女心と秋の空
早朝になると、窓の外には薄らと雪が積もっていた。
誰よりも早くに起床したユルグは部屋のガラス戸を隔てて、外の景色を眺めながら一つ息をついた。
道理で少し肌寒いわけだ。
ラガレットは他国と比べて標高が高い位置にある。ティブロンは温泉街で比較的他の街よりは暖かい場所だが、朝になるとこうして雪が積もることなんて珍しくもないのだろう。
そしてこの場所で、この有様である。
さらに北へと進むことになれば確実に雪に降られるとみて良さそうだ。そうなってしまえばシュネー山へと向かうには二日では厳しいかもしれない。少なく見積もって三日……とはいえ、悪天候に見舞われればそれ以上掛かるだろう。
なにはともあれ、この街でしっかりと対策をしなければ。
雪がこんこんと降り積もる場所での立ち往生だけはあってはならない。
そうと決まれば、と早速ユルグは外へ出ようと足を部屋の出口へと向けた。
踵を返すとユルグの寝ていたベッドの左方。丸まって寝ていたフィノがもぞもぞと起き上がってきた。
「……おはよ」
顔を顰めながら挨拶をした彼女の様子はいつもと少し違っていた。
怒っているわけではないが……珍しく不機嫌である。
「どうしたんだ?」
「んぅ、あたまいたい」
「深酒のしすぎだよ。だから飲み過ぎるなって言ったんだ」
「んんぅ……」
今更言われても遅いとでも言うように、フィノは唸り声をあげた。
それを一瞥して、奇妙な懐かしさに襲われる。
酒に強くないのにやたら飲みたがるカルラが、こうして寝起きの頭痛と格闘していた。それも一度や二度ではない。学習する気が無いのか。何度も繰り返すものだから五回目にはユルグも心配すらしなくなったものだ。
あの時はエルリレオがいてくれたから、その都度、悪酔いに効く薬をこさえてくれていた。しかし、今はそんなものはない。
フィノには頑張って耐えてもらうしかないのだ。
「良い勉強になっただろ」
「ひとごとだとおもって」
「自業自得ってやつだ」
まだミアが寝ているから小声で軽口を叩き合って部屋を出て行こうとする。
しかしそれを留めるようにフィノが呼び止めた。
「どこいくの?」
「厩舎だよ」
「ユーリンデのとこ? フィノもいく!」
「頭痛は良いのか?」
「ねててもかわらないよ」
黙って痛みに耐えるより、何か他のことをして気を紛らわせていた方が良い事もある。
もっともな意見に、ユルグは好きにしろと言い放って部屋を出た。
それに倣ってフィノもベッドから飛び出ると、外套を羽織ってその後を追う。
「うひゃあー! さむい!」
薄雪に驚きながら、フィノは寒さに身を震わせた。
それを目端で捉えながら、薄雪の積もった道に足跡を付けていく。
程なくして厩舎へと辿り着くと、後ろを着いてきていたフィノが、いの一番に駆けだしていった。
「んんー、あったかい」
白む息を吐き出して、フィノはユーリンデの背を撫でるとその体躯にぴったりと顔を付けた。
馬の体温は人よりも高いと言うし、このくらいの寒さはへっちゃらなのかもしれない。
フィノのスキンシップに、ユーリンデは嬉しそうに嘶いた。
そんな一人と一頭を置き去りにして、ユルグは荷馬車の方へと向かった。厩舎にユーリンデと共に置いてもらっている荷馬車は元々オンボロなのだが、今までの長旅も相まって所々ガタがきている。
そろそろきちんと補強して備えておくべきだ。
それに加えて雪道を行くにはこの車輪では厳しい。馬力のある馬であれば多少無茶もきくだろうが、ユーリンデは老馬だ。雪で悪路となった道を進むには力不足である。
荷馬車の車輪部の下に板を取り付けて、馬そりのような形にしてやれば一頭だけでも荷馬車を引くことは出来るだろう。
しかし、これは雪道でないとかえって進みにくくなる。
ティブロンを出るにあたっては手を加える必要は無い。道程で整備していく方が良さそうだ。
ある程度目処が立った所で顔を上げると、フィノはユーリンデにえさやりをしているところだった。
既に彼女の日課となりつつある給餌だが、フィノのユーリンデへのかわいがりは相当なものだ。
餌やり以外にもたまに話し相手になってもらっていると言うし、わざわざ名前を付けてやったのだからそれもそうである。
それを目にしていたから、ユルグも滅多な事は口にしなかった。
というのも、ラガレットはアルディアほど国土が広くはない。今の時期は雪でどうしても足が遅くはなるが、荷馬車を伴っての旅はそれ自体が荷物になり得る。
小回りが利くぶん、徒歩で進んだ方がよっぽど良いのだ。
本来ならばユーリンデと荷馬車をこの街――誰かに引き取ってもらって、歩きでシュネー山まで向かうつもりだった。
以前訪れた時もそうだったし、不可能では無い。
けれど、それを選択することでどうなるか。
確実にフィノが猛反発をするだろう。それを相手取る労力も時間も今は惜しい。
波風を立てない方法があるならそれを選択するべきで、よってユルグはわざと口を噤んだのだった。
下見が終わったらお次はその準備……といきたいところだったが、こんな朝早くでは資材屋は開いていない。
時間つぶしがてら腹が減ったというフィノに急かされて、厩舎とは反対側にある屋台の方へと足を運んでいた。
「美味いものは色々あるが、ここは串焼きが絶品らしい」
「……っ、ほんとだ!」
肉に甘辛いタレを絡めてじっくり焼いた一本は、確かに絶品である。
同じものをフィノにも渡すと、ものの数秒で平らげてしまった。もう少し味わって食べろと言いたくはなったが野暮というものだ。
昨日、酔っ払ったフィノを簀巻きにしてその後ベッドに寝かせてやったのだが、朝まで熟睡だったのだ。
当然食事は摂っていないだろうし、相当腹が空いていたのだろう。
丁度良く腹も膨れたところで、一度宿に戻ることにした。
これからの予定を皆に説明する必要もあるし、ユルグが独りで全てやってしまうよりも手伝ってもらった方が準備も早く終わる。
部屋へと戻ると、今起きたところなのか。
ミアがベッドの上で大きく伸びをしているところに出くわした。
「あ、ユルグ。どこ行ってたの?」
「おはよう。腹が減ったから飯を買ってきたんだ」
言って、串焼きが入った紙袋を手渡す。
それを見て、彼女はなぜかふくれっ面になった。
「いいなあ。私も行きたかったのに」
「だって、寝てただろ」
「起こしてくれたら良かったのにさあ……」
ミアはなぜかしょんぼりと肩を落とした。
彼女が何にこんなに落ち込んでいるのか分からない。飯だってちゃんと買ってきたし、特別な事なんて何もしていない。
困惑しながらもフィノに目配せすると、彼女はなぜかしきりに大きく頷いていた。
「な、なんなんだよ」
別段、責められているわけではない。けれど、どことなく居心地が悪い雰囲気に、ユルグは無意識に溜息を吐くのだった。




