厄介ごとの匂い
一部、加筆修正しました。
ご機嫌なフィノを伴い宿へと戻る道を歩いていると、何やら大通りが騒がしいことに気づいた。
道行く人波で不明瞭な通りを少し背伸びして見渡すと、二頭立ての黒塗りの馬車が通っていくのが見える。
おそらく、街の中央に聳えている教会から発ってきたのだろう。見たことのないものだ。
不審に思っていると、周囲から何やらひそひそと声が聞こえてきた。
「かわいそうに……」
「まだ結婚したばかりだって聞いたよ」
「子供だってまだ幼いだろうに……」
「でもまあ、ねえ」
「あんな化物、いなくなったほうが安心だよ」
「……そうに違いねえ」
口々に噂される陰口を耳にして、ユルグは眉を潜めた。
どうやらあの馬車の正体は、この街でそんなに珍しくはない物のようだ。そして少なからずそれを嫌忌している。
黒塗りの馬車は大通りを抜けると、そのまま街の出口まで向かっていった。誰かを街の外に連行しているのだろうか。
「なんだろうね」
「さあな、面倒な事にならなければ良いが」
なにやらきな臭い展開に難しい顔をしながら、止めていた足を宿へと向ける。
しかし、ユルグの憂慮も虚しく――事件はその道中に起こった。
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「――助けてください!!」
不意に、前方から聞こえてきた叫喚にまたもやユルグの足は止まった。
恐る恐るその声の出所を確認すると、一人の女性が泣き喚いているではないか。しかも、その周囲にはなにやら見知った背中も見える。
それを目にした瞬間、ユルグは足早にその一団まで駆けていた。
「――っ、おい」
赤いローブを着込んだその背中に声を掛けて肩に手を置くと、こちらを見つめる赤い眼差しと目が合った。
「余計な事に首を突っ込むなって言ったよな」
僅かに怒気を込めた口調で迫ると、アリアンネは柔和な表情から一変、微かに眉をつり上げた。
「どうして勇者様はそんなことを言うのですか!」
さっきまで泣き崩れる女性に寄り添っていたアリアンネは、以前の如く怒り心頭であった。
しかし、何を言われても厄介ごとは御免である。
「俺もお前も、やるべき事があるだろう。こんなことに付き合っている時間は無い」
悲しみに暮れる女性に構うことなく言ってのけると、対面していたアリアンネは深い溜息を吐いた。
それは諦めにも似たもので、彼女にも十分に伝わっているのだ。
何を言ったところでユルグの考えは変わらないし、自分の想いは伝わらないのだと。
それを理解したのならさっさと手を引けば良いものの、アリアンネはその女性の傍を離れようとはしなかった。
「このご婦人の旦那様は、街の衛兵をしてらっしゃったのです」
それを見かねたティナが、事の経緯を語り出した。
アンビルの街の近くには、虚ろの穴があるのだそうだ。最近になって魔物がそこから溢れ出し街にも押し寄せて来るようになった。
濃い瘴気を纏った魔物は、それと相対するだけでも生物にとっては有害になり得る。一回や二回ならまだしも、何度も街に襲い来る魔物を相手取っていては自ずと体内に瘴気の毒が蓄積されていくのだ。
ましてや魔物の攻撃で傷を負えば……どうなるかは火を見るよりも明らかである。
先ほどの黒塗りの馬車は、瘴気の毒に冒された罹患者を虚ろの穴に安置しに行くものだったらしい。
この街ではそういったことも珍しくなく、毎月のように誰かしらが運ばれていくようだ。
「それで、こいつはその旦那を助けてくれって言っているのか? そんなの無理に決まっているだろ」
「……っ、ちがいます」
涙で目を腫らしながら彼女は顔を上げた。
「わ、私は既に覚悟は出来ていました。でも、息子が……まだ幼いギィルは」
涙ながらに語る婦人の話を聞くに、息子が父親を追っていなくなってしまったのだそうだ。
虚ろの穴に至る道は、昔は魔物も存在しない安全な場所だった。しかし、最近はいつ草葉の陰から襲われるかわかったものではない。危険な場所に成り果ててしまった。そんな場所に女一人で向かうのは自殺行為である。
追いかけようとしたが門衛に止められてしまい為す術がなかった、というわけだ。
おそらく息子は門衛の目をかいくぐって街の外に出てしまったのだろう。
彼の救出を依頼しようにも、冒険者ギルドに話を通していては手遅れになりかねない。
どうしようもない状態で途方に暮れていた所へ、偶然にも救いの手が差し伸べられたということだった。
「これでも貴方は見捨てろと言うのですか!?」
非難がましく突き刺さる視線に、ユルグは息を吐いて逡巡する。
何を言われたところで手を貸すつもりはない。追いかけたガキを助けたいなら勝手に行けば良い。
そんな台詞が喉元を出掛かったが、咄嗟にそれを飲み込んだ。
この事件の結末がどうなろうと興味もないが、瘴気を生み出すという虚ろの穴。以前スタール雨林で見た物と同一であるなら、一度出向いて確かめたい事がある。
「…………わかった。俺も行く」
「「「――え?」」」
長い沈黙の後に告げられたユルグの答えにその場に居合わせた仲間たちは口々に驚愕を零した。
特に今回も一悶着ありそうだと予想していた、ミアとティナ、そしてフィノは目を円くしている。ご満悦なのはアリアンネだけである。
「どういう心境の変化でしょうか……」
「ユルグ、絶対首を縦に振らないと思ってたのに」
「んぅ、よそうがい」
ユルグの決断に、各々の声が飛んでくる。
本当の目的は子供の救出なんかではないのだが、ここでそれを言ってしまえばややこしくなる。言わぬが花だ。
成り行きに任せていると、いきなりものすごい力でアリアンネに肩を掴まれた。
「勇者様! わたくし、ものすごく嬉しいです!」
「そ、そうか。良かったな」
盛大な勘違いを起こしている皇女様を置いて、ユルグは傍らにいたフィノに目を向けた。
「そうだな。今回はお前も一緒に来て貰おうか」
「ん、フィノも行くの?」
「人手は多い方が良いだろ」
――というのは建前である。
ユルグの代わりに、フィノに厄介ごとを押しつけようという魂胆だ。迷子捜しなんてまっぴらだ。
そんな師匠の胸中などつゆ知らず、フィノはやる気に満ちた目をして大きく頷くのだった。




