修羅場
ラガレットの国境を越えて、ティブロンへと辿り着いたのは、それから一日後のことだった。
国内外から観光客が押し寄せる、国内一の名所として有名なティブロンはその実、貧困国家であるラガレットにおいて、大きな収入源にもなっているのだ。
寒冷な気候で痩せた土地が多く、さらにはアルディア帝国という大国にも睨まれている。
そんな状況ではこうして客を呼び込むしかないようで、温泉の他に名物の丸くて甘い菓子に、食事も美味い。
療養や休息などには持ってこいの場所である。
「各部屋に露天風呂付きとは、豪華なものだな」
部屋に荷物を置いて室内をぐるりと見渡したユルグは、ひとりごちた。
柔らかなベッドに、ガラス張りの引き戸を開けると丁度良い広さの露天風呂。文句の付けようもなく素晴らしい宿である。
このほかにも宿の離れには天然温泉の大浴場もあるという。
これには女性陣から喜びの声が上がった。
旅をしているとデカい風呂に入れる機会はそうそうない。せっかくだからと少し奮発して高い宿を取った甲斐があったというものだ。
しかし、だからといって不満がないわけではない。
「ひゃあー、ふかふか!」
「みてみて! 思ったよりも良いお風呂じゃない!?」
ユルグが未だ部屋の入り口で立ち尽くしているのは、これが原因である。
「……やっぱり、一人部屋にした方が良いと思うんだが」
「もう、それさっきも聞いたよ」
露天風呂を眺めていたミアが溜息交じりに答える。
「仕方ないじゃない。他に空いてる部屋もないって言われたんだし、部屋割りもこれがベストなの!」
「そうだけど……はあ」
うろうろと視線を彷徨わせて、ユルグは息を吐いた。
ミアの言う通り、この宿は人気所であるらしく、借りられる部屋は二人部屋と三人部屋しかなかったのだ。
そこで、アリアンネとティナ。ミアとフィノ、そしてユルグという組み分けに相成った。
普通の宿に泊まるだけならば、ユルグもここまで言ったりしない。
けれど、ガラス窓越しには露天風呂が丸見えなのだ。垂布で向こう側は隠せはするものの、薄布一枚越しに裸体があってはおちおち部屋で休息も取れない。
男として、この問題は非常に厄介なことなのだ。
しかし、ミアもフィノもそれには我関せずである。
「んぅ……ユルグ、はずかしいの?」
ベッドに寝転んだフィノが、にやにやと口元を歪めて笑っている。その顔が妙に腹立たしくなって、枕を引っ掴んで顔面に投げつけた。
「黙れ」
「むぐう……ひどい!」
「お前が余計な事を言うからだ」
師匠の横暴に、フィノはふくれっ面を見せた。
なにやら「ほんとうのこといわれておこった」だの、文句を言っている。
「別に恥ずかしがることなんてないじゃない」
フィノに軽めのお灸を据えていると、ミアがおかしな事を言い出した。
恥ずかしがることはないだって!? いったいどこを見てそんなことを言ってるんだ!
突然のことに開いた口が塞がらずに、心の中で抗議する。
しかし、当然ながらそれではユルグの想いは伝わらない。そうこうしているうちにどんどん話は進んでいく。
「昔は一緒にお風呂も入ってたんだし、裸なんて見慣れてたでしょ?」
「はっ……、それは昔の話だろ!? あの時はこんな」
おもむろに下げた視線の先に、丁度良く服の上から胸の膨らみが見えた。それのせいで、言いかけた言葉は途中で萎んでしまう。
慌てて目を逸らすと、ごほんとわざとらしく咳払いをしながらユルグは続ける。
「……っ、とにかく。こいつみたいな事はよしてくれよ」
「んぅ、それどーいういみ?」
フィノを指差して告げると、当の本人から訝しげな視線が突き刺さった。
「人前でみだりに脱いだりするなってことだ」
「むっ! もうしないもん!」
「どうだか」
それに関しては、全く信用していない。確かに二人で旅をしていたときと比べれば落ち着いてきたようにも見える。フィノも物の分別がついてきたってことだろう。
だからといって、油断大敵である。
釘を刺すと、ベッドから起き上がったフィノは枕を抱えて非難の眼差しを向けてきた。
そんな目をされても自業自得である。信用っていうのは無くしたら取り戻すのが難しいんだ。
「んー? ……あやしい」
そしてそれは、ユルグにも言えることだった。
「な、なにが?」
「前にキスしたって言ってたじゃない」
「いや、あれは……したというか」
しどろもどろになりながら、ミアの追求を躱そうと必死になるが、ものすごいデジャヴを感じる。というか、同じような弁明を数日前にした気がする。
「それ以外に何かしたの?」
「……なにか」
問われて脳裏に思い起こす事は……入浴中に乱入されたり、素っ裸にされて同衾されたりもした。
後者は仕方なかったとはいえ、これら全てをミアに曝け出すには勇気がいる。よしんば鋼の心臓をもっていたとしても、知られた暁にはどんな目に遭うか。想像に難くない。
「何もなかった」
平常心で口を割るユルグだったが、ミアの顔をまともに見られない。
視線を逸らして、未だふくれっ面をしているフィノに目配せをした。
ここは師匠を助けると思って、加勢してくれ!
一言、フィノが何もなかったと言ってくれればこの場はまあるく収まるのだ。
じっと見つめながら胸中で念じていると、その視線に気づいたフィノはぷいっとそっぽを向いた。
裏切られた瞬間である。
「どうだったかなあ」
「っ、おまえ」
「やっぱり嘘吐いてるじゃない!」
ずかずかと詰め寄られて、襟首を掴まれる。
鬼気迫るミアの様子に、下手に口を開いたら何をされるかわかったものではない。
決して弱くはない力で首を絞められながら、必死の抵抗をしていたユルグだったが、その思いも虚しく。
「わかった、わかったから。ちゃんと話すからやめてくれ」
なんとかこの場を収めようと、意を決したユルグにミアは手を離して聞く姿勢を取る。
そうして、今までの出来事を振り返りながら、ユルグは居住まいを正しながら語るのだった。
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「なあんだ、そんなことか」
「……へえ?」
思ってもみない反応に、ユルグは呆気に取られた。
もっとこう、怒り狂うものかと思っていたのに、幼馴染みの態度はそれとは真逆である。
「……え、それだけ?」
「うん。それだけ」
「その……怒ったりとかは」
「一緒にお風呂入って、寝ただけでしょ? それなら私も経験あるし、キスよりはマシよ」
「そういうもんなのか?」
いまいちミアの怒りの沸点が分からない。
何がダメで、どこまでが許容範囲なのか。さっぱりである。しかし、これまたこっぴどく叱られると思っていたのを見事回避出来たのだ。喜ばしい限りである。
「私はもっと、それ以上のことをやったのかと思って」
「それいじょう?」
「ええと、今のはナシ! そ、それよりもせっかく露天風呂があるんだから入ろう! うん、そうしよう!」
動揺しながら早口で捲し立てると、ミアはベッドに横たわっているフィノの手を引いて、入浴の準備をしだした。
一切の断りもなく、服を脱ごうとした所を目端に入れてしまい、慌ててユルグは身体を反転させる。
まったく、油断も隙も無い。
フィノは言わずもがなだが、ミアも幼馴染みだからといって気を許しすぎだ。これではいくら自衛をしていても無意味な気もしてくる。
「俺は外に行ってくるから、ごゆっくり」
「ええー、一緒に入らないの?」
「はいらない」
思った傍からこれである。
度重なる心労に、ユルグは留める二人を強引に引き剥がして部屋の外へと逃げるのだった。




