邪血ですからね。そんな者が世界を救う旅など、皇帝陛下は望んではいなかったのでしょう」
その声音にはやるせなさが滲んでいた。
ユルグから目を逸らして手元を見つめるティナは、ぎゅっと唇を噛む。
彼女の発言に、ユルグは同意を込めて頷くより他はなかった。
おそらく先代の勇者についての齟齬も、ここに起因しているはずだ。
先代について知っていた情報で、唯一の誤りは彼がエルフだと言われていたことだ。
きっとわざとそう言いふらしたのだろう。邪血の勇者を良く思っていないのなら容易に想像できる。
「きっとお嬢様との旅はディトにとって何よりも幸福なものだったと、私は思っています」
「……そうだな」
「だから私はお嬢様を裏切ることなど致しません。そんな不義理を働いてしまっては、お嬢様を守って欲しいという私の願いを叶えてくれたディトに合わせる顔がありませんので……それだけは出来ないのです」
吐き出すように告げたティナの想いを聞きながら、ユルグは止めていた作業を再開する。
彼女がアリアンネの事をどれだけ想っているのか。たった今、それを十分に知ることが出来た。
けれどそうであったのなら尚更、確かめなければならないことがある。
本題はここからだ。
「昨日、アリアンネから全てを聞いたって言っていたな」
「……そうですが。それがなにか?」
「それだと、ティナにとって一番大事な所が抜けている可能性がある」
ユルグの憂慮に、ティナは意味が分からないとでも言うように首を傾げた。
おそらく、彼女が聞いた全てとはアリアンネとマモンの計画の上澄み部分だろう。
大筋だけ――アリアンネを生きたまま魔王の縛りから解放する。その目的だけを聞かされたのだと、ユルグは考えた。
きっとティナにはそれだけで十分だったろう。彼女は自分の大切なものが守れればそれで良いのだ。
別段それを非難するつもりはない。事情は人それぞれにあるし、何を信念に定めるかは個人の自由だ。
だから――彼女は全てを知っていると見せかけて、その実なにもしらない。
以前、マモンがユルグにだけ明かしてくれた秘密。
器を生かしたまま、他者への譲渡に伴うデメリット。
それを知っていたのなら、はたしてティナはそれに同意しただろうか。
「……それは、どういう意味でしょうか」
緊張した面持ちで尋ねるティナに、どう答えようか一瞬迷って。
意を決して、打ち明けようとした直後――
『朝から精が出るなあ』
二人の前に現れたのは、疑惑の中心人物であるマモンだった。




