取捨選択
一部、誤字修正しました。
野営地に戻る頃には既に周囲は暗闇に閉ざされていた。
中央には焚き火が一つ。その傍には炎に照らされたミアの姿が見える。
外に見える人影は彼女だけだ。アリアンネとティナは既に天幕で休んでいるのだろう。
フィノに手を引かれるまま野営地まで戻ったユルグは、開口一番。彼女へ何と言葉を掛けるか、考えあぐねていた。
まずは心配を掛けてしまった事への謝罪と……それから、きっとさっきのことで根掘り葉掘り聞かれるだろうから、それに対しての答えも用意しなくちゃならない。
あれやこれやと脳内で思考をこねくり回していると、気づいたらユルグの目の前にはミアがいた。
至近距離からこちらを覗く瞳に、声が詰まってすんなりと喉奥から言葉が出てこない。
「おかえり」
「たっ、……ただいま」
言い淀んでいるユルグには目もくれず、ミアは冷え切った手を取ると焚き火の傍へと移動した。
椅子代わりの丸太へと二人と一匹を座らせると、ポットに水を入れて焚き火の上へと吊す。
「寒かったでしょ。いまお茶淹れてあげるからね」
「やった!」
ごきげんなフィノの様子に微笑んで、お茶の支度を終えたミアはユルグの隣へと腰を下ろした。
「ずっと外で待っているのは寒かっただろ。天幕の中で待っていても良かったんだ」
彼女の頭や肩に降り積もった雪を払って声を掛けたユルグに、振り向いたミアは鋭い眼差しを向けた。
「そっ、……そんなの、出来るわけないでしょ!」
上擦った声と握りしめられた拳。
その目は怒っているようにも、泣き出してしまいそうにも見える。
いきなりのことにユルグは狼狽えた。
薄らと目元に浮かんだ涙を目にしてしまったからだ。
『今のは擁護のしようがないぞ』
「ミア、すっごくしんぱいしてたのに」
右隣から聞こえる非難の声にユルグはさっと顔を青ざめた。
そもそも、こうしてミアが外で待っていたのだってユルグが何も言わずに出て行ったからだ。それを棚に上げてあんなことを言ってしまえば、誰だって怒りもするし泣きたくもなる。
口に出してしまった後にその重大さに気づいてももう遅い。
とにかくここは誠心誠意、謝らなければ。
「悪かった。心配を掛けたことは謝るよ」
頭を下げて数秒、ミアからは何の言葉もない。
……やはりこんなものでは許してくれないか。
そう思っていたら、未だ冷たい手を温かい掌が包み込んだ。
その感触に顔を上げると、先ほどの鋭い眼差しとは打って変わって、心配そうにこちらを見据える瞳と目が合った。
「ユルグ……私は――」
しかし、続く言葉を遮るように火に掛けられていたポットが音を立てた。
それにミアは立ち上がって、煮えた湯を焚き火から下ろすと三人分の茶を淹れていく。
マグを受け取りながらミアの表情を盗み見ると、そこには怒っている様子は感じられない。
それに内心ユルグは首を傾げた。読めない幼馴染みの心中にもやもやしつつも熱いお茶に口を付ける。
「うまい!」
直後にユルグの思いを代弁するようにフィノが声を上げた。
同意するように静かに頷くと、それに微笑んでミアは隣に座り込む。
それからしばらくの間、沈黙が続いた。
手中のマグの中身が冷めてしまった頃、ユルグの右半身にのし掛かる重みに横を向くと、フィノが眠そうに大きな欠伸をこぼしているのが見えた。
「眠いんだったら天幕に行け。こんなところで寝ると風邪を引くぞ」
「んぅ、……んん」
起きているのか寝ているのか判断が付かない呻き声を上げるフィノは、瞼を擦って目を開けると今にも転びそうな足取りで立ち上がった。
それと同時に彼女の膝上に乗っていたマモンも地面へと降りると、揃って天幕の中へと入っていく。
その後ろ姿を見送っていると、
「私は怒ってないよ。……あなたには怒ってない」
ミアが不意に声を上げた。それに釣られるように顔を向けると、炎に照らされた横顔が見える。
「私は自分に怒ってるの」
「……なんでミアがそんな」
「だって、ずっと無理してたのにそれに気付けなかった」
そのことに怒っているんだ、と彼女は言った。
「ユルグはいつも大丈夫って言うから、それに甘えてたんだ」
ミアの言う通り、旅の途中で故郷へと戻ったときも心配を掛けまいと気丈に振る舞っていた。本当はずっと傍に居たかったし、終わりの見えない旅にだって出たくはなかった。勇者なんて役目も放り出して自由に生きたかった。
けれど、そんなことを言ってしまったら彼女にどんな顔をさせてしまうか。それを理解していたからこそ、ユルグは口を噤んできたのだ。
それは全て自分で選択したことだ。誰にも罪はない。ましてや、それが原因でミアが自分を責める謂われはないのだ。
「そんなこと思う必要はないよ。俺が大丈夫って隠してたんだから」
「でも、それじゃあユルグはずっと苦しいままじゃない」
「……そうだな」
――それでもいいんだ。
口から出掛かった言葉を飲み込んで、自分よりも苦しげに表情を歪める幼馴染みを見つめる。
余計な一言は、彼女を追い詰めかねない。それを察していたから、ユルグはあえて何も言わなかった。
「そんなのおかしいよ」
ミアの言いたいことはユルグも十二分に理解している。
一人で何でも背負う必要は無いと、そう言っているのだ。
彼女の悲痛な叫びを聞いて、そういえば以前にも似たような事を言われたな、とユルグは懐かしさに眼を細めた。
仲間であり師匠でもある彼らにも散々言われたことだ。
『勇者だからって、一人で頑張ろうなんて思うなよ』
『抱え込みすぎると押し潰されちゃうからね』
『あまり背負い過ぎるでないぞ』
自分では理解したつもりでいたけれど、実際にはあの時と何も変わっていない。気づけば八方塞がりの状態で、かろうじて前に進めているだけ。
けれど、今更それに気づいたところでもう遅いのだ。既に引き返せない所まで来てしまった。
……もしかしたら最初から退路など無かったのかもしれない。
――だからユルグの出来ることは、一つしか無い。
「そんなんじゃ、さっきのことも聞いても何も答えてくれないんでしょ」
「それは……」
ミアの指摘は図星だった。
それに答えられずに言い淀んでいると、
「私には言えないこと?」
「……ごめん」
「……そう」
ミアはそれ以上迫ってはこなかった。ただ、何かを諦めたような落胆した表情をみせるだけだ。
「わかった。無理には聞かない。でも一つだけ約束して」
聞こえた声と共に、指先がユルグの手をぎゅっと握りしめた。
「お願いだから、もうどこにもいかないで」




