進むべき道
『いってくれないとわからないよ』
フィノの訴えにユルグは奥歯を噛みしめて口を噤んだ。
彼女がどんな想いでそれを言ったのか。分からないわけではない。
しかし、だからといって洗いざらい吐き出すことだけは出来ないのだ。
「はなしてくれるまで、ここにずっといるからね」
彼女はユルグの心境などお構いなしにそう言って、ふくれっ面をした。
それを目端で見て、嘆息すると共に目を瞑る。
こうして寒空の下、蹲っていたところで何が解決するでもない。
結局は自分の中で答えを出さなければならないことなのだ。けれど、それが分かっていてもどうしようもない。
ユルグの抱いている悔恨は、すべて過去に起因しているものだ。
大切な幼馴染みの傍に居られなかったことも。
大事な仲間であり師匠であった彼らに、背を向けて逃げざるを得なかったことも。
それらはユルグが『勇者』であったから起こりえたものであり、仮に彼が普通の人生を歩んでいれば、ミアは寂しい思いをせずに済んだ。
ユルグの師である彼らにも出会うことはなかっただろうが、この世界のどこかでまだ生きて人生を謳歌していたはずだ。
たったひとつ。始まりが違っていれば、こんな後悔を抱く事なんてなかったのだ。
それ故に、勇者であることを嫌忌してきた。
人助けも、魔王の討伐も全てを投げ出して逃げ出したのだ。
けれど、どんなに拒絶してもユルグが勇者であることは彼が生きている限り不変の事象であり、それだけは投げ出すことは出来なかった。
だからせめて、勇者であることに意味を見出そうとしたのだ。
なんとも矛盾した生き方だが、後悔と共に負い目を感じているからこそ、無意識に勇者であることに固執していた。
そうでなければ、こんな体たらくを晒して、心配してくれた幼馴染みを拒絶して。あまつさえフィノに寄り添ってもらうことなどなかった。
「ほんと、なにやってんだろうな」
喉から漏れたのは、自らに対しての嘲笑だった。
掠れた笑い声に、不機嫌さを醸し出していたフィノは、その顔に憂慮を貼り付けた。
それを目の当たりにして、ユルグは静かに息を吐く。
胸中に滲んだ思いは、いい加減楽になりたい。それだけだった。
悔恨と自責に苛まれながら、それでも考えに考え抜いて、結局答えはでないままだ。
自分がどうしたいのか。どうすれば良いのか。何を望んでいて、どうすれば納得できるのか。
答えの出ない自問自答ほど、無意味なものは無い。
なにより、こうして生き続けることに疲れてしまった。
だったらいっそ、自分で答えを出せないのなら――
「フィノ」
「ん、なに?」
「……お前なら、どんな答えを出す?」
===
勇者の使命というのは、この世界のどこかに存在する魔王とよばれる者を倒すこと。
それが俗世でまかり通っている普遍的な認識である。
けれど実際は、そんな単純なものではなかった。
勇者とは、魔王の贄となる者のことを指す。
そして、魔王とは瘴気を浄化して世界を安寧に導く使命を持つ者。
その関係は気の遠くなるような年月を掛けて、延々と繰り返されてきた儀式だ。
しかしそれさえも、真実にはあと一歩及ばない。巧妙に嘘を織り交ぜた狂言だった。
ティナの会話からユルグが察した事は、彼女の弟が先代の勇者であったこと。
それの子細については不明なところもあるが、ティナが自分の身内を使って嘘を吐く理由もない。
なにより、彼女はユルグに対して嫌悪の感情を抱いていた。勇者の使命を全うしないその態度に憤っていたのだ。
ティナがただの城勤めの使用人で、アリアンネを慕っているとしてもここまで噛み付く理由など、彼女の弟が勇者であったと考えれば納得は出来る。
しかし、それを知ってしまえば明らかな矛盾が生じるのだ。
魔王――マモンの語りによれば、魔王の依代……器となる者は勇者でなければならないという話だった。
正確にはそう断言していたわけではないが、そうでなければこうして勇者だの魔王だの、使命を与えてわざわざ殺し殺され、なんてまどろっこしい事をする必要も無い。
そこに意味があるから、勇者は魔王を討たねばならないと決められているのだ。
――けれど、それさえも真実たりえるものではなかった。
ティナの弟が先代の勇者であれば、今の魔王の器であるアリアンネは勇者ではない。
その時点で、積み上げられた事実が破綻してしまう。
だから、ユルグは彼女に確認したのだ。
――お前は何者だ、と。
それにアリアンネは「ただの皇女」だと答えた。
それ即ち、自分は勇者ではなかったと明言したことになる。
きっと彼女はユルグの真意を知っていた。だからあえてそう答えたのだ。おそらくそこには嘘も偽りもなかった。
――要するに、ユルグが勇者である必要はなかったということだ。
===
「それっていいことじゃないの?」
ユルグの話を黙って聞いていたフィノは全て話し終えた後、開口一番そう言った。
まったく予想していなかった答えに、思わず眼を見開いてその横顔を呆然と見遣る。
そんなユルグの様子に目もくれず、焚き火の炎を見つめてフィノは口を開いた。
「だって、ユルグはゆうしゃであることが、イヤだったんでしょ? だったら、べつになやむことないよ」
それは愚直な答えだった。フィノらしいまっすぐなもので――けれど、それに頷くことは出来ないのだ。
「……そんな単純な問題じゃないんだよ」
役目を全うしなくても良いから、そこではいおしまいとはならないのだ。
幼馴染みや仲間たちに負い目を感じているが、だからといって許されたいわけではない。
過去に起こった出来事は変えられない。死んだ人間には許しを請えない。
だったらどうしたいのか。答えは単純なもので、ただ償いがしたいのだ。
その一つが敵討ちで、それ故にユルグはここまで我武者羅に進んできた。
「俺は償わなくちゃならないんだ」
「……どうして?」
「それは」
「だれかユルグにおこったの? ゆるさないっていったの?」
フィノは意味が分からないと眉を寄せた。
彼女は、どうしてユルグここまで固執するか分からないのだ。
「そうじゃないんだ。ただ……俺がそうしたいから」
「――いみわからない!」
耳元で吠えられて顔を顰めると、今度はまっすぐにこちらを見つめる藍色の瞳と目が合った。
「ユルグのおししょうのことは、フィノはしらないけど。でも、ミアはそんなこといわないよ」
自信たっぷりにそう宣言したのは、これまでの旅でフィノなりにミアを見てきて、彼女を知った上での発言だった。
そしてそれは間違いでないことも、ユルグは知っている。
「……そうだな」
彼の大切な幼馴染みはユルグを責めることなどしないだろう。むしろ勇者である必要が無いなら一緒に居られると喜んでくれるはずだ。
「それでもつぐなわなくちゃっておもうなら、あやまればいいんだよ!」
「……謝る?」
「ミアと、ユルグのおししょうにあやまるの。きっとゆるしてくれるから」
ユルグでは考えつかないことを、さも当然の如くフィノは言うのだ。
けれど、それを煩わしいとは思えない。彼女の答えは、自分でも驚くほどにすとんと胸に納まっていった。
「俺の師匠はもういないんだ。いない人間にどう謝れっていうんだよ」
「う……そっか」
フィノは困ったようにうんうんと唸りだした。
その様子を見つめて、少し意地の悪いことを言ってしまったと苦笑を刻む。
謝ればいいとフィノに言われた時に、すでに答えは出ている。
死んだ者に、許しを乞うことはできない。
生かされて、残されたユルグに出来る贖罪は行方の知れない彼らをきちんと弔ってやることだ。
「……わかったよ」
吐き出した言葉と共に、肩の荷が下りたように気持ちが軽くなった。
自然と強張っていた表情もすっきりとして、その口元には微かな笑みが乗る。
「やっぱり、ユルグはわらってるのがいちばんだね!」
それを認めたフィノは、とびきりの笑顔を向けるのだった。




