なんでもの約束
――優しくしろと言ってもなあ。
剣を構えたフィノを真正面から見据えて、ユルグは思案する。
今までの稽古だって十分優しかった。
なんたってちゃんと手加減はしていたし、怪我をしないように力の調節もしていた。ユルグの師であるグランツの、あの鬼のような稽古試合と比べたら温いくらいである。
しかしフィノにはそれが我慢ならなかったようだ。
彼女の言い分も分からなくはない。
ユルグだってグランツとの稽古中に、こういった卑怯……とは少し違うが、搦め手を使ってなし崩しにされては、面白くはないと不満に思ったはずだ。
幸いにも彼はそんな面倒なことはせずに、毎回力業で押しつぶしてきた。今思えばかなり無遠慮で横暴な稽古のつけ方だったろう。
それを反面教師として教鞭を執っていたのだが、どうにもそれが裏目に出たようだ。
「だからって、このままやっても面白くもなんともないし……ここは一つルールを決めようか」
抜き身の剣を肩に担いで、やる気満々の弟子に告げる。
「俺の武器はこいつだけだが、お前は何を使っても構わない。どんなことをしても良いから俺から一本取れたら終わり。それでいこう」
「……いいの?」
「こんくらいしなきゃハンデにならないだろ」
「んぅ、わかった」
彼女は不満たっぷりだったろうが、ユルグだって無駄な稽古をつけていたわけではない。まだまだ剣の腕が未熟であるフィノがどうやったら敵に勝てるか。それを考えた上で、戦い方を教えていたのだ。
体格も力も、彼女より強い奴なんて山ほどいる。そんな相手には真正面からぶつかっても、どう足掻いたって勝てるわけがないのだ。
頑張ったけど勝てませんでした、で敵は見逃してはくれない。命の取り合いでは負けたらそこで終わりである。
だから確実に勝てるようにその方法を叩き込もうとしていたのだが……それを理解しているのかどうなのか。
ああやって口答えしてくるのなら、その可能性は低いだろう。
「じゃ――始めるぞ」
剣を構えたフィノを見据えて、ユルグは一歩踏み出した。
===
ゆっくりとした歩調で近付いていき――剣の間合いまで入る。
その間、フィノは構えを解かないまま近付いてくるユルグをただ見ていた。
『まずは相手の出方を見る』
今まで何遍も言ってきた基本を、ちゃんと理解しているようだ。
振り上げた剣撃をフィノは構えた剣で受け止めた。
しかし、まともに受けられずよろけたところに、すかさず追撃を叩き込む。
同じく大振りの一撃を、今度は受ける事なく横に転げて躱した。
――今のは妥当な判断だな。
あのまま受けきっていてはいずれ押し負けていた。そうならないうちに早めに見切りを付けて次の一手に移る。
冷静な状況判断が出来ていればこその行動だ。
しかしそれを静観するほど、手を抜くつもりはない。
横に転げたフィノが体勢を立て直す前に、更にもう一撃。
それをまたもや飛び退いて避けられたが、すかさず間合いを詰めていく。
けれど、それを易々とは許してくれないみたいだ。
ユルグの間合いに入らないようにと、フィノは距離を取るように駆け回った。
近接攻撃しかしてこないなら、距離を取るのがセオリーである。
ユルグだって同じ状況にいるのならそうするし、フィノの作戦は理に適っている。
しかし、それは自分が遠距離から一方的に攻撃できなければただ逃げ回るだけの防戦一方。体力が尽きれば追いつかれてしまうのだ。
――さて。
この状況で、どうするかな。
逃げるフィノを追いかけながら弟子の出方を伺っていると、いつの間にか彼女の手に何かが握られているのが見えた。
何のことはない、ただの木の枝である。
おそらく、さっき転げた時に引っ掴んだのだろう。
けれど、あんなものを投げつけられたからと言って、ユルグの足は止められない。気を逸らすにしたって、あんな木の棒ではまっすぐに相手にぶつけるのだって至難の業だ。
フィノの行動を疑問に思っていると、彼女はそれを予想通りこちらに投げつけてきた。
と思ったら明後日の方向に飛んでいってしまう。
……なんだか妙な飛び方をした。
確かにこちらに投げてきたというのに、不自然に横に逸れていったような。
逃げるフィノとの距離を詰めながら顔を顰めてその正体を探っていると、彼女はまたもや木の棒を投げつけてきた。
それに悠然と構えていたユルグだったが、刹那の展開に目を見開いて固まる。
フィノが投げつけた木の枝は、先ほどの面影などどこにもなく、まるで豪腕から投げ出される槍の如く、凄まじい速度をもってユルグの頬を掠めていった。
「――っ、な」
驚愕を言葉にする間もなく背後を振り返ると、そこには投擲した木の枝が貫通したであろう穴が樹木の幹に空いていた。
稽古試合の最中であることも忘れて、貫通した穴を眺めていると不意に気配が濃くなった。
顔を戻すと、そこには一気に距離を詰めてユルグの懐に入ったフィノが、剣を振るおうとしているところだった。
かなり肉薄した状態。これではユルグが剣を振るう前に一撃もらってしまう。
咄嗟に身体を捻って振られた斬撃を躱すと、距離を離すために、剣を振り抜いた後のがら空きの胴体に向かってきつめの蹴りをお見舞いした。
「――ギャッ」
落ち葉を撒き散らしながら、フィノはゴロゴロと転がっていった。
やがて木にぶつかってその動きを止める。
しかしそれにめげることなく、もぞもぞと起き上がったフィノと対面すると、ユルグは空の両手を挙げて宣言した。
「お前の勝ちだよ」
===
フィノは初めからそのつもりだったのだろう。
決め手は、先ほど懐に入られた瞬間だった。
彼女はユルグに攻撃を当てることを端から諦めて、目標を一点に絞って攻勢に出たのだ。
『俺の武器はこいつだけだ』
最初に定めたハンデ。
つまり、武器を取り上げてしまえば勝ちをさらえるのではないか。そう考えたのだろう。そしてそれを感づかれないように上手く隠していた。
攻撃を受けまいとして距離を離すために蹴りを見舞った。その代わりユルグの手元はおざなりだったのだ。
結果、フィノが吹き飛ばされる刹那の一瞬で、ユルグの手から剣を弾くことに成功した。
満点をあげることは出来ないが、中々良い線をいっていたのではないだろうか。
「ほ――ほんと!?」
「及第点ってところだけど……まあ、良いだろう」
剣を弾かれただけだし、拾って続けることは出来た。けれど、そこまでするのはあまりにも大人げない。
あくまでもこれは稽古で、実戦ではないのだ。そこまでシビアになることもないだろう。
「それよりも、さっきのアレはなんだ」
「んぅ、なげたやつのこと?」
「そう、それだ」
剣を拾って鞘にしまいながら尋ねると、フィノは服に付いた落ち葉を払って立ち上がった。
「かぜのまほうだよ」
「……ということは、原理はエンチャントと同じってことか?」
「たぶん。ほんとうはけんを、はじくつもりだったけど」
――まだうまくできないや。
溜息交じりに零したフィノの言葉に、ユルグはかぶりを振った。
――やっぱりこいつはどこかおかしい。
普通あんなことはできっこないのだ。
なにもこれはユルグを基準にして言っているわけではない。ユルグよりも魔法の扱いに秀でた魔術師でもきっと無理である。
魔法を物体に付与するのは容易い。しかしそれを魔法の威力を維持したまま、尚且つ付与した物体を壊すことなく使うのはちょっとやそっとじゃ出来る芸当などではない。
比較的頑丈な剣を使うのならまだわかる。けれど、フィノが投げつけたのはただの木の枝である。
両手でもって折り曲げればぽっきりと折れてしまうほど脆い。
それを、原型を保ったままあの威力で投げつける。どう考えても規格外だ。
「――あっ!」
ユルグが密かに戦いていると、突然フィノは叫び出した。
何事だと目を向けた瞬間、イノシシのようにどんっと体当たり、もとい抱きついてきた。
「やくそく、おぼえてる?」
「……約束?」
「なんでもってやつ!」
……なんでも。もしかして、以前フィノに発破を掛けるために言った、アレのことか?
確かに、それらしいことは言った気がする。あの時は剣を使わせられたら、だったが師匠から一本取ったのだ。条件を満たしたと言っても良いだろう。
「ああ、あれのことか」
思い出しながら眼下に目を向けると、何かを期待するような眼差しと目が合った。
「それで、お前は俺に何をさせたいんだ?」
「ええっとねえ。プレゼントがほしい!」
「……プレゼント。ご褒美ってことか」
フィノの提案に、ユルグは密かに安堵していた。
なんでもと言ったのだ。一緒に風呂に入りたいだの、一緒に寝たいだの。そういったことを要求されると思っていた。
贈り物一つで済むのなら、なんと気楽で易いものか。
「わかった。次の街で何か探してみよう」
「それ、フィノもついていってもいい?」
「……まあ、良いんじゃないか」
「やった!!」
嬉しさ感極まるとはこのことだ。フィノは飛び跳ねて喜んだ。
そんなにはしゃぐほどのことでもないだろうに。
やれやれと肩を竦めると、未だ興奮冷めやらぬ弟子を置いて野営地へと戻るのだった。




