両手に花
目を覚ますと、朝陽を受けて木漏れ日がきらきらと輝いているのが見えた。
横になったままぼんやりとそれを眺めながら、久方ぶりにゆっくりと眠れたとユルグは未だ開けきらない瞼をこする。
最近は怪我の他に諸々の心労も相まって、眠れぬ日々が続いていた。
けれど昨夜は疲労が蓄積していたこともあって、然程苦労もなく――気づけば朝だ。
というよりもあれは、眠りにつくというよりも意識が飛んでいたと言い換えた方がしっくりくる。
それでも無理矢理にでも休息は取れたので、結果を見れば何の不満もないのである。
「おはようございます」
ユルグの起床を察して、炎を灯す焚き火の向こう側からティナの声が寝起きの頭に響いた。
しかし、頭を上げて見回しても起きて動いているのは彼女だけである。
昨夜は確か、ミアとフィノが不寝番だったはずだが……彼女らの姿はユルグの視界には存在しない。
それに訝しんだ直後――
「このような状況は……そうですね。両手に花とでも言うのでしょうね」
微かに微笑を乗せた唇で紡いだ言葉に、ユルグは一気に目が覚めた。
そういえば、なんだか両隣がやけにぬくい。
身体にかけてあった毛布を引っぺがすと、そこには予想したとおり。行方不明であった二人がユルグを挟むようにして、仲良く夢の中に旅立っていた。
左側に陣取っているフィノに関しては腕に擦り付いてきている。
冗談ではないと振り払おうとしたところ、それを止めるようにティナの声が掛かった。
「明け方までお二人とも起きていたのですが、少しでも仮眠をしてはどうかと私が提案したのですよ」
「……それで、なんで俺にくっついて寝ているんだ」
「安眠するにはそこが一番なのでしょうね。微笑ましい限りです」
にっこりと微笑んだティナの言葉に、得も言われぬ疲労が肩にのしかかってきた。
この状態では動こうにも動けない。どうやっても気持ちよさそうに寝ている二人を起こしてしまう。
いや、この際フィノはどうでもいい。こいつだけでも引っぱたいてでも起こして、こっそり抜け出せないものか。
しかし振り払おうにもがっしりと腕に抱きつかれているせいで、左側は不動。
それでもなんとかしようと、そっと右腕をあげようとしたところ
「んん…………ユルグ?」
「お、っ……おはよう。わるい、起こしたか?」
「……うー、ううん」
なんとも言えぬ返事をしたかと思うと、ミアはちょうど顔の傍にあった腕を取って、あろうことかそれを枕にすると再び寝入ってしまった。
――どうしよう。
完全に身動きが取れなくなってしまった。
これではどうにもならないし、どうにもできない。
完全に打つ手無し。真上から差し込む木漏れ日に目を細めながら、少しの間思考停止に陥る。
……そういえば、ミアとこんなふうに共寝をしたのなんて、いつぶりだろうか。それこそ、うんと子供の頃のような気がする。
しかし、昔と今とではそれはもう、色々と違う。比べることすらおこがましい。これで平常心を保てという方が無理である。
それに最近、なんだか随分と積極的だ。
昔はもっとこう、お淑やか……とは違うが、大人しかった。物静かで内向的な性格という話ではない。
先日の街散策もそうだが、こんなベタベタとスキンシップを取ってくるようなタイプではなかったように思う。
だからといって、それが嫌だというわけではない。ただ……そう。あまり迫られるような経験がないから戸惑ってしまうだけで。
もちろんフィノに迫られるのとは勝手が違う。あれは我が強すぎる。
親しき仲にも礼儀ありというし、対人関係というのはやはり適切な距離を保って築かれるのが好ましいのである。
しかしミアのこれについては、少し前にこのままじゃいけないだとかなんとか、本人もぶつくさ言っていたのを聞いているから、原因は把握している。
それのせいで、こうしてスキンシップが多くなったのなら納得ではあるが。とはいえ、何事にも心の準備というものは必要なのだ。
――ということを身動きが取れないまま徒然と考えていると、ふとあることに思い至った。
無理矢理、首を曲げて顔を上げると、遠巻きに今の状況を静観していたティナに問い質す。
「夜が明けてからどれくらい経ったんだ?」
「そうですね……正午から逆に指折り数えた方が早いかと」
そう言って、ティナは親指と人差し指を順繰りに折った。
つまり、あと二時間ほどで昼休憩に入るということである。
「なっ――なんで起こしてくれなかったんだ!?」
なりふり構わず上体を起こすと、ユルグの腕に引っ付いていた二人はようやっと目を覚ました。
しかし、それに構っていられるほど今のユルグには心の余裕がない。
昨日は余計な道草をしたせいで、予定していた進行よりも大幅に遅れている。それを取り返そうと今日はペースを速めようと考えていたのに、これでは差し引きゼロなんてもんじゃない。
「そんな格好で言われましても……締まりがありませんね」
ティナの言葉には明らかな皮肉が混じっていた。
それを言われては、何も言い返せない。
ユルグが言葉に詰まったところで、彼女は焚き火の傍に置かれていた丸太から立ち上がった。
「たまには、こんな日があっても良いのではないですか?」
そうして荷馬車の方へと向かっていく。
あれはおそらく、アリアンネを起こしに行ったのだろう。
微かに聞こえてくる話し声を聞き流しながら小さく息を吐くと、後ろから「おはよう」と声が掛けられた。
「ちゃんと寝られた?」
「……おかげさまでぐっすりだよ」
――今、何時だと思う?
寝ぼけ眼の二人に問うと、二人して顔を見合わせてふるふると首を横に振った。
「もう少しで……いや、もう昼だ」
今から出立の準備を済ませれば正午は過ぎてしまう。
それを加味して答えを伝えると、ユルグの仏頂面に反して二人は何の気なしに口元を緩めた。
「んぅ、あさごはん、たべそこねた」
「どおりでお腹が空いてると思ったら、そっか。もうお昼かあ」
そこから
――なに食べる?
――お湯わかさなきゃ。
――美味しいお茶があってね。
なんて、会話が止めどなく流れていく。
まったく、呑気なものである。




